25.賭けの結末
両家を招いての食事会が成功に終わり、安堵ですっかり気が緩んでいた数日後の朝。
「エマ、そろそろ思い付いたか?」
朝食を終えて俺が尋ねると、エマは食後のコーヒーを飲みながら首を傾げた。
「何を?」
「賭けの約束だよ。お前が勝ったんだから、何でも言う事を一つ聞くって言っただろ」
「ああ、そう言えばそうだったわね」
「お前な……。自分で言っておいて忘れるなよ……」
すっかり忘れていた様子のエマに呆れる。
エマの望みは何だろうか。別にこんな賭けをしなくても、エマの願いなら大抵の事は叶える努力をするつもりなのだが。
考え込んでいるエマを見守っていると、やがてエマが口を開いた。
「……ねえ、因みにマークは賭けに勝っていたら、私に何を言うつもりだったの?」
「!?」
エマの言葉に、俺は思わず顔を引き攣らせる。
俺の願いは……下心しかないものだ。恥ずかしくて、顔に熱が集まってしまう。
魔法研究にしか興味がないエマには、普通に頼んでも一瞬で却下されてしまうだろう。だからどうしても賭けに勝って頼みたかったのだが、負けてしまった以上、絶対に口にするつもりは無い。
「お、俺は負けたんだから、言う必要なんて無いだろう!」
「だって全然思い付かないんだもの。マークは何を言うつもりだったのか教えてよ。参考にするから」
「何で俺の望みを参考にするんだ!? ちゃんと自分で考えろ!」
「何よ、言うだけならタダなんだから、教えてくれたって良いじゃない!」
「断る! 負けたのにそんな格好悪い事ができるか!」
俺が断固として拒否していると、頬を膨らませていたエマは、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「良い事を思い付いたわ。賭けの約束、敗者は勝者の言う事を何でも一つ聞かなければいけないのよね。もしマークが賭けに勝っていたら、私に何を言うつもりだったのか教えなさい!」
エマの命令に、俺はギョッとして目を見開く。
「はあ!? お前こんな事に勝者の権限を使う気なのかよ!?」
「そうよ! 観念してさっさと吐いちゃいなさい!」
勝ち誇ったエマが言い放ち、俺は愕然とする。
俺に何でも言う事を聞かせられるのに、何だってこんな下らない事にその権限を使うのだ。何だか頭が痛くなってきてしまった。
だが約束は約束。エマに即刻拒否されようが、白い目で見られる事になろうが、俺は言わなければならない。
「……俺と、デートしてくれって、お前に言うつもりだったんだよ」
「デ、デート?」
やはり予想外だったのだろう。エマは目を点にした。
「俺達はいきなり政略結婚したから、今までデートなんてした事も無かっただろう。だ、だから一度くらいしてみても良いんじゃないかって……思ったんだ」
平日は遅くまで魔法研究、休日はずっと魔法薬作り。エマの生活は、魔法を中心に回っている。
だけど、休日の一日くらい……、ほんの少しの時間くらいは、魔法から離れて、俺と一緒に過ごす時間を作って欲しい、と思っただけだ。
今の俺達は、結婚してからは流石にいがみ合いは無くなったが、夫婦と言っても名ばかりで、寝室だって別々で、ただ生活を共にしているだけの状態だ。ただの同居人から、少しくらいは、それらしい関係に……、いきなりは無理でも、せめてデートをして、手を繋ぐくらいの関係には、なれないだろうか。
(とは言っても、エマはそんな事に興味の欠片も無いだろうけど……)
エマは結婚に興味も無かったし、そもそも俺はエマに嫌われていた男だ。結婚して停戦して、外面はそれなりに取り繕う事はできているけれども、王命でそうせざるを得なかったエマが、内心では未だに俺を嫌悪している可能性は否定できない。
「……良いじゃない。しましょう、デート」
「へ?」
エマの言葉に、俺は耳を疑った。
俺に都合の良い聞き間違いかと思ったけれども、エマは僅かばかり頬を染めて、視線を泳がせている。
「私、デートなんてした事無いもの。どんなものか、興味あるし。い、一度くらいしておいても、良いんじゃないかなって思うし」
(エマと、俺が、デート?)
エマがデートに興味があったとは驚きだ。興味があったのにした事が無いって……俺がエマの初めてのデートの相手になれるという事だろうか? 幸運にも程がある。
エマの気が変わらないうちにと、俺は前のめりで約束を取り付ける。
「そ、そうか。じゃあ、デートするか。こ、今週末はどうだ?」
緊張し過ぎて、上手く口が回らない。
「え、ええ。それで良いわ。……宜しくね」
「こ、こちらこそ」
本当にエマとデートできるだなんて、全く実感が湧かないが、照れているのか、頬を染めて視線を逸らしているエマは、滅茶苦茶可愛かった。
俺とデートしても良いと思ってくれるのであれば、少しくらいは俺に好感を持つようになってくれたと、そう自惚れても良いのだろうか?
夢見心地のまま、夢ならこのまま覚めないでくれと願いつつ、エマと一緒に出勤する。王宮に着いて始業時間になっても、俺は何処か上の空だった。
(エマと、デートか……)
デビュタントの夜会で『幻の令嬢』に一目惚れし、以来ずっと彼女を想ってきた俺も、デートは初めてだ。とは言え、絶対に失敗なんてしたくない。エマとの初めてのデートは、必ず成功させて、二人で楽しい時間を過ごして、またデートをしても良い、とエマに是非とも思ってもらわなければ。
「おーいマーク、手が止まっているぞー」
「あ、すまん」
アランに指摘されて、決裁書類に判を押す手が疎かになっている事に気付き、慌てて仕事に戻る。
「仕事中にぼーっとするなんて、お前にしては珍しいな。何かあったのか?」
「あ、ああ……。今日仕事が終わったら、少し時間を貰っても良いか? 相談したい事があるんだ」
「俺は構わないぞ。それなら何処か個室のある店を予約して、久し振りに飲みながら話を聞こうか?」
「いや、エマを迎えに行かなきゃならないから、ここで良い。手間は取らせない」
「あ、そう。相変わらずの愛妻家だな……」
アランに苦笑されてしまったが、エマは放っておくと平気で徹夜を重ねるのだから、俺が迎えに行かないという選択肢は無いのである。
まあ、俺が好きでしている事で、エマからすればありがた迷惑かも知れないのだが。
何とか早めに仕事を終えて、アランに窮状を打ち明ける。
「今度エマとデートする事になったんだ。絶対に失敗したくない。お勧めのデートコースとか有ったら教えてくれないか?」
「真面目なお前が仕事に身が入らないくらいだから、余程の一大事かと思っていたらそんな事か。真剣に心配して損した」
「そんな事とは何だ。俺にとっては余程の一大事だ」
呆れたように盛大な溜息をつくアランに反論する。
「はいはい、分かったよ。そうだな……最近話題の新作オペラはどうだ?」
「オペラか……。エマは興味無いんじゃないかな? 場内が暗くなった瞬間に寝ていそうな気がする」
「ああそうか、モルガン所長だもんな……。彼女が興味ありそうなものって何だ?」
「魔法に関する事しか思い浮かばないな」
「……。多分、普通のデートじゃ彼女を気を引くのは難しいんじゃないか?」
俺とアランは、揃って頭を悩ませる。
「……そうだ、彼女の兄のベネット副所長なら、何か良い考えがあるかも知れないぞ」
「それだ!」
という訳で、俺はエマを迎えに行くついでに、アラスター義兄上を頼る事にした。
「エマが喜びそうなデートプランだって?」
まだ机に向かって集中しているエマを尻目に、アラスター義兄上に相談したら、目を丸くされてしまった。
「あのエマが、よくデートなんてする気になったな。家族旅行でも魔法に関係する事が無ければ、不満たらたらだったのに」
アラスター義兄上の言葉に、俺の存在が少しはエマに受け入れてもらえたように思えて、嬉しくて照れてしまう。
「えっと、と言う事は、やはり魔法に関係する事を取り入れた方が、エマには喜んでもらえるでしょうか?」
「そうだろうな。服や宝飾品なんかを見に行くよりは、魔石や魔道具を取り扱っている店の方が喜ぶだろうし、薬草がある植物園なんかも良いかも知れない」
「成程! ありがとうございます!」
流石はエマの兄上だ。幼い頃から彼女の事を熟知されているだけの事はある。
その後、エマに声を掛けて一緒に家に帰った俺は、寝支度を済ませてベッドに入り、アラスター義兄上から頂いた意見を取り入れながら、ああでもない、こうでもない、と週末のデートコースを考えるのだった。




