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74. 椎名泉、決闘する(後編−2)

『セク……なに、それ』


 咄嗟に口をついて出た日本語に、ツノウサギは首を傾げる。


「人に性的な嫌なことをしちゃいけませんって規範のこと。……いや、実際触ったんだったら強制わいせつ罪か? お前、15の女の子に何してんだよ」

「あぁ?Fラン風情がいっちょ前に楯突いてんじゃねぇぞ! 俺はCランクだ!Fランのド雑魚共は黙って俺の言うこと聞いてりゃいいんだよ!!」

「……それ、本気で言ってるのか?」


 ベシュは変わらず、さも当然というように己の行為を正当化する。

 俺が持つ規範意識とのギャップがありすぎる。話が噛み合わない。頭がガンガンと傷んでくる。

 かろうじて頭の片隅に残った冷静な部分が、この感覚が怒りなのだと教えてくれた。


「当たり前だろうが!俺たちは冒険者だ!その地位はランクで決まる!上位ランクが絶対だ!お前らはFランク!俺はCランク!お前らが俺に文句つける権利なんかねぇんだよ!」

「ランクが何だ、俺は今そんな話はしていない。俺は今、人間と人間の話をしてんだよ」


 男が口を開くたび、感情の温度が上がっていく。友人が害されるというのは、ここまで腹の立つことだったのか。


 今この男に怒ったって、起こったことは覆せないし、どうせこいつはもう逮捕されるし、未来は何も変わらない。


 でもここで黙ったら、アカシアさんが理不尽な目に遭ったことを肯定することになる。あの純粋で優しい友人――アカシアさんに手を出されたという事実に、腹が立って仕方がない。


「……てめぇ……調子乗ってんじゃねーぞぉ……!!」

「調子に乗ってるのはお前のほうだろ!」

「ッ、ッッ! ハァアッ死ねや糞がぁああ!!」


 思わず荒げた声に、ベシュは唸るように応え、足を一歩前に踏み出した。それと同時に、肩の上のツノウサギがピンと耳を立てる。


『ちょっ……椎名さん、下がって!』


 ツノウサギが叫んだ一拍後、重い衝撃とともに視界が揺れる。頬に鈍い痛みが走り、そこでようやく俺は殴られたのだということを悟った。

 俺は衝撃で後ろに大きくよろめきながら、男に何とか視線だけ向ける。


「ッ……、お前……!」

「はは、調子乗ってんじゃねぇぞFラン共が!」

「っおい、シーナさん下がんな!」


 勝ち誇ったようなベシュの声、背後から焦りを滲ませたユー主任の声が聞こえる。しかしそれらは音声として聞こえるだけで、言葉の意味を理解する処理が追いつかない。


 ――自分の意に沿わない事態は暴力で解決する。

 同じことをしたのだろうか、アカシアさんにも。


 沸々と感じる怒りに思考が支配された。


「ハーッハァ! 死ねやクソ野郎!」

「――ッ、おまえ……!」


 男は高笑いと共に剣の柄に手をかけた。俺はその隙に地面に垂れていた鎖を掴み、右手方向に思い切り引っ張る。ジャラリと金属が擦れる音、鎖がビンと張った感覚。それを合図に、俺はベシュに突っ込むように駆け出した。


「うぉっ――」


 鎖を引っ張られたことにより、ベシュはそのまま体勢を崩す。倒れ込む直前、俺は男の横っ面に全力の左ストレートを決めた。


「うぐっ……!」

「っし……!」


 頬骨を抉る確かな感覚に、俺は小さくガッツポーズを決める。

 ベシュはそのまま、小さく呻きながら地面に倒れ込んだ。男はなお、震えながらも立ち上がろうとしているが――


「シーナさん、大丈夫か!? 全く往生際の悪い男だ!」

「パーシモンさん!」


 局員さんが慌てた様子で駆け込んできた。局員さんは地面に落ちた鎖の先端を掴んで引っ張っぱりあげる。再逮捕成功だ。


 ベシュが局員さんにひったてられるのを見て、俺はようやく安心し、地面に座り込んだ。


「あ――びっくりした……」

『それこっちのセリフなんだけど!大丈夫なの!?フィジカルよわよわなのになんで直接殴りに行くかなっ』

「はは……確かに」


 今更ながら、頭がぐわんぐわんとする感覚に陥り、殴られた頬と殴った左手の関節が痛み出す。相対している時はそれほど気にならなかったが、急に痛みが鋭く感じられるようになってきた。怪我の状態を見ようと持ち上げた左手は、ふるふると震えている。

 そのとき、背後からパチパチと小さな拍手の音が聞こえた。

 

「やるじゃん。シーナさん、単なる根性なし度胸なしのFランクかと思いきや、意外とやるときはやるんだね――」

「根性なし度胸なしって……」


 主任さんがゆるく笑いながら貶してくるが、俺は語呂の良さに思わず苦笑する。


「……いや、俺も正直、驚いてます。自分自身に」


 ……今更ながら、よくあのチンピラ冒険者とタイマンで戦ったものだ。あのときの俺は完全に冷静さを欠いていた。怒りの感情ってすごいな。


 弊社にもああいった声の大きい人間はごまんといたが、俺はいつも何か言われても、社会人だから、社会ってこういうものだから、と頭を下げる一方だった。それを考えると、衝動的にとはいえ随分大胆なことをしたものだ。


 未だ震える左手を見ながら感慨にふけっていると、主任さんはにっと笑って手を差し出した。


「いいんじゃん? かっこよかったよ――」

「主任さんのおかげですよ。氷漬けの状態にされてなきゃ、あんなヘロヘロパンチが効くわけないし」

「んーにゃ、心意気の話。今度アカシアさんに教えてあげよ――っと。シーナさんがアカシアさんの為にマジギレしてたって」

「……恥ずかしいんでやめろください……。じゃなきゃ、主任さんがSランクだって話ギルド中に触れ回りますよ」


 じとっとした視線を向けつつ、俺は差し出された手を取る。主任さんは『やーめろ』と軽く笑いながら、ぐっと握った手を引っ張った。





 陽が完全に落ちかかり、森がそろそろ夜を迎えようとする頃。


 俺達は元・冒険者達となった彼らを引きずるようにして森を進んだ。彼らは皆鎖に繋がれた状態で、その鎖はしっかりと局員さんが握ってくれている。


「――あ、ルナバード!」

「ピィッピ!」


 帰り道、森の入り口近くで待ってくれていたルナバード達と再会する。

 木の上や上空を旋回している鳥達を合わせると、少なくとも100匹以上は居そうだ。本当に一族総出で俺に協力してくれていたらしい。

 彼らは鎖に繋がれた冒険者達を見て、俺の勝利を確信したのか一斉に高い声で鳴きだした。


「ありがとう、お前達のおかげで助かった。後日絶対に礼をさせてもらうから、また来るな」

「ピッピィ!」

『ん、じゃあまたね』

「またな、ルナバード!」


 俺とツノウサギはルナバード達に手を振って別れを告げ、街への道を進む。

 ツノウサギいわく、『あれは別にお礼に喜んでるわけじゃなくって、椎名さんがまた来てくれるのが嬉しいみたい』とのこと。随分仲良くなれたものだ。


 その様子を隣で見ていた局員さんは、訝しげな声を上げた。


「……おいシーナさん、まさかあの数の鳥を使役してるのか?」

「いや、彼らとはただ……えーと、友好関係を築いているだけです。元々俺が罠にハメられそうだっていうのも、彼らから教えてもらったんですよ」

「……お前、ほんとよく分からない奴だな……、」


 局員さんは諦めたように笑いながら首を振った。獣をテイムできること自体相当なレアケースらしいし、その反応は妥当なんだろう。


 街に着いた後は真っ直ぐに刑務局へと向かい、元冒険者達を届けた。ここから先はパーシモンさんの仕事らしいので、ここでお別れだ。彼は手近な局員に声をかけ、元冒険者達を建物の中へと連行していった。


「んじゃ、彼奴等はガッツリ締め上げてから司法局で裁判にかけるからな。罪状は今のところ、シーナさんに対する傷害罪と、俺に対する公務執行妨害、脅迫罪、傷害未遂……だな。刑期は最低5年は固い」

「良かった……、パーシモンさん、本当にありがとうございました」

「なーに、良いってことよ!また何かあったら言ってくれ!」


 そう言って手を振る局員さんに頭を下げ、建物の奥にその姿が消えてから、今度はユー主任の方を振り返る。


「さて……、それじゃ俺はこの後どうしたらいいですか?」

「……そーね……、」


 より詳しい事情聴取なんかがあるかもしれないと思って質問を投げかけると、主任さんは少し考えるような素振りを見せた後、顔を上げた。

 その顔からはいつものヘラヘラとした笑みは消え失せており、なんだかドキリとする。何かやらかしたかと不安になっていると、ややあって主任さんは口を開いた。


「……じゃあ、ちょっと2人で話をしよう。君が泊まってる宿へ連れてって」

「え?それってギルドとかじゃ駄目――」

「あぁ、別に人目がある場所でもいいよ、君が構わんならね」


 ユー主任はじっと俺の目を見据えながら続けた。


「――君さ、やっぱ“魔法”使ってねーだろ」



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