27.実家からの招待状
その夜、俺はなかなか寝付けなかった。
今日のデートを、俺は一生忘れないだろう。植物園で薬草を前にとても楽しそうにはしゃいでいたエマ。昼食のデザートのゼリーや桃のケーキを美味しそうに食べていたエマ。そして何よりも、手を差し出したら応じてくれて、手繋ぎデートをしてくれたエマ。小さくてほっそりとしていて柔らかいエマの手を握って街中を歩く事ができ、俺は念願叶って嬉しくて舞い上がってしまった。魔道具店ごと買い上げてエマにプレゼントしたくなったくらいだ。エマが魔道具から作者の才能を見出していたのも凄かった。店長の娘さんが作ったと言うオルゴールや、家のあちこちに置いた小箱を見る度に、エマも今日の事を思い出してくれるだろうか?
暫くの間、俺は今日の出来事を思い返して喜びに浸っていたが、ここ数日は睡眠時間を削ってデートコースを考えていた影響が出たのか、何時しか幸せな気分のまま眠りに就いていた。
「おはよう、マーク」
翌朝、いつも眠そうに目を擦りながら食堂に現れるエマが、珍しくすっきりと目覚めた様子で朝食の席に着いた。
「おはよう、エマ。昨夜は良く眠れたのか?」
「ええ、そうね。後、ローズに起こしに来てもらう時に、オルゴールを使ってもらえるようにお願いしたからかも。まだ一日目だから分からないけど、いつもよりは寝起きが良くなった気がするわ」
「そうなのか。それは良かった。良い買い物をしたな」
「本当ね。ありがとう、マーク」
「どう致しまして」
朝からエマと微笑み合いながら食事をするができて、俺は密かに幸せを噛み締めた。
エマは相変わらず休日には魔法薬作りに勤しんでいるが、月に一、二度くらいの頻度で、俺達は二人で出掛けるようになった。博物館で魔石と魔道具の特別展が開催されると聞いてはエマを誘って見に行ったり、新しい魔法薬店ができたと聞いては一緒に出掛けたり。エマの方から、また例の魔道具店に行きたいけれども一緒に来るか、と視線を逸らしつつも頬を染めながら誘ってくれた時は、天にも昇る気持ちだった。以前よりも、確実にエマとの距離を縮められているのではないかと思う。
エマも、今では俺に少しくらいは好意を持ってくれているのだろうか?
夏も終わりに近付き、秋の訪れを感じ始めてきた頃、その招待状は届いた。
「ケリー公爵家主催の夜会か……」
エマの魔法薬作りを手伝う手を止め、サイラスから渡された実家からの招待状を手に、俺は渋面になる。
毎年当然の如く出席してきた両親主催の夜会。今年は結婚した事もあり、エマと二人での出席を望まれている筈だ。だがエマはただでさえ夜会嫌い。おまけにエマからしてみれば、ケリー公爵家と親しい人々ばかりが集まるこの夜会に出る事は、敵陣に飛び込むようなものだろう。だからと言ってエマを置いて俺一人で出席すれば、やはり俺達の仲を疑われたり、エマの陰口が叩かれたりしかねない。やはりここは他の夜会同様、夫婦揃って欠席した方が無難だろう。
「どうしたの? マーク」
招待状と睨めっこしている俺に気付いたのか、エマが手元の招待状を覗き込んで来た。
「あら、ケリー公爵家からの招待状なの? 流石にこれは出ておいた方が良いわね」
「え?」
あっさりと出席を表明したエマに、俺は拍子抜けする。
「……エマ、そう言ってくれるのは嬉しいが、夜会にはケリー公爵家と親しい人々ばかりが集まるんだぞ。未だにお前に敵意を抱いている者が居ないとも限らないのだから、無理して出席する必要は無い。父上と母上も、ちゃんと説明すれば分かってくれる」
「でも断ってしまって、後々お義父様やお義母様と気まずくなってしまったら嫌だわ。折角良い関係を築きつつあるのだもの。それに、逃げていたら何時まで経っても同じ事の繰り返しじゃない? 何時までも逃げ続ける事なんてできないのだから、どうせならさっさと出ておいた方が面倒事を後回しにせずに済むわ」
「そ……それはそうだが……」
俺が渋っていると、エマはにこりと微笑んだ。
「私の事なら心配してくれなくても大丈夫よ。私を誰だと思っているの? もし喧嘩を売られても、きっちり倍にして返してやるわ」
「あ、ああ、お前なら大丈夫だったな……」
ニヤリと笑うエマに、俺は引き攣った笑みを返す。
長年俺と張り合い、どちらかと言うと俺の方が悔しい思いをする事が多かった程だ。エマなら何かあっても大丈夫だろう。それに、そうなる前に俺がエマを守れば良いだけの話だ。
あまり気乗りはしなかったが、エマがそう言ってくれるのならと、俺は出席の返事を送る事にした。
そして夜会までの間に、俺はできる限りの準備をした。エマに俺の色の新しいドレスやアクセサリー等を贈るのは勿論の事、家族や友人にエマの事を気に掛けてもらえるように頼んだ。皆快く頷いてくれ、中でも兄上は、自分が健康になれたのはエマのお蔭だから、出席者に挨拶する時にでも釘を刺しておく、と心強い返事をくれたのだった。
遂にその日がやってきて、俺達は夜会に臨んだ。
「凄い盛況ぶりね。流石はケリー公爵家だわ」
会場に集まった大勢の人々に感心するエマ。俺にとってはいつもの光景だが、初めて出席するエマは物珍しそうに辺りを見回している。俺達に気付いた人々の視線を感じるが、どれも様子見と言った所で、敵意は含まれていない事に安堵しつつ、俺はエマをエスコートして、まずは両親に挨拶に行った。
「ご無沙汰しています、父上、母上」
「マーク、エマさん。来てくれたか」
「お義父様、お義母様、本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」
「二人共、元気そうで何よりだわ」
エマに微笑んで歓迎の意を示してくれる両親と、その傍らに立つ兄上に、俺は笑顔を向ける。
「兄上、お身体の調子は如何ですか?」
「ああ、エマさんに紹介してもらった先生のお蔭で、今では自分で魔力の流れをコントロールできるようになったんだ。最近は体調もすっかり良くなって、父上に簡単な稽古をつけてもらったり、魔法を使えるようにならないか練習している所だよ」
「そうでしたか。それは良かったですわ」
「これもエマさんのお蔭だよ。本当にありがとう」
「いいえ、ブレインお義兄様が一生懸命努力なさった成果ですわ」
エマに微笑む兄上は、以前よりも血色が良く、身体付きも良くなったように見える。夜会を欠席しがちだった兄上が、堂々と人前に出られる程回復したのを目の当たりにして、俺は改めてエマに感謝した。
曲が始まり、俺はエマを誘って踊り始める。
「ブレインお義兄様、すっかり良くなられたみたいね。お元気そうで何よりだわ」
「ああ。以前とは見違えるようだ。エマのお蔭だな」
「違うわよ。ブレインお義兄様の努力の賜物よ」
「それでも、エマが原因に気付いてくれなかったら、兄上はきっとあのままで、ここまで回復していなかったと思う。本当にありがとう」
「だから、偶々だってば……」
気恥ずかしそうに視線を逸らすエマが可愛くて、俺は思わず笑みを浮かべる。腕の中のエマが愛おしくて堪らない。唇に……いや、せめて額に口付けたいが、それは流石に嫌がられるだろうか……。
そんな事を考えながらエマを見つめているうちに曲が終わってしまった。名残惜しいが、俺達は夫婦なのだから、続けて二曲目を踊っても誰にも何も言われない。もう一曲踊りたいと申し込んだら……、エマは受けてくれるだろうか?
エマの表情を窺いながら、思い切って口を開こうとしたが、それよりも早く、その声が俺の耳に届いた。
「エマさん、次は俺と踊ってもらえないでしょうか?」
「ええ。喜んで、ブレインお義兄様」
微笑みを浮かべて兄上の手を取るエマに、俺は何も言えず、少しばかり胸の痛みを覚えながら二人を見送る。
「貴方達、以前よりも随分と仲が良さそうに見えるわね。……ねえマーク、貴方は今幸せなの?」
振り向くと、母上と父上が歩み寄って来ていた。
「はい。エマと結婚できて、俺は今、とても幸せです」
はっきりと答えた俺に、両親は少しばかり目を見張ったが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「そう……。貴方が幸せなら、本当に良かったわ」
満足げに微笑む母上に笑みを返して、俺は兄上と踊るエマを見つめた。




