18.激昂
マークと仲直りしてからというもの、以前よりもマークとの会話が増えてきた気がする。
「あれ、マーク昨日もステーキ食べていなかったっけ?」
魔法研究所の食堂のテーブルに着き、相変わらず胸焼けがしそうな程の量の料理が並べられたマークのトレーを見て、私は呆れながら尋ねる。
「ああ、昨日はサーロイン、今日はリブロースだ。因みに明日はヒレにする予定だ」
「あんたステーキ好きね……」
私からすれば全部同じステーキだが、マークにとっては違うらしい。ご満悦の表情でステーキを平らげていくマークを見ながら、私はパスタをフォークに絡めて口に運ぶ。
「そうだな。俺は肉なら何でも好きだが、やっぱり一番はステーキだな。エマは何が好きなんだ?」
「私は別に、お腹がいっぱいになれば何でも構わないわ」
「身も蓋も無い奴だな……」
マークに呆れたような視線を向けられる。
「……まあ、強いて言うなら甘い物かしら? 疲れた時は何となく食べたくなるのよね」
「そうなのか」
そんな会話をしてからは、時々昼休憩の際に、マークがデザートと称してお菓子を差し入れてくれるようになったり。
「エマ、今日も魔法薬を作るんだろう? モルガン伯爵としての仕事も一段落したから、手伝うよ」
「あら、ありがとう。でも折角のお休みなんだから、マークも自分の好きな事をしても良いのよ? 何か趣味とか無いの?」
「俺の趣味は筋トレだけど、毎日早朝に済ませているよ。トレーニングが終わってシャワーを浴び終わった頃に、漸くお前が起きてくるんだ」
「知らなかった……」
「だろうな。お前は朝が弱くて、中々起きて来ないもんな」
目を丸くする私に、マークが苦笑する。
「以前は休みの日には、父上に稽古をつけてもらったり、兄上の領地経営の補佐をしながら勉強したり、母上や姉上の外出に護衛ついでの荷物持ちで連れ出されたりするだけだったから、特にやりたい事も無いんだ。それにエマの手伝いをしていたら、自然と薬草の事が分かるようになってきて、仕事の役に立つなって思ってさ」
「そう。じゃあ今日もお願いするわ」
なんて言って微笑み合ったり。
「エマ、今度夏服を新調しようと思っているんだけど、お前も一緒にどうだ?」
「え? 別に今ある服で十分だけど……」
「服くらい二、三着増えても困らないだろう。何か希望はないか? 好きな色とか」
マークに言われて、私は首を捻る。
「特に無いわね……。好きな色は黒だけど」
「黒?」
「汚れが一番目立たないじゃない」
「そういう基準かよ……」
呆れたような眼差しを向けてくるマーク。
「因みにマークの好きな色は?」
「俺? 俺は赤が好きだけど、最近は黒と緑も好きだな」
なんて言いながら、マークに優しく微笑まれて、ちょっとドキッとしてしまうような事があったり。
他愛も無い事だけれども、マークの事が少しずつ分かってきたような気がする。それに伴って、ほんの少しだけども、マークとの距離も縮まってきたような……。気のせいかも知れないけれども、そうじゃなかったら良いな、とは思う。
このまま穏やかな日々が続けば良いな、と思っていたのだけれども。
「エマ、帰るぞ!!」
いつものようにマークに呼び掛けられて、私ははっと気付いて顔を上げた。時計を見ると、確かに定時は過ぎている。
普段ならこのままマークと一緒に帰る所だけれども、手元の紙は幾何学模様をもう殆ど描き終わっている。後十分……いや五分もあれば完成するので、これだけ仕上げてしまいたい。
「マークごめん、後ほんのちょっとだから、少しだけ待っていてくれないかしら?」
「駄目だ! 続きは明日にして、今日はもう帰れ」
お兄様にペンを取り上げられてしまって、私は憤慨した。
「お兄様! 良いじゃない、本当に後少しだけだから!」
「駄目と言ったら駄目だ。お前の事だから、そのまま集中して次に取り掛かってしまうだろう」
「そんな事無いわ! 後五分だけ、この一枚を終わらせたら、ちゃんと帰るから!」
「お前の『後五分』は信用できない」
私が何を言っても、お兄様は聞いてくれない。
「モルガン所長、折角旦那様がお迎えに来てくださったのですから、一緒に帰ってあげたらどうですか?」
「そうそう! 愛する奥様と離れたくない旦那様の気持ち、分かってあげてくださいよ!」
「だ、だからそんなんじゃないって……!」
部下達の揶揄いに、私は困惑する。
『愛する奥様』だなんて、マークにとって私はそんな存在じゃない。
マークが好きなのは『幻の令嬢』だ。四年も好きだった女性の事を、そう簡単に忘れられる筈が無い。
そう思った途端、何だか暗く重たい気持ちが、私の胸を占め始めた。
「エマ、帰ろう」
差し出されたマークの手を、私が取れずに俯いていると。
「エマ、我儘を言うな。今日はもう帰れ」
お兄様の言葉に、私はカチンときてしまった。
「我儘ですって? 後五分待って欲しいっていう些細なお願いが、私の我儘だって言うの!?」
マークが迎えに来たら帰る。それは夜を徹して魔法研究に没頭する事が日常茶飯事だった私にとって、お互いが歩み寄る為に私なりに譲歩した事だったのに、何時の間にかそれが当然になってしまったのだろうか。後五分、後一枚だけ、これだけ仕上げれば帰ると約束しても、全く聞き入れてもらえずに、私は黙って従わなければならないのだろうか。
普段の私であれば、文句を言いながらも渋々受け入れていたかも知れない。仕方ないから明日にするか、なんて気持ちを切り替えて、マークと一緒に帰っていた事だろう。
だけどこの時、何故か私は、苛立ちを抑え切れなかった。膨れ上がった怒りが、一気に暴発する。
「私だって色々と我慢してそっちの言う事を聞いているんだから、偶には私の言う事だって聞いてくれたって良いじゃない!!」
本当は今まで通り昼夜問わずに魔法研究に没頭したくて。だけど王命に従って結婚した以上は、国王陛下の意に沿う為にも、家でマークと一緒に過ごす時間を作って。休日も出勤したい欲求を抑えて、魔法薬作りで我慢して。
私のライフスタイルが、常識から外れている事は分かっている。だからマークの呼び掛けには反応できる事が分かって、渋々ながらも生活習慣の矯正を受け入れた。
だけど、私だって我慢して色々と言う事を聞いているのに、私の小さなお願いには聞く耳を持ってくれないと言うのか。そんな不平等な関係になんて、我慢してまで付き合っていられるか!
「私の意見をちっとも聞いてもらえずに、そっちの主張を押し付けてくるだけなら、私だってもう大人しく従う義理は無いわ!!」
「エマ!?」
私がやろうとしている事を察知したのだろうか。お兄様が顔色を変えるが、もう私の知った事ではない。
怒りに身を任せて、結界魔法を展開する。私の身の丈に合わせた小規模な遮音効果付きの結界の中で、私は一人、深く息を吐いて気持ちを静めた。
静かだ。この結界の中では、周囲の音は一切聞こえない。マークでさえどれだけ叫ぼうと、その声が私の耳に届く事は無い。魔法研究に集中するには、これ以上無い環境だ。
私は机に戻り、再度紙とペンを取り出す。静まりつつある怒りに代わって胸を占め始めた空虚な気持ちは、文字の続きを書いて幾何学模様を完成させる作業にのめり込み始めると、あっと言う間に感じなくなっていった。




