29.家族
何とか涙が止まり、私が会場に戻ると、近くに居たアリスお義姉様が、ギョッとした表情で駆け寄って来た。
「エマさん!? どうしたの? 何があったの?」
「え? 何か、とは……?」
「そんなに目を赤くして……! 誰に泣かされたの? 安心なさい。何処の誰だろうと、私が徹底的に叩き潰して、社交界から締め出してやりますわ!」
鬼のような形相で、周囲をギロリと睨んだアリスお義姉様に慄く。美人が怒ると怖いと言うのは本当だったんだな、とこんな時なのに呑気な感想を抱いてしまった。
「エマ、捜していたんだぞ……どうしたんだ!?」
「エマさん!? アリス、一体何が……!?」
「アリス、エマさんが見付かったのか?」
「まあ、エマさんどうなさったの!?」
マークにブレインお義兄様、お義父様にお義母様までわらわらと寄って来て、私を見るなり血相を変えた。
……私、今そんなに酷い顔をしているのだろうか。
「エマ、一体何があったんだ?」
心配そうに私の顔を覗き込んでくるマークの傍らで。
「私が主催する夜会で、私の大切な義娘を泣かせたのは何処の誰だ?」
「良い度胸ですわね。我がケリー公爵家を敵に回して、まさか只で済むとは思っておりませんわよね?」
「エマさんは俺の恩人だと説明した筈ですが、それも理解できない低能が紛れ込んでいたとは残念です」
「私の可愛い義妹を泣かせた方、さっさと名乗り出て来なさいな。今なら半殺しで許して差し上げますわ」
怒りの形相で周囲を威嚇している義実家の方々に、私は慌てて声を上げる。
「ち、違います! お庭に出ていたら目にゴミが入ってしまって、なかなか取れなかっただけで……!」
「エマさん、犯人を庇わなくても良いのですよ」
「え?」
私の言葉は信じてもらえなかったのか、お義母様が振り返ってとても優しく微笑んだ。
「エマさんはもう私達家族の一員です。その大切な家族を泣かせた者を野放しにしておくなど、ケリー公爵家の名折れですわ」
「その通り。ケリー公爵家の総力を挙げて、その者を粛清してくれる」
「だから誤解です、お義母様、お義父様!」
「心配しなくて良いよ、エマさん。二度と手出しなんてさせないから」
「ありとあらゆる手段を用いて、死ぬ程後悔させてやりますわ」
「だから誤解ですってば! ブレインお義兄様、アリスお義姉様!」
私がいくら主張しても、皆様は信じてくださらない。
「ね……ねえマーク! マークなら信じてくれるわよね!? 私が陰でめそめそ泣かされるようなやわな女じゃないって! そんな事されようものなら、反対に再起不能になるまでコテンパンに叩きのめしてやるくらいだって!」
「あ……ああ、うん、そうだな」
流石に長年の付き合いがあったマークだけは信じてくれたようだ。
「父上、母上、それに兄上も姉上も、落ち着いてください。どうやらエマの話は本当で、目にゴミが入っただけのようです。先日俺が紛らわしい事を頼んだばかりに、事態が大事になってしまったようで申し訳ありませんでした」
「あ……あら、本当なの?」
「はい。皆様、私の事を気に掛けてくださってありがとうございます。お騒がせしてしまって申し訳ありませんでした」
戸惑った様子の皆様に深々と頭を下げると、やっと信じてもらえたようで、漸く騒ぎは収まった。一時はどうなる事かと焦ったけれども、皆様に家族だと言ってもらえて、大切にしてもらえていて、嬉しくて胸が温かくなった。
(この分なら、マークと離婚してしまう事になっても、不仲に戻ってしまわないわよね……?)
やがて夜会はお開きになり、お騒がせしてしまったお詫びを告げて、私達は家に帰った。
そして暫くは、何事もなく過ごしていたのだけれども。
「……エマ、やっぱりあの夜会の日、何かあったのか?」
唐突にマークに尋ねられて、私は目を丸くした。
「何かって……どうして?」
「あの日から、何だかお前が変わってしまったみたいだから……。その前までは、俺と話す時は楽しそうな笑顔を見せてくれるようになっていたのに、あの日からは何だか素っ気なくなってしまったし、目も合わせてくれないじゃないか。やっぱり何かあったんだろう?」
「べ……別に何も無いわよ」
「本当に?」
「本当よ」
問い詰めるようなマークの視線に、思わず目を逸らしてしまう。
しまった。これじゃ何かあったと言っているようなものじゃないか。
「エマ。もしお前が何かに悩んでいるのなら、俺に話して欲しい。俺達は夫婦なんだから。お前の為に力になれる事があれば、俺はどんな事でもするつもりだ。俺は、お前にまた笑ってもらいたいんだ」
「マーク……」
思い詰めたように懇願してくるマークの言葉に、私は俯いた。
確かにあの夜会の日から、私は思い悩んでいた。マークと離婚した方が良いのではないかと。
政略結婚の目的はもう達成されたのだから、私達が離婚してしまっても、マークの幸せの為だと理由を十分に説明すれば、両家が不仲に戻る事は無い筈だ。私が結婚前のように魔法研究の時間を十分に取れない事に耐えかねた、と言う噂でも流しておけば、マークの名誉にも傷が付かず、再婚もしやすいに違いない。マークも私が相手でなければ、再婚した人と幸せな家庭を築いて、長年の夢を叶えられる……。
全てが丸く収まる筈なのに、私がそれをどうしても望めない。
(マークを好きになってしまったから……。だけど、本当にマークの事を想うなら、私から解放してあげないと……)
頭では分かっているのに、感情が邪魔をする。
マークともっと一緒に居たい。このままずっと一緒に暮らしていたい。この結婚は王命なのだし、マークだって従ったのだから、離婚までしてしまう必要はないんじゃないか……。
そう訴え掛けてくる気持ちに無理矢理蓋をして、私はマークに向き直った。
「……マーク。来週、お兄様とララの結婚式が終わったら、話を聞いてもらえるかしら?」
「ああ! 勿論だ!」
ぱっと顔を輝かせたマークの嬉しそうな笑顔を、私は目に焼き付ける。
(お兄様達の結婚式には、既に私達二人共夫婦として招かれてしまっているもの。私達が離婚してしまっていたり、お互いにぎくしゃくしてしまったりして、主役の二人に気を遣わせるような事になってしまったら、折角の晴れ舞台に水を差してしまうわ。……だから、後少しだけ。もう少しだけ、マークの側に居ても良いよね……?)
我ながら往生際が悪いと自嘲しながらも、まだ来週まではマークの妻でいる必要があるのだからと言う大義名分を盾にして、私は残り少ないマークと一緒に過ごせる貴重な時間を、大切にしようと心から思った。




