78. 椎名泉、確信する(後編)
思い返すのは、ケルナに――ココノハ亭に到着した日のことだ。
ココノハ亭の階段、夕日が差し込む窓、その奥に立つショウの冷めた表情、そしてファーテル様やエミュファ様への嫌悪感を滲ませた態度。
『ショウさんねぇ……。なんであんなに神様や天使様に懐疑的なんだろうね。“ヒトを助けるべし”……教義にはすごく忠実なのに、神様や天使様を信頼してないのって、なんだかアンバランスだ』
「……今度会ったとき、直接聞いてみるかな」
『え……』
俺はグッと本を握りしめながら、天井を仰いだ。腰掛けていた椅子がギシリと軋む音が、静謐な空間に響く。
見上げた天井は高く、そこには古びた壁画が施されていた。3人の天使が神様へかしずいている図案だ。
「生活が落ち着いたら、向こうから手紙が来るだろうし。そしたら会いに行って……話がしたい」
『……わざわざ、聞かなくてもいいんじゃない。そういうシビアな話、しないほうが良さそうだけど』
「はは、まぁな……」
確かに、政治と宗教の話は友人とはしない方が賢明かもしれない。それが原因で友情を失いかねないし。
――とはいえ、今回は。
自然と、本を握る手に力が入る。
「でも、俺は知りたいし、知るべきだと思う。ショウが何を考えていたのか――今、何を考えてるのかを」
『……聞いてどうするの?』
「何か抱え込んでるなら、力になれるかもしれないだろ」
『ふうん……ちょっと、意外。椎名さん、面倒事は嫌うヒトかと思ってたから。わざわざショウさんの事情に首つっこむと思わなかったっていうか』
「や、まぁ普通に面倒事は避けたいけど……ショウが何か悩んでるなら、何もしないわけにいかないだろ。いろいろと恩もあるしな……、」
ツノウサギに答えながら、俺は再び聖書に目を落とす。
……俺は今日、この本を読むことで、ショウに対して抱いていた“違和感”と“疑念”――それが一つの“答え”に変わった。
正直、“それ”を鑑みると、彼に深く関わるのは避けたほうがいいだろう。国を揺るがす“大きな何か”に巻き込まれかねないし、つまり俺の信条――“合言葉はワーク・ライフ・バランス”に反する事態に発展するかもしれない。それはツノウサギの言うとおりだ。
しかし、その面倒事の相手がショウだというのなら、話は別。いつか彼に求められたとき、彼の助けになれればいい――俺はそう思った。
『……そっか』
そう答えるツノウサギの声は、いつものクールな言葉尻よりも、幾分柔らかなものだった。
俺は彼の背を撫でつつ、再び本を読み進めようとした――そんな時。
「――ご来館の皆様にお知らせします。只今閉館時間となりました。速やかにご退館くださいませ」
「……え、もう!?」
司書さんの声が静かな館内に響き、続いて扉の向こうから彼女がひょっこりと姿を現した。
「あ、シーナさん。図書館は4時閉館ですよ」
「あ――……、結構早いんですね。良いとこだったのに……、」
俺は肩を竦めながら、聖書に目を落とした。開かれたページは、ちょうど女王様とファーテル様が悪党をバッタバッタとなぎ倒すシーンだ。
「なら借りていきます? 保証金で1冊5万リタスいただきますけど」
「え、借ります」
『ちょ……えぇ……焼き串何本分なの、それ……』
「ちゃんと返したら戻ってくるんだし、いいだろ」
不満げなツノウサギの背中を撫でつつ、貸出表に名前を書く。
「よし、帰るぞツノウサギ!」
『はいはい……』
……これで“ラノベを読みながら夜ふかし”という、たまの休日の楽しみだったイベントが異世界でも体験できる!
俺はそんな思いを胸に、軽い足取りで宿へと急いだ。ついでに、道中の露店でレモネードと夕食代わりのおかずパンも調達しておく。
バタバタと急ぎ足で部屋に戻った俺は、買ってきた飲み物と食事を机の上に乱雑に置いて、大判のクッションに勢いよく背中を預けた。
窓から差し込む日差し。日に透けたレモネードに、カランと音を立てる氷。
流れる心地よいそよ風に、揺れるレースカーテン。
そして柔らかいクッションに体を沈めて、膝にはモフモフウサギ、手元にはお気に入りの小説。
「……うん、完璧な読書空間だな」
『楽しそうだねぇ……』
「やっぱりさ、こういう仕事以外の時間の充実が大事なんだよ。ワーク・ライフ・バランス、ワーク・ライフ・バランス」
『ふうん……』
ツノウサギは俺の膝からのっそりと起き上がり、本の中を覗き込んだ。
『……これ、おもしろいんだよね? じゃあボクも読む』
「え、お前字読めないだろ?」
『教えて』
「お、おぉ……わ、分かった」
……本を読むウサギって、なかなかシュールだな。
とはいえ、ツノウサギは賢いからすぐ習得できそうだ。趣味が共有できる相手ができるのは喜ばしい。
俺は聖書を題材にツノウサギに文字を教えつつ、本を読み進めた。
1巻の半ばまではおおよその世界観の説明だ。後半からは、ファーテル様の降臨にまつわる物語を1章ずつ書いているらしい。いわゆる一話完結型の物語でサクサク読めた。
後半にもさしかかると、ツノウサギはスラスラと本が読めるようになっていた。
『“天の雷槌を見よ……”……おお……へー……、やっぱりファーテル様ってすごいんだね』
「な、面白いだろ」
『うん、シーナさんつぎ、早くつぎのページ、はやく!』
「いや待て待て待て、お前読むの早すぎなんだよ」
『はやく!』
「もうちょっと待て、あと3行!」
……むしろ、この世界の言葉が母国語ではない俺の方が読むスピードが遅い始末だ。
俺が慌てて文章を追う傍ら、ツノウサギがその肉球でページをめくろうとしているのを抑えるよう揉み合いになっていると――
「シーナさ――ん!いらっしゃいますか――っ?」
扉をトントンとノックする音と共に、アカシアさんの声が廊下から聞こえた。
「え、アカシアさん?」
『え……、うー……、いまいいとこなのに……』
「お前はそのまま読んでていいよ」
苦笑しつつツノウサギと本を膝から下ろし、ベッドに載せる。俺は『はーい』と答えながら、扉を開けた。
「こんにちはでーすっ! すみません、お取り込み中でした? ツノウサギさんと盛り上がってましたよね……?」
「いや、大丈夫だよ。……うるさかったか?」
「ううん、全然!」
アカシアさんは屈託のない笑顔で首を振る。
ツノウサギとのページめくり戦争がヒートアップしすぎたかと思ったが、セーフだったようだ。
「……ね、もしかして聖書読んでるんですか? ファーテル様、とかって声が聞こえましたけど……」
アカシアさんはずいっと身を乗り出し、部屋の奥を窺うように覗き込んだ。その視線の先には、ベッドの上で本を黙々と読んでいるツノウサギの姿。
「あぁ、さっき図書館で借りてきたんだ」
「利用券買えたんですね! どうでした、聖書! おもしろかったですか!? ファーテル様、すーっごくかっこよくなかったですかっ!?」
「お、おぉ……」
アカシアさんはぐいぐいと距離を詰めながら、続けざまに質問をぶつけてくる。その大きな瞳は、キラキラと期待に輝いていた。
その超全力の勢いに若干押され気味になりつつ、俺はコクコクと小さく頷いた。
「そうだな、俺もハマッ………、んんっ、お、面白かったよ。女王様もファーテル様も格好良かった」
「ほんとですか!? よかったです――っ!」
アカシアさんは花が咲くような笑顔で、両腕をぐんと天井に向かって伸ばした。友人と推し作品が共通するというのは、どこの世界でも嬉しいことなんだろう。
「……あ、そういえば何か用だったのか?」
「あーっそうでしたっ! よかったら今日、お夕飯一緒にど―かなって思って!」
「お、良いな、行こう」
今日は宿に籠もって読書勿論あるが、を……そう思っていたが、アカシアさんと食事というのは勿論やぶさかではない。、は。
俺は部屋の中を覗き、依然としてツノウサギ聖書に没頭しているツノウサギに声をかけた。
「ツノウサギ――、お前はどうする?飯行くか?」
『ごはん……うん、いく』
ツノウサギは俺の声に耳をピンと立てて、勢いよくベットから飛び降りる。
……さっきはあんなに嫌そうな顔してたのに、飯となれば話は別か。
ツノウサギの変わり身の速さに苦笑しつつ、俺たちは宿を後にした。
お読みくださりありがとうございます。
◇
いま、丁度物語の折返しくらいですね。
長らくお付き合いくださいまして、本当にありがとうございます。




