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37. 椎名泉とファーテル

「――突然、すまないな」

「……え……、」


 まずその声が発したのは、謝罪の言葉。

 その意外な第一声に戸惑っていると、その声の主は続けた。


「私はファーテルという。すでに共にいた少女やウサギから話は聞いているだろうが……このファリス王国を任されている、天からの使いだ」

「天……使、」


 やはり天上の人か、と俺は身体を強張らせる。


 3か月前――地球の管理人を自称するゼリウスに召喚され、有無を言わせず人を轢かれそうになった過去を思い出す。

 また無茶なことを言い出されたりはしないか、はたまた地球に強制送還されたりしないか――次々と思い浮かぶ最悪の結末に、俺の体に緊張が走る。


 ……とはいえ、天使に名乗らせておいて、黙りこくっているわけにもいくまい。意を決して、俺はおずおずと口を開いた。


「はじめ……まして、ラカイから来ました、椎名泉と申します」

「はは、固くならずとも良い。もっと力を抜いてくれ」


 緊張のあまり喉に引っかかったような声しか出せないでいると、ファーテルは柔らかな声で告げた。


「いきなり呼び出したりして、すまなかったな。驚いただろう」

「え……えぇ、まぁ……」

「どうしてもお前に確認せねばならないことがあってな。容赦してくれ」

「確認……ですか?」


 俺がそう言葉を返せば、ややあって、青年の声は告げた。



「……単刀直入に聞こう。お前はいったい何者なのだ?」



 ファーテルの質問に、俺はぐっと息が詰まる。


 どう答えるのが正解なのか――素直に別の世界からやってきましたと言うべきなのか、誤魔化すべきなのか、しかし天上の存在を相手に安易に嘘を吐いてもいいものか――即答できずに逡巡していると、青年の声は続けた。


「底知れぬ魔力を持っていることもさることながら、魔法のことわりから外れた力を使えるだろう? ……お前のソレは炎魔法などではなく、空間を操る力なのではないか?」

「……っ、え、えぇ……。やっぱり、天使様には分かるんですね……」

「あぁ、エミュファが同じ力を持っているからな。……なんにせよ、お前が普通の人間では到底至れぬ領域にいるのは間違いない。どこでその力を手にした? それとも生まれ持ってのものなのか?」


 ファーテルは俺を詰問するというような雰囲気ではなく、興味深げに次々と質問を投げかけた。

 どうやら彼は俺が地球――別世界からの転移者だということは知らないらしい。神様や天使様といった天上の存在は総じて全知全能なのかと思いきや、存外そうではないらしい。


 ……しかし、ここで俺が異世界転移者であることをバラしてもいいのだろうか。


 ゼリウスが『他世界から応援要請を受けることがある』と言っていたことから、天上の世界で管理者同士のコネクションがあるのは間違いない。ファーテルからゼリウスに『ウチに地球人がいるぞ』と連絡が行き、連れ帰られる可能性はないとは言い切れないだろう。俺はいわば不法入国者のようなもので、強制送還というのは妥当な措置だ。


 とはいえ、真正面から天使様に嘘をつくのは避けたいところ。とりあえずここは『真摯に誤魔化す』方向が妥当だろうか。


 俺はそう心を決め、虚空を見上げた。


「俺は……、えーと、人よりちょっと魔力が多くて、空間をちょこっといじれるだけの、人間です、かね」

『ふむ……そうか』


 ……嘘は、ついていない。


 かつてツノウサギは俺を見て使徒だなんだと騒いでいたが、あくまで俺は力をもらっただけの存在で、“人間”というのは正しい自称だ。

 あまりファーテルの望むような答えになっていない気がするが、しかし彼はさして気にしたような様子もなく、言葉を返す。そして白い空間のどこからともなく、独り言のような声がボソボソと聞こえた。


「んー……もしやエミュファの奴がなにかしたのか……、まったく、あいつは本当に仕事をしないし、めずらしく仕事をしたと思ったら碌なことになってないし……世界を治めるという仕事をなんだと思ってるんだ、まったく、本当に……」

「え、えー……」


 ……エミュファって、神様なんだよな?


 あまりの言われように、思わず苦笑いが漏れる。人間の世界でも天上の世界でも、上に振り回されるのは同じなのかと思えば、人智を超えた存在であるはずの彼らに謎の親近感が湧いてしまった。


 俺が苦い顔で笑っているのを察してか、ファーテルはコホンと一つ咳払する。


「あ――、すまない、話が脱線したな」

「い、いえ……お疲れなんですね。心中、お察しします……」

「ふっ……はは、ありがとう」


 不敬な言い回しだったかと後から思ったが、杞憂だったらしい。ファーテルは笑いをこらえるような声で礼を述べた。


「んん、まぁいい、ではもう1つ聞かせてくれ。……お前はこれからこの地でどう生きていくつもりだ?」


 続けて、ファーテルは穏やかな声で俺に問うた。

 ……この質問の答えは、もうずっと前から決まっている。


「そうですね……穏やかに、平和に、楽しく、なんの憂いもなく……生きていきたいです、ね」


 俺が真っ直ぐな声で答えると、ファーテルは意外そうな声で『それだけなのか?』と言う。


「その力を持っていれば、もっと、なんでもできると思うがなぁ。そうだな、ひと暴れして一国の支配者になるとか……」

「御冗談を……そんなつもり、毛頭ありませんよ」


 冗談めかして言うファーテルに、俺は即答した。


「ショウにザンさん、アカシアさん……あぁ、ええと、この国で出会ったのは、皆いい人たちばかりでした。そんな彼らの生きる世界を害すつもりは、全くありませんから」

「ふ……そうか……」


 俺の言葉に、ファーテルは満足そうな声で答えた。


「……今までの話に、嘘はないな?」

「ありません。天使様の前で嘘をつく度胸なんか無いですし……」

「……ふ、はは、そうか。いや、本音が聞けて安心した。それならいい」


 可笑しそうに笑うファーテルの声が、白い空間に響く。

 『それならいい』――……これは、見逃されたということだろうかと思い、俺はファーテルに尋ねる。


「俺、このまま……ここに住んでも、良いんですか?」

「あぁ、もちろんだ。ようこそ、ケルナの大地へ。お前がこの地で望むような人生が送れることを願っているぞ」


 ……うん、とりあえず無害な人間だと思ってもらえたらしい。

 強制送還コースは避けられたようで、俺はホッと胸をなでおろした。


「ありがとうございます……もっと、何か言われるものだと思ってました」

「……ふむ?」

「あ……ええと、いろいろ聞かれたり、国や……世界のために何かしろと言われたりするのかと……、」


 ……あ、しまった。緊張が緩んだせいで口が軽くなってしまったが、わざわざ自分から言い出す必要はなかっただろう。自爆してしまったかもしれないと思っていると、ファーテルの軽快な笑い声が聞こえた。

 

「はは、お前は真面目だなぁ」

「た、たまに言われます……」

「……聞かれたくないことを、無理に聞くつもりはないよ。話せば悪い人間かどうかくらいはわかるから、無理する必要はないしな。人間、隠したいことのひとつやふたつあるだろう? もちろん私にもあるし、お前の気持ちは、よくわかる」

「そう……なんですか」

「そして、国のためになにかする――これは私の仕事だよ。人の子のお前が気にするところじゃない」


 ファーテルの声は穏やかで、しかしどこか力強く、頼もしく、芯の通った声だった。きっと今までも、数々の“仕事”をこなしてきてくれたんだろう。それがよくわかる声色だ。

 ……なるほど、こんな天使が見守っている国だから、ショウやアカシアさんのような善い人間が育つのかもしれないと、俺は納得した。


「……それでは、お前を元の世界へ返そう。それと、お前が穏やかな人生を願うなら、私と直接会ったことは誰にも言わないほうが賢明だ。騒ぎになってしまう」

「わ……わかりました」


 確かに国教の中核的な存在である天使に会ったとあれば、ひと騒動起きてしまうに違いない。話の内容も他人に言えるものではないし、今日のことは墓まで持って行くしかないだろう。


「……あぁ、そうだ。ここまで来てもらった礼も兼ねて……最後にひとつ、お前に助言をしよう」

「……え……?」


 俺がそう聞き返すと、しばらく沈黙が続いた。やがて先程までのやわらかい声とは対象的な、重く沈んだ声が真っ白な空間に響く。


「お前は……出会う人間は皆よき人間だと言ったが……あまり、他人を信じすぎるなよ」


 その声は、まるで何かを見透かしているような声だった。


「確かにこの国の人間は、私達の教えを心から信じる者が多い。人は人を助けるべきという考えが浸透しているのだ。しかし……当然、皆がそういうわけではない」

「です……よね。確かに今日、窃盗団と戦うことになってしまいましたし……」

「……。もしかしたら、“お前の隣人が実は……”、そういうことも、あるかもしれない。それをよく覚えておくといい」

「……は、……はい。ありがとうございます」


 天上の存在らしい威厳のある声に、俺は気圧されるように頷いた。


 ……確かに、俺の周囲は良い人間ばかりだが、それはきっと運が良かっただけなんだろう。凶悪なひったくり犯や窃盗団と出会った今、それがよく分かる。

 今まではショウに助け……いやいや、保護されて生きていた状態だったが、ここから先は一人と一匹の旅が始まる。油断せず、気を引き締めていかないとな。


 俺が改めてそう思い直したところで、視界が反転、暗転――『ではな、椎名』という声が段々と遠くなっていくと共に、視界に光が戻ってきた。


「――ナさん、シーナさん!」

『ちょっと椎名さん、どうしたの? ねちゃった?』

「ん……、」


 白い空間と現実との境が分からず、意識がぼんやりとしているところに、アカシアさんとツノウサギの声が飛び込んできた。

お読みくださりありがとうございます。

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