12.鈍感な女
会場の隅に移動して、渇いた喉を潤し、隣に立つエマを見遣る。
俺と同じく喉を潤して、美しい淑女の微笑みを浮かべるエマは、紛れもなく俺があの日目にした『幻の令嬢』そのもので、うっかり俺は見惚れてしまった。
「……どうしたの? ぼーっとして」
怪訝な表情を浮かべたエマに指摘されてしまい、俺は慌てる。
「あ、いや、さっきはあんな事があったから、お前が気分を害していないかと思って……」
「気にしなくて良いってば。遅かれ早かれ、挨拶には行かなきゃならなかったでしょうし。思っていたよりも少し早くなってしまっただけだわ」
「それはそうだが……」
今まで自分達を敵視していた家に赴かなければならないエマの心境を考えると、俺は居た堪れなくなるが、エマは全く気にしていないようだ。戸惑っていると、後ろから声を掛けられた。
「マーク、こんな所に居たのか」
「ああ、アランか」
声の主は俺の親友で腹心の部下のアラン・ランドルフ第二騎士団長だった。ケリー公爵家とランドルフ侯爵家は昔から交流があって仲が良く、俺の姉と彼の兄が結婚している。
「お前、相変わらず結婚してもモテるんだな。そちらの美しいご婦人を俺にも紹介してくれよ……って、あれ? まさか『幻の令嬢』……!?」
余計な事を言い掛けたアランの口を、俺は慌てて塞ぐ。
エマが『幻の令嬢』だという事は、極力誰にも知られたくない。敵視して毎日のように口喧嘩をしていた相手が、実は惚れた女性だっただなんて、どれだけ間抜けな話だと言うのだ。何とかして誤魔化さなければ。
「馬鹿野郎、モテるとかそんなんじゃない! 彼女は俺のつ、妻のエマだ」
妻、という紹介に、自分で言っていて気恥ずかしくなる。
「え、えええ!? って事は、彼女があのベネット……いや、モルガン所長!?」
驚くアランに、何とか話は逸らせたようだと思いながら、俺はエマに向き直る。
「エマ、彼はアラン・ランドルフ第二騎士団長だ。最近まで任務中の怪我で静養していたから、会うのは初めてかな?」
「ええ。初めまして、エマ・モルガンです。夫がいつもお世話になっております」
「あ、いえこちらこそ……」
「お怪我はもう宜しいのですか?」
「は、はいもう全く何の問題も無いです」
美しく優雅な所作で淑女の礼を披露し、眉を下げて心配そうに怪我の具合を尋ねるエマに、アランがぽーっと見惚れているのが分かって、俺は苛立ちを覚えた。いや俺だってまた見惚れそうになってしまったのだから、気持ちは分からなくもないのだが。
「お……おいマーク、モルガン所長がこんなに美人だなんて聞いていないぞ!?」
「俺だって結婚式の時に知ったんだ。と言うかお前、人の妻に色目を使うな!」
「は? べべ別に使っていないだろうが!」
「殿方同士、内密なお話があるようですので、私は失礼致しますわ」
アランとこそこそと小声で話していると、エマはにっこりと笑みを浮かべ、踵を返して行ってしまった。真っ直ぐに料理が並べられているテーブルに向かい、楽しそうに料理を皿に取っている所を見ると、怒った訳では無いようだと少しだけ安心する。
「それだけ熱心に彼女の後ろ姿を見つめている所をみると、本当にあのモルガン所長と上手くいっているみたいだな。当初はどうなる事かと思ったけれども、安心したよ」
「あ、ああ。心配してくれていたのか」
「そりゃそうだろう。ずっと捜していた『幻の令嬢』の事を諦めて、あれ程いがみ合っていた彼女と結婚させられたんだからな。でも、意外と仲が良さそうな所を見ると、あの噂もあながち間違いじゃないのかもな」
「あの噂?」
「お前がモルガン所長にベタ惚れしているっていう噂だよ」
揶揄うような笑みを向けてくるアランに、俺は閉口する。
エマからその噂を聞かされた時は、誇張されているとは言えある意味事実だし、下手に噂を否定してしまったら、ただでさえ俺にまだ良い印象を抱いていないであろうエマに、俺の気持ちを誤解されるような事にならないかという懸念もあって、仕方なく放っておく事にしたのだ。だがいざ自分が揶揄われる立場になると、もう少し何らかの対処をしておけば良かったかなと思ってしまった。
「まあ、モルガン所長があんな美人だったら無理もないよな。しかも彼女、『幻の令嬢』と似ているんじゃないか? 髪と目の色とか、特徴も一致しているし、偶然とは言え不幸中の幸いだよな」
「あ、ああ……まあな……」
俺は『幻の令嬢』がエマだと気付かれたのではないかと気が気でなかったが、アランはあくまでも他人の空似で、同一人物だという発想は無いようだ。苦笑しながら誤魔化しつつも、以前の俺とエマの仲が、他人から見て、どれだけ険悪だったか思い知らされたような気がして、今更ながら反省してしまった。
「……お前、今でもまだ『幻の令嬢』の事を想っているのか?」
不意に真面目な顔で尋ねてきたアランに、俺は狼狽える。
「……今はエマだけを想っているよ」
俺を心配してくれているのであろう親友に、できる限り嘘偽りの無い誠実な答えを選ぶ。
「そうか。何はともあれ、お前達の夫婦仲が上手くいく事を祈っていてやるよ」
「ありがとう」
アランと別れ、エマの姿を捜すが、何故かなかなか見付からない。食事スペースの隅の方に人が集まっている事に気付き、まさかと思って近付いてみる。
「貴女のような美しい方がいらっしゃる事に気付いていなかったとは。無知な私めに、どうかお名前だけでもお教えいただけないでしょうか?」
「あら、名乗る程の者ではありませんわ」
「ご婦人、そのような輩は放っておいて、私と踊っていただけないでしょうか?」
「踊り疲れて休んでいる所ですの。食事を再開させていただけると助かりますわ」
「ではあちらにゆっくりと座って食事ができるスペースがあります。案内して差し上げましょう」
「連れが捜しに来るかも知れませんので、遠慮しておきますわ」
言い寄る何処ぞの令息共を、上品な微笑みを浮かべて躱し続けているのは、やはりエマだった。
「エマ! ここに居たんだな。一人にしてしまって悪かった」
慌てて駆け寄り、エマの腰を抱き寄せて男共を睨み付ける。
「モ、モルガン総帥!? ……って事は、まさかモルガン所長なのか!?」
「彼女があのモルガン所長!?」
愕然としている男共の視線からエマを隠すようにして、休憩スペースに移動する。
「助かったわ、マーク。はあ、これでやっと食べられるわ」
座るや否や、早速食事を始めるエマ。
「うーん、流石国王陛下主催の夜会だけあって、美味しい料理が揃っているわね! ……あれ、あんたは食べないの?」
「あ、ああ……。料理を取りに行きたいのは山々だが、俺が今席を外せば、またお前が言い寄られるんじゃないかと思って」
先程までの完璧とも言えるエマの外面と、中身とのギャップに半ば呆れながら俺が答えると、エマは首を傾げた。
「言い寄る? そんな事ある訳ないでしょう。珍獣見たさに寄って来ているだけだわ」
「ち、珍獣?」
エマの的外れな答えに、俺は唖然とする。
「そうよ。今まで私が夜会に顔を出さなかったものだから、見慣れない顔が居るって興味本位で近付いて来ては、私の正体が分かった途端に皆ドン引きしていたわ。別に構わないけれど、こう何度も繰り返されると、いい加減嫌気が差してくるわね」
(いや、それはドン引きしているのではなくて、いつもローブ姿のお前がこんなに美人だと思っていなくて、単純に驚いただけなのでは……)
俺は内心でそう突っ込んだが、口に出すのは止めておいた。まさかとは思うが、自分がモテていると分かって、他の男に目移りされるような事はあって欲しくない。
両親にまで噂が届き、仲が良いと思われているくらいなのだから、今日の夜会で、俺達の仲を印象付けるという目的はある程度達成されただろうとは思う。だが噂だけが先走っているような現状で、無自覚で鈍感で魔法に関する事しか興味が無いエマを、本当に振り向かせるにはどうすれば良いのか、と俺は頭を悩ませながら、こっそりと溜息をつくのだった。




