32.本当の初夜
数時間後。
私はお風呂で徹底的に身体を清め、ローズ達に嬉々として用意された薄くてヒラヒラした夜着を身に着け、上からバスローブを羽織って、緊張した面持ちで夫婦の寝室のベッドに腰掛けていた。
(いやだって、マークがあんな事言うから!!)
あの後、ゆっくりと抱擁を解いたマークは、顔を真っ赤にしながらこう言ったのだ。
『……エマ、あの……、早速なんだが、今日から、寝室を一緒にしても構わないか……?』
私もマークに負けないくらい耳まで真っ赤にしながら、ギギギギ、と音がしそうなくらい、ぎこちなく頷いた。
(そりゃ一時はそういう事をする覚悟だってしていた訳だし! マークと本当の夫婦になりたいとも言ったし! で、でも、何か急過ぎて心の準備が……っ!)
バクバクして一向に落ち着かない心臓に手を当てながら必死に深呼吸をしていると、寝室の扉がノックされ、音に驚いた私は思わず「ヒャイィィ!」と奇声を上げてしまった。
「エ、エマ、悪い、待たせたか?」
「べ、別に……」
ぎこちない足取りでマークが歩み寄って来て、私の隣に腰掛けた。そろそろとマークの顔を見上げる。マークも相当緊張しているようで、私の方をちらりと見ては、すぐに視線を逸らし、という事を繰り返している。
「あ、あの、分かっていると思うけど、私初めてなんだから、お手柔らかにお願いね」
「あ、ああ、分かっている。けど、俺も初めてだから……」
「え、嘘っ!」
思わず私は素っ頓狂な声を出してしまった。
「嘘じゃない」
「え、でも、マークはご令嬢方に結構モテていたじゃない。誰かと付き合った事とか無かったの? 娼館に行ったりとかも……」
「生憎夜会でお前に一目惚れしてからは、誰からの誘いも全部断っていたし、娼館だって行った事も無い。そんな暇があったら、お前を捜したり、鍛練したりする時間に使いたかったからな」
「そ、そうだったんだ……?」
目を点にする私に、マークはこくりと頷く。
「因みに俺のファーストキスは、結婚式の誓いの口付けだ。不本意な形でお前に奪われて、それなりにショックだった」
(あ、だからあの時ぶっ倒れたのかしら)
そう言われてしまうと、何だかマークに悪い事をしてしまったような気がしてきた。
「そ、そうなの? でも、あれは私のファーストキスでもあったんだから、お相子って事で……」
「良くない。だから今、キスのやり直しをさせてくれ」
「へ?」
マークに手をぎゅっと握られて、もう片方のマークの手が頬に触れる。ゆっくりと顔を近付けられて、私は緊張しながらそっと目を閉じた。
……が、何時まで経っても何も起こらない。
(……?)
不思議に思って薄く目を開けたら、マークは至近距離で、顔を真っ赤にしながら硬直していた。
(……何だか、あの時の事を思い出すわね)
私のヴェールを上げたまま、目を見開いて硬直してしまったマーク。待てども待てどもキスをしてくる気配が無くて、私の方が痺れを切らしたんだっけ。
意外と純粋で、不器用で、でも一途にずっと私を想い続けてくれているマークが、何だか可愛く思えてきて。
そうすると、ちょっぴり悪戯心が湧いてきて、残りのごく僅かな距離は、私の方から無くしてやった。
「!?」
一瞬だけのセカンドキスに、マークは口をパクパクさせたかと思うと、ギッと私を睨んできた。
「エマ!! お前!! 男心を弄びやがって!!」
「マークが何時まで経ってもキスしてこないからでしょう。何時まで待たせるのよ」
「も、もう手加減しないからな!! 俺を煽った責任は取ってもらうぞ!!」
「え、ごめんっ、手加減はして欲し……」
私が最後まで言い終わる前に、マークに噛み付くようなキスをされた。そしてそのまま、私はベッドに押し倒された。
***
翌朝、私はベッドから動けなかった。マークのせいである。
この年になるまで女性経験の無い童貞の性欲を舐めていた。しかも相手は騎士団総帥と言う体力お化け。私は普段魔法研究ばかりで碌に運動していないのだから、こうなる事は少し考えればすぐに分かる筈だったのだ。それなのに、ちょっとした出来心で余計な燃料までマークに投入してしまった事は、今は深く反省している。
「具合はどうだ? エマ」
私と違って憎たらしい程ピンピンしているマークが、上機嫌でベッドに戻って来て、私を腕の中に閉じ込める。
「誰かさんのせいで、ベッドから一歩も出られないんですけれど」
「そうか。それは悪かったな」
じろりと睨み付けても、マークは反省している気配が全く無い。
「安心しろ。朝食と一緒に、良い物を持って来るように、リリーに言付けておいたから」
「良い物?」
首を傾げる私に、マークは笑みを深める。
程無くして、リリーが朝食と一緒に運んで来てくれたのは、私が作った体力回復薬だった。
「あら、気が利くじゃない! 流石ねマーク!」
「これは後でな。先に食事だ」
早速薬に手を伸ばす私を制して、マークは先に朝食にすると言う。
「はい、あーん」
「……マーク、そんな事しなくても、先に薬を飲ませてもらえれば、私自分で食べられるんだけど」
「俺がお前に食べさせたいんだよ。ほら、口を開けて」
「……」
悔しいが、今はベッドから動けない私は、マークの言う事を聞くしかない。羞恥心を押し殺して、私は渋々口を開けた。
マークに手ずから朝食を食べさせられた後、漸く私は体力回復薬を口にする事ができた。
「どうだ? エマ」
「すっかり良くなったわ。流石私!」
一晩中マークに抱かれたせいで、辛かった身体の怠さも腰の痛みも、瞬く間に無くなった。流石私の作った魔法薬。効果は抜群である。
「そうか、それは良かった」
マークはにこにこと笑いながら、折角起き上がれるようになった私を、再びベッドに押し戻してきた。
「あ、あの、マーク……?」
嫌な予感しかしなくて、私は顔を引き攣らせる。
「今日は休日だから、俺達が一日ゆっくりしていても、何の問題も無いだろう?」
「いやあの問題大有りよ。私昨日の結婚式に手土産で持って行った分と、今消費した分の魔法薬を、また作り溜めしておきたいんだけど」
「魔法薬の在庫はまだまだあるのは知っているよ。何せ俺も毎回手伝っているんだからな。だから今日一日くらい作らなくても平気だよ」
「え、いやあの、ちょっとマーク!?」
私の抵抗などマークは全く意に介さず、私の反論は唇で塞がれ、昨夜知られたばかりの私の弱点を的確に攻められ、再びマークに喘がされ。
私の体力が尽きると、体力回復薬を口移しで飲まされ、そしてまたマークに抱き潰され。
その夜、日付が変わる頃に漸く解放された私は、そのまま朝まで泥のように眠ったのだった。
(……まさか、私が作った魔法薬を、こんな形で使う羽目になるとは思わなかった……)
翌朝、目覚めた私は、出勤する前に、マークに絶対に見付からない場所に魔法薬を隠しておくよう、マークに隠れてフローラ達に頼み込んだのだった。




