3. 椎名泉、(足の小指にトラックをぶつけて)異空間に転移する
「足足足足あしィ!!」
絶叫が辺りに響き渡る。俺は突然の激痛に足を押えながら転げ回った。
情けないことこの上ないが、本当に痛い。タンスの角に小指をぶつけたときの100万倍痛い。
「う、うぅ……なんだよもう………!」
転がること10回転ほど、ようやく痛みが治まってきた頃、俺は涙目になりながら顔を上げた。一体何がぶつかってきたのか――その正体を確認すべく、目を開けると。
「………は?なんだここ」
辺り一面、灰色がかった白色の世界が広がっていた。
俺、さっきまで自分ちの玄関にいたよな?
そう思って辺りを見渡すが、やはりどう見ても上下左右白、白、白。先ほど管理人ゼリウスに呼ばれたときに見たような世界だった。
「……そういえばさっき、仕事の詳細は後で連絡するって言ってたな……おーい、ゼリウス、さん?」
俺としてはあまり考えたくない予想ではあったが、可能性としては高い。
俺は覚悟を決め、ゼリウスに語りかける。問えばまたあの気の抜けたような声が返ってくるだろう、俺はそう予想していた。……だが、予想に反して中々答えは返ってこない。
「………? おーい……ゼリウスさまとやらはいらっしゃらないのか――……?」
……またしても無音。
なんでだ。俺、呼ばれたんじゃないのか。
俺は少し不安になった。こんな何もない世界に一人きりにされているのだ。一体何が起きているのか、自分はまた元の世界に戻れるのか……そんな不安がどっと押し寄せる。
さらに俺は自身の不安を加速させる事実に気づいた。
「……なんか……ここ、さっきと場所が違うよな……?色が灰色っぽいし、所々まだらになってる。なんかぐにゃぐにゃしてて気持ち悪いな」
際限のない灰色の世界は、所々濃い灰色が混ざってマーブル模様のようになっていて、気味が悪い雰囲気を醸していた。
「なぁおい、ゼリウスさん――!本当にいないのか――?」
今度は気持ち大声で呼んでみるが、やはり返事は無い。
「えぇー……、ゼリウスが呼んだんじゃないなら……何があったんだ?」
俺は前後の状況を思い出そうと頭をひねった。
ええと、家に帰って、玄関に座り込んで。やり切れない気持ちになって、靴箱を殴ったんだったか。
……そういえばその拍子に上から物が落ちてきたな。靴箱の上、何置いてたっけ。印鑑とレシート、小銭、スペアキー……あとなんだっけ……確か粗品でもらった置物がおいてあったよな? そう、あれは引っ越し業者から貰ったブリキの――
「あ――――――っ!!」
そうだ、ブリキ製のトラック。あれを置いてあったな。あれが落ちてきて当たったんだろう、めちゃくちゃ痛かったし間違いない。
……そして俺は同時に思い出す。
期せずして得てしまった己の副業――……異世界トラックドライバーという職業を……。
そしてあの管理人ゼリウスが言っていた、“君が動かしたトラックが人に当たったら、異世界に転移するからね”……という言葉を……。
「…………まさか………、」
俺の頭をよぎった一つの可能性。
「俺、自分で異世界転移……した………?」
……その問いに対する答えは、やはりどこからも返ってこなかった。
「ま、待て待て待て。ちょっと状況を整理しよう。」
ゼリウスの言葉を信用するのであれば、俺は既に異世界トラックドライバーとしての能力――俺が動かすトラックに当たったものを異世界へと転移する能力を得ている。
そして俺はさっき、自分が扉を叩いたことで上から落下してきたミニカーが自らの足に直撃し……その直後この謎空間に飛んできた………、ということは。
「足の小指にトラック(ミニカー)をぶつけて転移しました――…………って、そんなのアリか!?いや確かにトラックだけど!トラックだけど、なんか違うだろ……!しかもドライバー自身も転移できるのかよ、どう考えても仕様検討不足じゃねーか!」
怒涛のツッコミ大会だ。しかしその大会に対する反応はどこからも返ってくることはなかった。俺は久しぶりの大声での長台詞に息を切らす。
……なにはともあれ、因果関係がわかったことにより、俺は若干の落ち着きを取り戻す。
「でも一体どこに転移したんだよ、これ……」
俺は改めて周りを見渡した。景色は相変わらず果てない灰色マーブルである。
「……なんか、空間の歪み……みたいなものか?」
自分で言っておきながら、中二病っぽいなと鼻で笑ってしまいそうだ。……まぁでも、ファンタジー世界でありがちな背景だろう。
俺はとりあえずそういうものだという仮定で話を進めることにした。
「しかし……これはどうしたらいいんだろうな。もう一回ぶつかれば元の世界に帰れるのかもしれないが……」
そう言いながらしゃがんで足元を確認するが、件のトラックは見当たらない。
……まぁ、“異世界転移”でトラックまで一緒に転移されたらびっくりだよな。そんな話見たことないわ。
苦笑しながら腰を上げようとしたとき、ふとスラックスの後ろポケットに意識が向く。
「…………あっ」
尻に当たる硬質な感覚、これは社用スマホだ。左側のポケットからそれを取り出すと、シャランと揺れるストラップ。……取引先の創立何周年記念とかで貰ったストラップだ。輪状になっている紐の先には小さなトラックがぶら下がっている。
「………あ、あった……トラック」
これ、自分にぶつけたら元の世界に戻れるんだろうか。試してみようかとストラップを自分の方に向ける……が、すんでのところで思いとどまった。
「い……いや、やめておこう。元の世界に帰れるっていう保証がないし、余計に変なところに飛んでも困る。トラックも残り1個しかないから失敗できないしな。これは最後の手段だ」
俺はまだこの能力の使い方をよく知らないし、現在地もよくわからない。ヘタに試して事態が悪化したら目も当てられないだろう。
「しょうがないな。とりあえず適当に歩いてみよう」
一面灰色の奇妙な世界、出口や入り口などは見つかりそうにはないが、ここに留まっていても仕方ない。
……よく考えると、どうせ元の世界に戻ったって、待ち受けるのは人殺しとしての未来だもんな。別に是が非でも帰らなきゃいけないわけじゃない。
そう思いながら、俺は果てない空間の中を、どこへ向かうわけでもなく歩き出した。
◇
――さて、謎の空間をあてもなく彷徨い続けて、おおよそ1日半が経過した。
「はぁ………はっ………」
この間、俺はこの謎の空間に関するヒントも、出口も、何も見つけられていない。どこまでも果てない灰色の世界だった。
最初は何とか気分を盛り上げようと鼻歌を歌いながら歩いていたが、そんな俺は今………
「み………みず…………っ!」
………脱水症状に苦しんでいた。
なんせ飲まず食わずで一日半過ごしていたのである。異世界トラックドライバーという超人的な能力を得たとはいえ、所詮は人間である。当然の症状と言えた。
「も………もーだめだ……死ぬ………」
そう呟いて、俺はその場に崩れ落ちた。そのままゴロンと大の字に転がるが、見上げた先はやはりどこまでも灰色だ。
「はぁ、くそ……そろそろ2日ぐらい経ったんじゃないか……? もし出勤日に行方不明なんてことになってたら……ゼリウスさんとやらが、迎えに来るかも、とか、思ったが………」
結局、彼が現れることはなかった。彷徨い続けている間、試しにゼリウスの名を何度か呼んでみたが、何の反応もなし。とりあえず欠勤できたことに安堵したものの、俺の置かれている状況は最悪だ。
……それにしても頭が痛い。ガンガンする。なんか手足もしびれてきたし……。目の前が……暗く……。あ、やばい、これ死ぬんじゃないか。
人を殺すぐらいなら自分が死んだ方が楽だと思っていたものの、いざ死が目前に迫れば動物的な本能が死にたくないと叫び出す。
「くそ……イチかバチか、転移能力を試してみるか……。」
震える手でスラックスのポケットから取り出したのは、トラック……がモチーフのストラップ。もしかしたら身に着けていれば、転移先にも持っていけるかもしれない――そう思って、ストラップの輪の部分は左手首に通す。
あとは、俺がトラックと事故るだけだ。
「よし……、頼むぞ……!」
すう、と大きく息を吸い込む。
……失敗して、今より状況が悪化するかもしれない。しかし、もし転移できなかったとしても、俺の身体はもう長くはもたないだろう。
俺の体は緊張感に包まれる。
「あ……そ……いえば、あいつ言ってたな……転移のコツは……、」
“ぶつけるときに、管制室に飛ばすという強い意志とイメージを持て”――そう言っていた。転移先のイメージをしっかりと持てば、そこに飛べるのかもしれない。
「……おれが、転移、したいのは……、元の世界、……」
そう考えて思い浮かぶのは、薄暗くて狭いアパート、それに資料がかさ高く積まれた会社のデスク、親しい友人も、俺をいたわる家族もいない環境――
「…………や……ちがう……、ちがう、おれは………」
あんな世界に転移したいなんて思えない。
……なら、俺はどこに行きたいんだろう。
「おれは………おれは…………、」
……楽しく幸せに生きれる場所に、行きたい。
俺を大事にしてくれる誰かがいる場所に行きたい。
俺の好きなことができる場所に行きたい。
現代社会から離れた場所。
それにゼリウスの目も届かないような――遠く、遠く、遠くの場所へ。
……あと、さしあたっては、うまい水と飯にありつける場所がいい。
「頼む……っ、【転移】……!」
そう祈りながら、俺はちょうど心臓の上の位置に、トン、とトラックをぶつけた。
その瞬間、視界は反転、暗転する。もう幾度か体験した、このよくわからない感覚。この感覚に陥ったということは――俺はどうやら転移に成功したらしかった。
そのまま一瞬浮遊感に包まれ、ついで背中を強打する感覚。空中に転移してしまったようだが、とりあえず地に体がついたらしい。
弱々しく咳き込みながらも、おそるおそる目を開けてみれば、そこは――
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