14.嫁と姑
「本当なの、ブレイン!?」
「はい、母上! とても楽になりました!」
「良かったわね、お兄様!」
「兄上……! ありがとう、エマ!」
「本当にありがとう! エマさんのお蔭だ! 何てお礼を言ったら良いか……!!」
喜びに沸くケリー公爵家の面々を制して、ケリー公爵が私に頭を下げた。
「エマさん。息子を治療してくださった事、心より感謝する」
感謝する、という言葉の割には、相変わらず威圧感が凄い。
だけどここまでくると、漸く私にも分かってきた。これがケリー公爵の通常状態なのだと。
私だけでなく、妻や子供達に対しても威圧感丸出しの強面の顰めっ面。以前夜会で『誰に対しても態度は変わらん』と言っていた時は、ただの言い訳だと思っていたけれども、どうやら本当の事だったらしい。紛らわしいので、少しは作り笑顔を浮かべる努力くらいはして欲しい……と思ったが、よく考えたら笑顔のケリー公爵の方が余程恐ろしそうな絵面になる気がしたので、これはもう何も言わずに私が慣れるべきだと判断した。
「いいえ、魔術師として当然の事をしたまでですわ。……それに、申し上げにくいのですが、今回の処置は一時的なものです。早ければ数日、長くても半月から一ヶ月程度で、再び魔力の流れが滞り始め、体調は元に戻ってしまうものと思われます」
「えっ……そうなのか……」
明らかに肩を落とすブレイン様に、私は微笑む。
「ですが安心してください。ブレイン様の体調不良は魔力の滞りが原因だと確定しましたので、先程も申し上げた通り、魔力の流れに詳しいお医者様を紹介致しますわ。その方に定期的に魔力の流れを整えていただく事もできますし、指導してもらって訓練すれば、ブレイン様がご自分で魔力を調節できるようにもなると思います」
「ほ、本当に!?」
「はい。それにブレイン様は、中級程度の魔法なら問題無く使えるくらいの魔力をお持ちですわ。ご自分で魔力の操作ができるようになれば、練習次第では、簡単な魔法も使えるようになる可能性は十分にあります」
「お、俺が魔法を……!?」
ブレイン様は戸惑いながらも、その目は希望に満ち溢れていた。
「……貴女、それは本当なのでしょうね? 私達に下手に期待を持たせて、後で間違いでした、なんて言うのではないでしょうね?」
ケリー公爵夫人が不安げな視線を向けてくる。私に対する疑念、というよりも、純粋に子を心配する母親のもののように思えた。
「勿論です。ベネット公爵家の人間は、魔法に関する事柄には、どんな事があっても絶対に嘘は言いません」
ケリー公爵夫人の目を見ながら、胸を張って断言すると、目を見開いた夫人は、やがて小さく頷いて目に涙を浮かべた。
「そう……そうだったわね……。ありがとう」
小さく呟かれたお礼の言葉に、私は微笑みを浮かべて頷いた。
その後に行われたお茶会は、思っていたよりも楽しいものになった。
「流石はエマだな。兄上が長年悩まされていた体調不良の原因を、あっと言う間に見抜いてしまうなんて」
「そうね。今まで色々なお医者様に診てもらったのに、皆何処も悪くないし、お兄様の体質だとしか思えないって口を揃えていたもの」
マークとアリス様が持ち上げてくれるのは嬉しいが、私一人の手柄ではない。
「魔力が原因の不調は、一般のお医者様では専門外ですから気付かれにくいものなのです。それに今回私が原因に気付けたのは、そのお医者様方の診断があったからですわ。ブレイン様がご病気ではないと診断されていて、且つ私の魔法薬でも完璧に回復されなかったという二点の要素が揃ったからこそ、魔力の流れが原因なのではと思い至る事ができたのですから」
「そう……。では、色々なお医者様に診ていただいたのは、決して無駄ではなかったのね……」
小さく呟いて紅茶を啜るケリー公爵夫人は、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「はい。私は魔術師で、病気に関しては専門外ですから」
きっとケリー公爵夫人は、愛情深い方なのだろう。ブレイン様の体調不良を治そうと、色々なお医者様を手配していたようだし、私に突っかかってきていたのも、私が嫌いだからではなくて、ブレイン様を心配し、守ろうとしていたからだと思いたい。
ケリー公爵家にはあまり良い印象を持っていなかったけれども、思っていたよりも良い人達みたいだし、嫌われていなかったら良いな、と思いながら、私も紅茶を頂いた。
やがてお暇する時間になり、私は帰る前にお花を摘みに行かせてもらった。
(思っていたよりも過ごしやすかったわ。これなら、今後も何とかやっていけそう……)
義実家に受け入れられた手応えを感じて安堵しながらお手洗いから出た所で、ケリー公爵夫人が待ち構えていた。ギョッとした私は大慌てで外れかけていた淑女の仮面を貼り付ける。
「エマさん、少し良いかしら」
お手洗いに近い部屋に案内され、ケリー公爵夫人と向かい合わせに座る。
「こんな所で何だけど、まずはお礼を言わせてちょうだい。……ブレインの事、本当にありがとう」
「い、いいえ、気にしないでください」
深々と頭を下げる公爵夫人に戸惑っていると、公爵夫人は頭を上げて私を見据えた。
「だけど、マークの事はまた別ですわ。貴女は本気で、マークを幸せにする覚悟はありますの?」
私の心を見透かそうとするような公爵夫人の視線に、私は生唾を飲み込む。
「……今はまだ、私達は結婚したばかりで、お互いを知りながら、何処まで歩み寄れるか探り合っている段階です。これからの事は、まだ何もお約束する事はできません。ですが、マークは私にとても良くしてくれています。ですから、私もマークに不幸になって欲しくはありません」
答えになっているか分からないけれど、これが今私に答えられる精一杯だ。
結婚する前は兎も角、今のマークは、本当に私に良くしてくれていると思う。魔法研究を邪魔されるのは嫌だけれども、そのお蔭で私は今までよりも食事と睡眠をしっかり取るようになり、体調が良くなって仕事の効率が上がっている自覚はある。休日は自分の好きな事をすれば良いのに、マークはモルガン伯爵としての仕事の合間に、薬草の収穫や魔法薬作りを手伝ってくれている。反発する事はあるけれども、マークが私に歩み寄ってくれているのが分かるから、私も今までのように魔法研究に全ての時間を費やす事はせずに、マークに促されるまま、昼食を摂ったり一緒に帰宅したりしているのだ。
……そう考えると、私なりに歩み寄っているつもりではいたけれども、まだ不十分だったかな、という気がしてしまった。
「……マークは昔から、ブレインの分まで期待を背負わされても、文句一つ言わずに血の滲むような努力を重ねる良い子だったわ。決して多くを望まないあの子のささやかな夢は、お互いに愛し愛される、温かい家庭を築く事なの。親として、その夢は絶対に叶えてあげたいと思っていたのだけれど、マークが『幻の令嬢』を捜し出す前にこんな事になってしまって……」
(『幻の令嬢』……?)
その言葉には聞き覚えがあった。確か先日の夜会で会ったランドルフ第二騎士団長が、その言葉を口走っていた気がする。
「国王陛下も評価されている貴女の魔法の才能は、確かに素晴らしいものだわ。だけど、魔法研究所所長という重責ある立場で、騎士団総帥の妻も務められるのかしら? 貴女にマークの夢を叶える事が、本当にできて?」
「それは……」
ケリー公爵夫人に問い詰められて、私は漸く自覚した。
私はまだ、本当の意味でマークの妻になるという事が分かっておらず、覚悟ができていなかったのだ。国王陛下に職を保障していただき、マークと表立っていがみ合わず、それなりに仲良くやっていければそれで良い……。その程度の認識しか、持っていなかった。
『行く行くは……、できる事なら、お前と本当の夫婦と言える関係になりたいんだが』
結婚式の翌朝に、何処か思い詰めたようにマークが言っていた言葉を思い出す。
きっとマークは、あの時既に、私と夫婦になる覚悟ができていたのではないだろうか。彼と比べて、自分の未熟さを思い知らされたような気がした。
「……それは、やってみなければ、分かりませんわ」
ケリー公爵夫人の厳しい視線の前で、私はそう強がる事しかできなかった。




