3.誓いの口付け
国王陛下の命で私達の結婚が決まってしまい、私は一旦家に帰ってお父様達に報告した。
「そんな……!! よりにもよって、ケリー公爵家の次男にお前を嫁がせなくてはならないのか!?」
魔法研究所所長の地位を私に譲って一線を退いた後、ベネット公爵位をお兄様に譲る準備を進めていたお父様は、話を聞くなりがっくりと項垂れてしまった。
「すまない、エマ!! これまでの私達のいがみ合いの責を全てお前に背負わせる事になるとは……!! こんな事なら、もう少し上辺だけでも取り繕っておけば良かった……!!」
「何て事なの、エマ……!! そんな結婚、絶対に苦労するに決まっているじゃない!」
頭を抱えるお父様の隣で、お母様は大粒の涙を流して泣きじゃくっている。
「ベネット公爵家はアラスターがいるからと、お前には好きなだけ魔法研究に打ち込ませていたのが仇になったな……。こんな事なら、部下の中からお前を理解してくれそうな者を見繕って、さっさと結婚させておけば良かった……!」
激しく後悔している様子のお父様に、私は眉を顰める。
「そんな事をしていても無駄でしたわお父様。結婚して家庭に時間を取られるよりも、一生独身で自由気ままに魔法研究に没頭する人生を送る気満々でしたもの。どんな方を連れて来られていても、あの手この手で絶対にお断りしていましたわ」
「「確かにそうだな」」
揃って頷かれるお父様とお兄様。
「気に食わない相手ではありますが、魔法研究所は辞めなくて良いとの言質を頂けたので、国王陛下の命に背く程の事ではありませんわ。いざとなれば家になど帰らず、今まで通り研究所に寝泊まりする生活を続ければ良いだけの事ですもの」
嘆き悲しむ家族を安心させたくて、私は努めて明るい口調で口にする。
「ちょっとエマ、今貴女研究所に寝泊まりしているの!? 寝る時くらいちゃんと寮に帰りなさい!」
「だ、だってお母様、歩いて移動する時間が勿体ないんですもの。それに比べて仮眠室は目と鼻の先だし……」
「家から通う時間が勿体ないと言うから、寮生活を許したのよ!? それなのに仮眠室に泊まり込んでいるなんて、寮に入った意味が無いじゃない!」
藪蛇でお母様に怒られてしまい、私は口元を引き攣らせながら視線を泳がせた。
「……まあ、他でもないお前がそう言うなら、仕方ないな……」
お父様達は皆揃って渋い顔をしていたが、結局は肩を落としながらも、陛下の命に従う道を選んだのだった。
それからの日々は忙しかった。結婚式の準備の為に、私は寮を引き払って、一旦お兄様と同様に、ベネット公爵家から馬車で研究所に通う事になった。
研究所で寝泊まりばかりしていたせいで、暫く帰っていなかった寮の部屋は、捨て忘れていた生ゴミが悪臭を放ち、埃だらけの床の上を黒光りする平たいアレがゴソゴソと這い回っている、凄まじい汚部屋へと化していた。半泣きになりながらゴミを纏めて捨て、見るのもおぞましいアレを魔法で根絶し、最後には部屋ごと浄化魔法をかけて、来た時よりも綺麗にしておいたので、管理人さんに怒られる事は無いと思いたい。
そしてベネット公爵家に帰って来た私は、毎日メイド達にもみくちゃにされていた。
「お嬢様、ちゃんと毎日お肌のお手入れはしてくださいねと、公爵家を出られる際にお願いしておりましたよね? こんなに荒れてしまって……」
「御髪も傷みまくって、艶もまるで無いではありませんか……」
「この頑固な隈はお化粧で隠すしかありませんね。結婚式までに取れるかしら……」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
結婚式までに美しい花嫁姿に仕上げなければベネット公爵家の名折れとばかりに、メイド達は総力を挙げて日々私を磨き上げてくれた。だが肌の状態や目の下の隈を何とかする為に、私は規則正しい生活や十分な睡眠を強いられ、魔法研究が進まなくてストレスを感じてしまった。これでは肌に良くなくて本末転倒ではないかと思いつつも、流石にそれを口にはしないでおいたが。
そんな苦労が実り、結婚式当日、私は公爵令嬢に相応しい姿を取り戻していた。
毛先まで艶を取り戻した黒い髪を編み込みながら結い上げ、お父様譲りの緑色の目の下に常駐していた隈は綺麗に消え失せ、滑らかさと透明度を取り戻した肌に化粧を施してもらった私は、我ながらどこからどう見ても別人だ。
「エマ……!! とても綺麗よ!!」
純白のウェディングドレスに身を包んだ私を見て、お母様が涙ぐむ。
「エマ。色々苦労すると思うが、誰よりも魔法に秀でた負けん気の強いお前ならきっと大丈夫だ。だが本当に嫌になったら、すぐに帰っておいで。何を置いても私達が絶対に守ってみせるから」
「お父様……!」
今にも泣き出しそうなお父様に、私も目を潤ませながら頷く。
「エマ、俺とは研究所で毎日顔を合わせるのだから、嫌な事があったら何でもすぐに俺に話すんだぞ」
「ありがとうございます、お兄様」
「これからもエマの力になってやってくれ、アラスター」
「勿論です、父上」
離れていても、私には何時でも味方になってくれる家族がいる。そう実感できて、私は綺麗にお化粧してもらったのにもかかわらず、涙を零してしまいそうになった。
「エマ。貴女の事だから大丈夫だろうとは思うけれども、相手は今までの事を根に持って逆恨みして、初夜で酷い目に遭わされるかも知れないわ。その時は遠慮なく……」
「分かっておりますお母様。魔法で瞬時に相手の一物を攻撃! ですよね!」
「そうよ!」
「「それはあくまでも最終手段だからな……」」
拳を握って力強く頷くお母様の後ろで、お父様とお兄様は青い顔をして股間を押さえていた。
そんな会話をしているうちに遂に時間がきてしまい、お父様に連れられて、私は式場に足を踏み入れる。扉を開けた途端、威圧や嫌悪の視線が私達に向けられた。列席しているケリー公爵家のものだ。
(全く。自分達だって王命に従う事を選んだのだから、こちらに八つ当たりしないで欲しいわ)
実は今日この場で初めて両家が一堂に会するのだ。何でも国王陛下から政略結婚の命が出た夜、ケリー総帥がこの話を持ち帰ると、父親であるケリー公爵が憤りのあまり倒れてしまって、事前の顔合わせどころでは無くなってしまったのだとか。おまけにこの結婚を機に、ケリー公爵が持っていたモルガン伯爵位をケリー総帥に譲るとかで、その手続きでも忙しかったらしい。
結婚式にもかかわらず、今にも両家の戦いの火蓋が切られそうな緊迫した空気が漂う。だけど、この場には政略結婚の言い出しっぺである国王陛下もご列席くださっているのだから、流石にそんな事は無いと思いたい。
不安を抱きながら、私はお父様からケリー総帥、じゃなかったモルガン総帥に引き渡され、並んで神父様の前に立つ。
「マーク・モルガン。貴方はこの女性を妻とし、生涯愛し抜く事を誓いますか?」
「……誓います」
「エマ・ベネット。貴女はこの男性を夫とし、生涯愛し抜く事を誓いますか?」
「……誓います」
両者共全く気持ちが籠っていない誓いの言葉を述べる。とんだ茶番だ。
「では、誓いの口付けを」
神父様に促され、私達は向き合う。モルガン総帥が私のヴェールを上げ……そして固まった。
(……?)
私のヴェールを上げたまま、目を見開いて硬直してしまったモルガン総帥を見つめる。待てども待てどもモルガン総帥がキスをしてくる気配が無い。
(これはあれか。そんなに私と誓いの口付けがしたくないという事か)
気持ちは分かる。私だってこんな相手とキスなんてしたくない。だけど今は国王陛下だってお越しくださっている結婚式の真っ最中なのだ。いい加減覚悟を決めてこの場に臨んでいるのではないのか。
じりじりと時間だけが過ぎ、一向に動こうとしない新郎に、列席者達もざわつき始める。
(あーもう、仕方ないわね!)
いい加減待ち切れなくなった私は、モルガン総帥の襟元をガッと掴んでグイッと引き寄せブチュッと唇を合わせてドンッと突き放してやった。
「なっ、な、な……!?」
これで滞りなく結婚式を進められる。そう思ったのも束の間。
驚愕の表情で目を白黒させて口をパクパクさせた新郎は、顔を真っ赤にしたかと思うと、泡を吹いて卒倒してしまった。