5. 椎名泉、非正規ルート転移につき
「ユスル・セラ・サー?」
青年は、俺が聞き取れなかったことを察してか同じ言葉を繰り返す。
しかし何回言われても、聞き取れないものは聞き取れない。
「……アー………ユスル・エリス・リトール?」
「え?え…………」
……え、俺、もしかして現地語が聞き取れないのか。異世界転移って言ったら、大体相手がしゃべってる言葉が日本語に聞こえたり、書いてる文字が日本語に見えたりするものだろ。
俺は興奮状態から一転、がっくりと項垂れた。
……普通の異世界転移ならきっと神々からのボーナスを得て、異世界言語が聞けて読めて話せるようになるんだろう。なぜならばそれがお約束だからだ。
だがしかし、俺は正規ルートで異世界転移をしていない。神々からの転生ボーナスを受け取るルートを通過せず、勝手に事故で転移したんだ。特殊スキルも天才的な才能も現地語理理解も、そんなボーナスは一切存在しない……そういうことだろう。
「セラ……?セラ?」
うなだれる俺を見てか、目の前の青年は心配そうな顔で覗き込んできた。
そうだ、今はとにかくコミュニケーションをとらなきゃな……とりあえず名乗ってみるか。
俺は自分の方を人差し指で指して、ゆっくりと話してみる。
「あー……えっと、俺、椎名泉です。しいな、いずみ。」
「オレ……シーナ?」
「し、い、な。しいな!」
「アー、シーナ!」
「! イエス!」
俺は肯定の意思を示すため、笑顔を作って首を縦に振る。名前が伝わった、ただそれだけのことでガッツポーズを決めたくなる。
目の前の青年はほほえみながら片手を差し出した。
「シーナ・サー、ヨルシカナ。」
あれ、なんか名前にサーって付け足されてる?〇〇さん…的な意味か?ヨルシカナってのは状況的によろしくお願いいたします的な?
俺は戸惑いながらも差し出された手を握り返し、言葉を返す。
「ヨ、ヨルシカナ?」
「! ヨルシカナ――!」
どうやら正解だったらしい、青年は破顔しつつ、握った手をブンブン振り回した。
とにかく探り探りで行くしかない。目の前の青年が柔和で友好的な雰囲気なのがせめてもの救いである。
「アシュ・ショウ!ショ、ウ!」
今度は青年が自分を指さしながら言う。
「ショウ……サー……?」
「トル!アシュ、ショウ!」
こくこくと頷きながら朗らかに笑う青年――ショウ。
それから俺は彼から話を聞くことに成功した。
「ユスル・リスタルテ、リオ・ルールー、フーシェ!」
「あー……なるほどな」
聞くところによると、やはり俺は森の中で倒れていたらしい。それを見つけたのがこの青年で、俺を回収してそのまま看病してくれたようだ。そして夜になった頃、目を覚ました……ということらしい。(経緯はほとんど寸劇と紙に絵を描いてもらうことで理解した)
青年の名前はショウ、歳は俺より2個上で28歳。終始優しい笑顔を浮かべながら、根気強く俺のことを理解しようとしてくれていた。なんとも面倒見のいいお兄さんである。
……これがもしウチの会社なら『なんでこんな簡単なことがわかんないんだ!』ってわざと聞こえるようにいろいろ言われてるとこだな。
ひと通りの寸劇が終わった後、ショウはおもむろに立ち上がる。
「ラスファル、リ・スタイ!」
そう言い残して部屋を出たと思ったら、すぐにトレイを持って部屋に戻ってきた。トレイの上には2人分のスープとサラダらしきものが乗せられている。
……あ、そういえば俺、しばらく飯食ってなかったんだっけ。
一度意識してしまうと余計に腹が減ってきてしまうものだ。グーと大きな腹の虫が鳴く。
その大爆音を聞いたショウはおかしそうに笑いながら、俺に木製のスプーンを差し出した。俺はそれを受け取り、手を合わせる。
「い……いただきます」
「……イタダマス?」
思わず口をついて出た日本語に、ショウは首をかしげる。
……いただきますを説明するのは難しいな。とりあえず、食事と自身の心臓の位置を交互に指差しながら、頭を下げるジェスチャーをしてみることにした。
「料理………これ、食べる前に、命、感謝する。」
「……! ラ・ミカ、……アルシェイ……、トル!」
……どうやら納得がいったようだ。ショウは興味深そうに頷きながら、スプーンを手に取り、両手を合わせて言う。
「イタダキマス!」
……初めて日本文化に触れた外国人を見ているようで、なんだか微笑ましい。
ショウが持ってきてくれたのは、かぼちゃのような味がする温めのスープと葉野菜をちぎったサラダだった。素朴な料理だったが、やさしい味わいがして体に染み渡る。病み上がりの俺を気遣ってのメニュー構成なのだろう。
「あー……うまいな……」
異世界料理、どんなものかと思ってたけど、意外とうまい。食事が合わないって最悪だからな。とりあえず一つ安心だ。
俺は久しぶりの温かい食事を無心で腹に収めていたが、ショウが俺の反応を不安げに見ていることに気づいた。食事が異邦人の口に合うか気にしてくれていたのだろう。俺はあわてて料理を指さして、笑顔を作りながら言う。
「えっと、これ、おいしい」
「オイシイ……、ンー、リスタ?ディリスタ?」
ショウはリスタ、と言ったときは笑顔、ディリスタと言ったときは料理を嫌がる表情になる。おそらくリスタがおいしい、ディリスタはまずいという意味なんだろう。
「あー、リスタ、リスタ!」
「フフ、アルシェ!」
それを見たショウは安心したように微笑んだ。
その後、俺はショウに勧められるまま、おかわりを2回も繰り返した。腹が大きくなるほど飯を食ったのは久しぶりだ。
俺が無心で飯を食っている間、ショウは寝間着や体を拭くタオルまで用意してくれていた。いたれりつくせりで申し訳なくなりつつ、善良すぎる市民に拾われた幸運に、俺は心の底から感謝した。
もし、森で出会っていたのが盗賊とか拐かしだったら――その先は想像に難くない。こんな中世風異世界の犯罪者に見つかっていたら、身ぐるみを剥がされたり殺されたり……悲惨な目に遭うのが目に見えている。
しかも俺は非正規ルート転移ゆえに、お約束のボーナスは一切なしの状態。ただのモヤシ社畜だ。トラックストラップがあるから転移能力は使えるんだろうが、この能力だって未知数だ。異世界を無事生き抜ける確証など皆無である。
……この世界で、俺は明日からも生きていけるんだろうか。
この国で外国人はどういう扱いを受けるんだろうか?
治安はどうなんだろうか?
戦争なんかはないんだろうか?
この国の宗教はどうだろうか?異教徒弾圧なんてことはないんだろうか?
ゼリウスが俺を追ってこの世界に来ることはないんだろうか?
地球に連れ戻されることはないんだろうか?
わからないこと、調べなきゃいけないことは、たくさんある。
「……シーナ・サー、セラ?」
しばらく思考の海に沈んでいたが、ショウの声に意識が現実に呼び戻された。黙りこくって考えこんでいた俺を案じたのか、ショウが心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
“セラ”……最初にも言われた言葉だ。大丈夫?という意味だろうか。
「あ……ト、トル」
俺は覚えたての肯定の意を表す言葉を、笑顔を作りながら伝える。ショウは安心したように笑って、俺の背中をポンポンと叩いた。
……うん、まぁ、当面は大丈夫そうかもしれない。
目の前のお人好し青年を見て、俺はそう思い直す。ここまで良くしてくれる青年が、病人が目を覚ましたからっていきなり家から叩き出したりすることはないだろう。あとからたっぷり恩返しさせていただくとして、しばらくの間は彼の厚意に乗っからせていただくとしよう。
当面の目標は『どうにかしてこの世界で生き延びること』だな。それはこの青年のおかげでなんとかなりそうだ。
……そして欲を言うなら――せっかくなんのしがらみもない世界に転移できたんだ、できるだけ楽しく生きていけたらいいが。
そんなことを思いながら、俺は異世界転移初日を終えた。
お読みくださりありがとうございます
椎名はあと2話くらい片言のままがんばります。