22.キンバリー辺境伯領
「ねえマーク、お兄様、ちょっと提案があるんだけれど……」
国境警備軍との合同訓練が近付いてきたある日、私はマークとお兄様に切り出した。
「もうすぐ合同訓練に出発するけれども、王都からキンバリー辺境伯領までは馬車で一週間近くかかるでしょう? 出発する前は数日徹夜で魔法研究をして、馬車での移動時間を睡眠に当てたら効率が良いなー、なんて思っているんだけど……」
私の提案に、二人共一瞬で苦虫を噛み潰したような顔になってしまった。
「確かにそうかも知れないが、効率の事だけを言うなら、移動時間に騎士団と訓練の打ち合わせをすれば良いだろう。第一、徹夜した後のお前はちょっとやそっとでは起きないんだ。初日の宿に着いてもお前が起きなかったら、誰が面倒を見る? 今回の合同訓練は、俺は参加せずにこっちで留守番なんだ。周囲の迷惑になるだろうが」
「う……それはそうだけど……」
予想通りお兄様に反対されてしまい、私は肩を落とす。やっぱり駄目だろうか。
「……前日にだけ徹夜して、朝馬車に乗り込んですぐに寝たら、夕方宿に着く頃には起きられるか?」
「そ、それなら大丈夫よ!」
マークの質問に、私は勢い良く答える。
「……まあ、それなら良いか……」
溜息をつきながらもお兄様も了承してくださって、私はパッと顔を輝かせた。
「ありがとう! 助かったわ、マーク!」
「お前の頼みを蔑ろにしないと約束したからな。だけど、本当は徹夜なんてして欲しくないんだがな……」
「ごめんなさい。でも本当にありがとう」
遠い目をしているマークに謝りつつも、私の希望に最大限配慮してくれて、一日だけでも許可をくれた事がとても嬉しかった。
そして前日に気合を入れて研究に打ち込んで徹夜した後、私は同行してくれる魔術師達を率いて、マーク率いる第一騎士団と共に王都を出発した。
思惑通り、一日目は出発直後から、宿に着いたと起こされるまでは馬車の中で爆睡した。二日目以降はキンバリー辺境伯領内の魔獣の出現状況を頭に入れたり、どの場所で討伐訓練を行えば最も効果的かをマークと話し合ったり、人員配置を考えたりしながら移動時間を有意義に過ごして、私達はキンバリー辺境伯領に到着した。
「キンバリー辺境伯領へようこそ」
「お久し振りです、キンバリー辺境伯」
国境警備軍の本拠地である砦で、自ら出迎えて下さったキンバリー辺境伯と、騎士団総帥であるマークが握手を交わす。国王陛下の従弟でもあるキンバリー辺境伯は、まだ若いのに相変わらず堂々とした立ち居振る舞いで威厳に満ち溢れている。キンバリー辺境伯の後ろに控えている、顔見知りの隊長さん達も、お元気そうで何よりだ。
「ベネット所長もお久し振りです。何でも国王陛下の命で、お二人はご結婚されたと伺いましたが……」
「はい。夫がモルガン伯爵位を継いだので、マーク・モルガンとエマ・モルガンになりました。今後も宜しくお願い致します」
マークの隣に進み出た私が、マークと目配せしながら笑顔で挨拶すると、戸惑ったような口調だったキンバリー辺境伯は、少し安心したように表情を緩めた。
「こちらこそ宜しくお願い致します。モルガン総帥、モルガン所長。ご結婚おめでとうございます」
「「ありがとうございます」」
お祝いの言葉に二人でお礼を述べる。キンバリー辺境伯領は王都から遠く、情報が入りにくいと聞く。不仲で有名だった私達が結婚したと知って、きっと心配してくれたのだろうと、胸が温かくなった。
合同訓練の間は基本的に砦でお世話になるが、初日の今日は、私とマークはキンバリー辺境伯のお屋敷に招かれて、夕食をご一緒し、そのまま明日の朝まで滞在させていただける事になった。漸くサラ様にお会いできると思うと、期待で胸が膨らんでうずうずしてしまう。
「モルガン所長。妻も貴女にお会いできるのを楽しみにしておりますが、現在妻は身重ですので、あまり無理はさせないでやっていただきたい」
「そうなんですね! おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
サラ様にお会いしたら特殊魔法の話をしたくて暴走してしまう自覚のある私を見越して、先にキンバリー辺境伯に牽制されてしまった。だけどとてもおめでたいお話に、私は目を輝かせる。いくら何でも、私も妊婦さん相手に負担になるまで話し込まない常識はある。……つもりだ。うん。
キンバリー辺境伯邸に着くと、サラ様が出迎えてくださった。
「ご無沙汰しております。遠い所をようこそお越しくださいました」
「お久し振りですサラ様。先程キンバリー辺境伯からご懐妊されたと伺いました。本当におめでとうございます!」
「ありがとうございます。エマ様もご結婚されたと伺いましたわ。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
はにかんだように頬を染めるサラ様は、小動物系で可憐な見た目と相まって、女の私でも思わず庇護欲がそそられる程とても可愛らしい。お腹はまだあまり目立っていなかったが、言われてみると膨らんでいるのが分かる。美形な辺境伯と可愛らしいサラ様、お二人のお子様なら、どちらに似ても絶対に可愛いに違いない。魔力は最強の氷魔法の使い手である辺境伯に似るのか、それともサラ様の特殊魔法を受け継ぐのか、とても楽しみである。
一晩お世話になるお礼に、私特製の魔法薬と、王都で今人気のお店のお菓子を手土産に差し上げたら、とても喜んでいただけた。晩餐の席にご招待いただき、ご馳走に舌鼓を打ちながら、私はサラ様との話に花を咲かせる。
「この間サラ様から頂いたお手紙は本当に助かりましたわ! 魔道具を使って私の魔力を少々変質させれば私もあの特殊魔法を再現できると分かってからは飛躍的に効率が上がって大分研究が進みましてあの幾何学模様を大まかに分類すると恐らくあの幾何学模様の外周部分は魔力を封じて発動まで保持する役割をしていて内部の模様の変化で封じる魔力の種類に特化した物になるのではないかという考えに私は至っているのですがサラ様はお心当たりは無いでしょうか?」
「ええと……そうですね、言われてみれば、外周の部分は書いていても似ているような気が……?」
「やはりそうですか多少の違いはありますけれどもそれは発動条件の違いによるものではないかと私は考えていまして今度はそれを確かめたいと思っているのですがまたご協力いただけないでしょうか!?」
「はい、勿論協力させていただきますわ」
「ありがとうございますサラ様!」
サラ様に快く協力に応じていただけて、私は天にも昇る心地になる。
「サラ、協力するのは良いが、あまり無理はするな」
「はい。大丈夫ですセス様。悪阻ももう落ち着きましたから」
「サラ様、余裕があればで構いませんからね。お子様の事を第一にしてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
サラ様の嬉しそうな微笑みに、私の心が癒されていく。キンバリー辺境伯もサラ様をとても大切にされている事が一目瞭然だし、お二人を見ているだけで、何だか私まで幸せな気分になってしまう。とてもお似合いのご夫婦だ。
「エマ、研究について語りたい気持ちは分かるが、キンバリー辺境伯夫人にあまり負担をかけるなよ」
「分かっているわよ。一応これでも必要最小限の事柄に絞って、語りたい事の三割程度に留めているんだからね」
「それで三割程度なのか……」
「語って良いならもっと羽目を外せるわよ?」
「いや、頼むから止めてくれ」
呆れたように頭を押さえるマークを半眼で睨んでいると、サラ様がくすりと笑われた。
「お二人はとても仲が良いのですね」
「えっ、何処がですか!?」
反射的に訊き返してしまった。驚きのあまり、少々大きな声になってしまったのは大目に見てもらいたい。
「お二人で軽口を叩き合っておられて、何だかお互いに信頼し合っていらっしゃるのだなと思いまして。ほら、喧嘩する程仲が良いと言いますし」
「いやあの別に私達はそう言う訳じゃ……」
苦笑して言葉を濁しつつ、マークも何とか言ってよと思いながら見遣ると、何故かマークは顔を真っ赤にしていた。
(ちょっと待ってよ何よその反応。これじゃますますサラ様に誤解されてしまうじゃない。……いや、私達の仲が良いと思ってもらえる方が良いんだっけ? えっこれどうしたら良いの!?)
何だか居心地が悪くて、私まで顔に熱が集まってしまう。
「その様子だと、お二人は本当に上手くいっているようですね。以前は不仲だと伺っていましたが、案外似た者夫婦で相性が良かったのでしょうか?」
(あああキンバリー辺境伯まで……!)
「……そうだったら嬉しいですね」
(ちょっとマークったら何を言っているのよおぉぉ!?)
にこにこと楽しそうな笑顔を見せるキンバリー辺境伯夫妻と、照れたように笑うマークに、私はもう何を言って良いのか分からず、只管料理を口に詰め込む事にした。




