28.マークの幸せ
「エマさんには本当に感謝しているんだ。最近は身体を動かしても少々無茶をしても、以前みたいに寝込まなくて済むから、色々できる事が増えたし、やりたい事もできて。毎日がとても楽しいんだ」
「そうなのですね。それは良かったですわ」
「今は魔法を練習しているけれども、なかなか難しいね。エマさんは魔法が得意なんだろう? 尊敬するよ」
「ありがとうございます。ですが、魔力の流れを調節できるようになられたのですから、ブレインお義兄様も練習を重ねれば、きっと魔法を使えるようになりますわ」
「ありがとう。頑張るよ」
以前よりも明るく前向きになられたブレインお義兄様に、私は顔を綻ばせる。
ダンスのリードもマーク程ではないが、力強くて安心できる。きっとこちらも練習を積まれたのだろう。すっかり健康体になられたブレインお義兄様に、私は心から安堵した。
……この分なら、私はケリー公爵夫人にはならずに済みそうである。ブレインお義兄様には是非、末永くお元気でいてもらわないと。
曲が終わり、ブレインお義兄様に一礼して別れる。マークの方に目を向けると、誰かに話し掛けられているようだった。久し振りに会う人もいるだろうから、邪魔をしないでおこうと思い、私は食事スペースに移動する。
流石はマークの実家のケリー公爵家の夜会だ。お肉が美味しくてついつい食べ過ぎてしまう。コルセットのせいですぐに満腹になってしまった私は、会場を抜け出してお手洗いを済ませ、戻る途中で、庭に出ているマークを見掛けた。
(話は終わったのかな?)
それならばマークの所に行っても構わないだろうと、私は会場を通って庭に出た。見慣れない夜の庭に戸惑いながらも、マークを見掛けた方向に足を進めていると、話し声が聞こえてきた。
「……マーク様が、あまりにお可哀想で。私が慰めて差し上げたいのです」
私は思わず足を止めた。
「丁重にお断り致します」
マークの硬い声が聞こえて、私は音を立てないように、そうっと声がする方に近付いて、木陰から覗き込んだ。暗くて良く見えないが、マークと……、一緒に居るのは女性のようだ。
「だって、あんまりではありませんか! 敵対していた、好きでもない、あんな女と結婚させられるだなんて! マーク様の国王陛下への忠誠心はご立派ですが、マーク様のお気持ちを思うと、胸が張り裂けそうですわ!」
「俺の妻を貶めないでください。それに、俺の気持ちを勝手に決めないでいただきたい」
「それくらい分かりますわ! 私は勿論の事、他のどんなご令嬢が想いを寄せてもお断りされる程、マーク様には心の底からお好きな方がいらっしゃったではありませんか! だからこそ私は、マーク様の幸せを願って、身を引く事に致しましたのに! こんな事になってしまうのでしたら、身を引くべきではありませんでしたわ! あんな女よりも、私の方が絶対にマーク様を幸せにできます! どうか私をお側に置いてください!!」
「お断りします。俺は今幸せなのです。貴女の気持ちに応える事はできません。貴女もいい加減に俺ではなく、他の男に目を向けて、自分が幸せになる方法を考えるべきです。それでは」
「そんな……! お待ちください、マーク様!!」
私は息を殺して、会場の方に遠ざかって行く二人の足音を聞いていた。
(……やっぱり、マークはモテるんだ……)
ズキリ、と胸が痛む。
あの女性は、マークの事が好きだけれども、マークの幸せを願って身を引いたと言っていた。マークが他の令嬢を断ってまで好きな人と言うのは……、きっとあの『幻の令嬢』の事だろう。マークと彼女が結ばれて、二人が幸せになる事を陰ながら祈っていただろうに、私なんかがマークと結婚してしまったから、あんなに憤っていたのだ。
マークは今幸せだと言っていたけれども、それは建前に違いない。マークの夢は、『お互いに愛し愛される、温かい家庭を築く』事だ。私とマークの中は大分良くなってきたと思うけれども、『お互いに愛し愛される』には程遠い。だって結婚して以来、私達はキスの一つもしていないのだから。
『貴女にマークの夢を叶える事が、本当にできて?』
何時だったか、お義母様に問い詰められた事が、脳裏に蘇る。
マークは私の事は大事にしてくれているけれども、『幻の令嬢』を一途に何年も思い続けてきたのだから、今でも心の中にはその想いが残っている筈。清楚で可憐で妖精のような美しいご令嬢とは似ても似つかない、元々顔を合わせれば必ず口喧嘩に発展する程の犬猿の仲で、王命で政略結婚させられただけの形だけの夫婦で、何かにつけてはマークよりも魔法研究を優先させてしまう私を、マークが愛してくれるなんて事は……、今も、これからも、多分有り得ない。
それに私は、どうしたって魔法研究を捨てられない。こんな私が、マークの望む『温かい家庭』なんて築けるとはとても思えない……。
……私には、きっとマークの夢は叶えられない。
(だったら、本当にマークの幸せを願うなら……、私も彼女みたいに、身を引くべきなんじゃないかしら。以前、マークに愛人を提案したら激怒していたから……、離婚、が一番良いのかも知れない。この政略結婚の目的である、私達、ひいては両家の不仲の改善については、既に十分に達成できているだろうから、私達が今後は二度といがみ合わないと誓約すれば、国王陛下だってきっと離婚に理解を示してくださるわ。そうしたら、今度こそマークが『幻の令嬢』を捜し出して、『お互いに愛し愛される』夫婦になって、『温かい家庭』を築いて、幸せになれるかも知れないし、『幻の令嬢』が見付からなくても、あの女性のように、マークを愛している人と結婚すれば、少なくとも今以上にマークは幸せになれる筈……。嫌っていた私にもあんなに良くしてくれるマークの事だもの。きっとすぐに新しい奥さんになった人を、愛するようになるに違いないわ……)
ぽたり、と足元に雫が落ちて、私は何時の間にか自分が泣いている事に気付いた。
お義母様に指摘されてからは、マークと本当の夫婦になりたいと思った。マークの夢を叶えてあげたいと思った。私なりに、マークと仲良くなれないかと頑張ってはみたけれど……、多少は仲良くなれても、マークに愛してはもらえない。お互いに嫌い合っている状態から始まったのだから、時間が掛かる事は覚悟していたけれども、この先もどう頑張っても望みなど無いと漸く思い知ったのなら、早めに別れた方が、マークの為になるのではないだろうか……。
何故かぽろぽろと涙が止まらなくなって、私はポケットからハンカチを取り出し、広げて両目に押し当てる。
王命で結婚したとは言え、マークは本当に良くしてくれた。いつも私を気遣ってくれて、優しくしてくれて、微笑んでくれて。私が集中していてもマークの声には反応できる事が分かってからは、毎日研究所まで足を運んでくれたり、魔法以外の事に関しては無頓着な私に代わって、真剣に考えながらドレスやアクセサリーを贈ってくれたり、生理の時は一日中腰を温めてくれたり。最近デートするようになったけれども、マークが私の好きそうな場所ばかり選んでくれるものだから、何処に行っても楽しかった。
マークと別れたら、結婚前のように大好きな魔法研究に没頭する日々に戻るだけなのに、何故かその生活が虚しく思える。
(もっと、マークと一緒に居たかった。仲良くなって、本当の夫婦になりたかった。マークに、愛されたかったな……)
何時の間にかマークの存在が大きくなり過ぎていた事に漸く気付いて、私は自嘲する。
(私、何時の間にかマークの事、好きになっていたんだわ……。嫌だな、もう。今更自分の気持ちに気付いた所で、想いが叶う訳無いじゃない……)
涙が完全に止まるまで、私はしゃくり上げながらも、声を殺して泣いていた。




