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88. 椎名泉、再会する(中編)


『で、これからどうする?』


 ツノウサギは不安げな目で俺を見上げた。俺はその小さな頭部をワシャワシャと撫でながら考える。


「そうだな……とりあえず元来た道を辿るか」

『……道、分かるの?」

「いや分からん。だからそれっぽい方向に進むしかない」

『ちょ、ちょっと、そんなんで大丈夫なの?もしもっと深いところに迷い込んじゃったら大変だよ。ボクはともかく、椎名さんは森で生きていけなさそうだし……それで椎名さんが倒れちゃったりしたら、ボクもおしまいなんだからね』


 ツノウサギは焦った声で一息に喋りきった。

 確かに、彼が魔法を撃てるのは俺が魔力を供給しているからで、その俺が死んでしまったらただの低級害獣になる。そうなると、こんな森の奥では生きていけないだろう。

 俺はツノウサギを安心させるように、落ち着いた声で『わかってる』と伝えた。


「大丈夫だ。多分、なんとかなる。最悪の場合……“奥の手”はあるから心配しなくていい」

『奥の手……?』


 先程までは気が動転していたが、落ち着いて考えてみれば今の事態はそこまで悲観するものではない――そう、俺達には“奥の手”があるのだ。

 ……まぁ、できれば使いたくはないので、このまま元の場所に出られれば万々歳なのだが。


 そう思いながら、俺は森の中へと足を進めた。






 森の中を歩くこと四半刻。

 俺はセラン町に向かって進んでいた……つもりだが、いつまで経っても見覚えのある景色が見えてこない。相変わらず東西南北全てが見分けのつかない緑の木で埋め尽くされている。


『――ね、ねぇ……なんか、より奥に迷い込んじゃってない?』

「……やっぱり?俺もなんかそんな気がしてた」

『ちょっと!?』


 行く先を遠い目で見つめながら答えると、ツノウサギは非難めいた声を上げる。


「はぁ……やっぱり森で遭難なんて、スマホ頼りのZ世代がどうにかできる事態じゃないよな……」

『せめてボクにもわかる言葉で喋ってくれる? もう……、』


 ツノウサギは溜め息混じりに首を振った。

 しばらく呆れた声で『本当に大丈夫なんだよね』とぶつぶつ言っていたが、やがてその呟きがぴたりと止む。どうしたのかと思って様子を伺うと、ツノウサギは森の奥に厳しい視線を向けていた。


『止まって、椎名さん』

「……なんか、居るのか?」

『……居る。ちょっと向こう――その岩の裏側の向こうに――……』


 ツノウサギの眉間の皺がどんどん深くなる。その視線の先を合わせようとしたところ、ツノウサギは鋭い声を上げた。


『――いる、来たっ!』

「っ、え!?」


 俺がびくりと身体を跳ねさせると同時に、木陰や岩陰からいくつもの黒い影が飛び出してきた。動きが速すぎて、毛玉が飛び出してきたようにしか見えなかったが、その正体は――


「グゥル……」

「グルルルルッ……」


 先ほどと同じ熊、それに猿、猪、蛇、――幾種類もの害獣が、岩や木の上から俺とツノウサギを睨みつけていた。その昏い目の奥には、息を呑む俺達の姿が映っている。


「は……お、おい……」

『ちょっと……いくらなんでも多すぎじゃない……!?』

「け、牽制してダッシュ!さっきと同じ作戦で!」

『りょ、了解……っ!――【炎よ】!』


 間髪入れずに放たれた炎が、獣達めがけて突っ込んでいく。ボンという爆発音と共に獣達がうめき声を上げたのを確認し、俺は全速力で駆け出した。


「お、おい、どっちに逃げたらいい!?」


 ツノウサギはしばらく唸った後、『あっち!』と言いながら斜め右の方向を差した。


『あっちのほうが、けものが少なそう!あと風の流れがあるから、開けた場所があるのかも!……』

「了解!ツノウサギはそのまま、後ろ頼む!」

『わかったっ!』


 ツノウサギは肩の上でくるんと体勢を転換し、背後に向けて魔法を撃ち出した。遠くで獣の苛立った鳴き声が聞こえるので、うまく当ててくれているらしい。足場が走っているせいで軌道が安定しないだろうに、よくやってくれている。


 なんとか獣達との距離をキープしつつ走り続けると、やがて崖の上のような場所に出た。俺は崖の際まで下がり、走ってきた道を振り返る。

 同時に茂みから飛び出す害獣達。追い詰めたとばかりに、じわじわと距離を詰めてきた。


「はぁ……っ、よし!ツノウサギ、全力で撃ってくれ!!」

『了解だよっ……【炎よ】、【炎よ】――』


 ツノウサギが詠唱を重ねがけ、炎は大きく大きく育っていく。徐々に膨張するそれに、害獣達はたじろぐような様子を見せたが、もう遅い。


『【炎よ】!!』


 ツノウサギが数メートル大に育った炎を撃ち出すと、それは害獣達と地面に激突し、かつてないほどの轟音が森一帯に響いた。


『お……おもったより威力でちゃった……』

「あ、あぁ……まぁ、でかいに越したことないし……」


 衝撃で舞った土埃が落ち着いた頃、獣達を見れば、かなりのダメージを負ったようでふらついている。


「いいぞ……! ツノウサギ、このままゴリ押そう!」

『だねっ!』


 俺の転移能力で瞬殺してもいいが、ツノウサギが遠距離で葬ってくれるならより安全だ。勝利を確信して、心の中でガッツポーズを決めた――その時。


「グルォ……?」

『……ちょ……ちょっと待って? この音って……』


 ツノウサギの引きつったような声と、獣の不穏な声。それらに紛れて、どこかからピシ、ビシ、と何かに亀裂が走るような音が聞こえた。


「ん?何の音――」

『や……やばいっ足元!椎名さん!』

「は!?え!?」

『崖がくずれっ……!!』

 

 ピシピシという音と共に、地面にはヒビが走っていく。それは害獣と俺達との間を分断するように走り、バキンと一段と大きな音が森に響いた。その瞬間、足元がぐらりと揺れ、地面から足が僅かに浮いたのを感じる。


「……えっ」

『しっ……椎名さん……!』


 視界が急激に下がる。腹の奥がヒュッとした感覚に包まれる。

 先程の炎が着弾した衝撃で崖が崩れたのだということに、俺はようやく気がついた。


「ぁ、え……――――ッッ!」


 高さ数十メートル、落ちたら即死。頭を過ぎった結末に、心臓が冷える感覚。


『椎名さんっ……!』

「ツノウサギっ……!」


 肩の上に乗っていたツノウサギの体がふわりと宙を舞うのを見て、俺は咄嗟に左手を伸ばした。その小さな体をなんとか掴んだ瞬間、左腕に通していたトラックストラップが風に煽られ、視界に入った。


 “それ”を思いついたのは、ほぼ同時。


「――てっ……転移――っ!」


 空に向かって叫びながら、ツノウサギを左腕で抱え込んだ勢いで、自身の右肩を叩く。肩にトラックストラップが触れると同時に、俺の視界はぐるんと回った。










「っは……はっ……ぁ、はっ、はぁっ……は……、」


 無音の空間に、俺の荒い呼吸音だけが響く。ゆっくりと視線を上げると、そこは一面灰色の世界――かつて俺が迷い込んだ異空間が広がっていた。


「転移……成功だ……な……っ」


 絞り出した声は小さく震えていた。助かった安堵感から膝ががくんと折れ、ツノウサギを抱いていた腕からも力が抜けた。


 ……危うく死ぬところだった。


 震える息を吐き出しながら、俺は胸をなでおろす。

 その傍ら、俺の掌から抜け出したツノウサギはゆっくりとした動作で視線を左右に動かし、異空間を見渡した。


『……! …………!?』

「……ツ……ツノウサギ、大丈夫か?」


 ツノウサギはきゅるっとした目を更に見開き、口をパクパクと動かしている。そんな様子を見て、俺は冷静さを取り戻し、ツノウサギの背をわしわしと撫でた。

 ……自分より混乱している人間がいると逆に冷静になると言うが、今はまさにそれだ。


『ちょ、ちょっと椎名さん、ここどこなの? ねぇ、ボクたちどうなったの?』

「落ち着け。ここは俺達が居た世界とは別の世界。異空間だ。空間の狭間みたいな場所……多分」

『くうかんのはざま……』


 ……“空間の狭間”というのはあくまで俺の予想なので、それが真実かどうかは分からないが。

 ツノウサギは現状がよく飲み込めていないようで、呆然と俺の言葉をオウム返しする。


「何か転移させるときは、いつもこの空間に飛ぶように念じてるんだ。……ほら、その辺に今まで転移させてきた物が転がってるだろ?」

『ほ……ほんとだ荷馬車とか、お家とか……』


 俺が指差す方向には、空き地の整地依頼で刈り取った草や片付けた荷馬車、先日転移させた朽ちかけた建物3件、エトセトラ――見覚えのある粗大ゴミがの数々が鎮座していた。


「あのままじゃ転落死すると思って、一旦避難したんだよ」


 ……転移能力、初めて正しい使い方をした気がするぞ。


 苦笑しながらツノウサギの頭をポンポンと叩くと、『そうなんだ……』と呆けたように呟いた。


『……あ……もしかして、さっき椎名さん言ってた“奥の手”って、これ?』

「そういうことだ。俺は世界線超える転移しかできないから、一旦ここに転移して、町の近くに転移しようかと」

『じゃあすぐにやればよかったのに……別に出し惜しみする必要ないでしょ?』

「や、自分に転移の力を使うのが怖くていろいろ未検証なんだよ。万が一、ここから上手く転移できなかったら終わりだし……だからまぁ、最後の手段のつもりだった」

『なるほどね……』


 ツノウサギが落ち着きを取り戻したのを見て、俺はもう一度辺りを見渡す。


「しかし、どうするかな……。またファリス王国に転移するとして、どこに出るべきか――」


 元いた場所に転移するのは微妙だ。また害獣と鉢合わせると危ないし、少しでもイメージする座標がずれたらまた崖から落下する。

 ……となると、平地の安全な場所、かつ人が絶対いない場所でないといけないな。万が一誰かと鉢合わせたら話がややこしいことになる。


 俺が腕を組みながら考え込んでいると、膝頭にポフンと柔らかい感触――ツノウサギの手だ。どうした、と声をかけるが、ツノウサギは俺の背後を見て目を見開いているだけだ。


『しっ……、し、し、椎名さん、うしっ、うしろ……』

「うしろ?」


 ツノウサギがぶれた声で呟くのに首をかしげながら、後ろを振り返る。


『ウウウ……』

「……は?」


 そこには、一匹の狼の姿があった。

 暗い灰色の毛並み、ピンと立った大きな耳、口元から覗く立派な牙。その体長は3mほど。その姿は、1ヶ月前にラカイ町で倒したような大型狼そのもので――

 

『バ……』

「バーストウルフ……!?」


 俺とツノウサギは、かつての強敵を前に驚愕の声を上げた。



お読みくださりありがとうございます。

やっと登場させられて嬉しいです。

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