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26. 椎名泉、フラグを感じる

「……綺麗な景色だな」


 ラカイを出発して10数分、俺は果てない草原を眺めながら呟いた。


 その景色は、東欧の長閑な田舎道のような印象だ。どこまでも続く黄緑色の草原に、ところどころ小さな花が咲いており、山羊などの動物もちらほらと見える。


『このへんはずっと草原と森が続いてるんだ』

「そうか……いい所なんだな」


 俺はツノウサギの言葉に頷きながら、ゆったりとした景色に癒されていた――……

 


 ……の、だが。

 出発から1時間後、事態が急変する。











「……酔った……」



 先程までの穏やかな雰囲気はどこへやら、俺は冷や汗をかきながら口元と抑えねばならない事態に直面していた。

 俺の悪い予感は見事的中し、なんと乗車1時間で馬車酔いを起こしてしまった次第である。


『ちょ、ちょっと、椎名さん大丈夫なの?』

「顔真っ青だよ、シーナ……」

「し、シーナさん、しっかりしてください――っ!」


 そう言って、彼らは心配げな表情で俺の顔を覗き込んでいる。俺は込み上げる吐き気を抑え込みながら、なんとか応じた。


「ば、馬車って、こんなにゆれるんだな……」

「うーん、このへんは舗装も荒いからね……」

「シーナさん、横になりますか? ワタシ、膝枕しますよ――っ!」


 アカシアさんはまさに天使の微笑ともいえる表情を浮かべながら、ぽんぽんと自身の膝を叩き、手招きした。

 俺はあまりの酔いの酷さにうっかり誘いに応じてしまいそうだったが、すんでのところで思い留まる。


「……や、さすがにそれは犯罪の匂いがする……遠慮しとくよ」

「犯罪……ですか?」


 アカシアさんは不思議そうな顔をしながら首を傾げるが、いくらなんでも15の少女の膝の世話になるのは駄目だろう。


「あー……でも駄目だ、悪いショウ、ちょっともたれさせてくれ……」

「はいはい、おいで〜」

「シーナさん、お水とか欲しかったら言ってくださいねっ!」

『ボク、背中さすろうか?』

「うう……すまんみんな……」

 

 そう言ってショウの肩にもたれかかった俺の背中を、ツノウサギとアカシアさんがさすってくれる。


 ……1人でケルナに行く決断をしなくて、本当に良かった。

 もし馬車に1人で乗り込んで、見知らぬ乗客に挟まれながら、今にも吐きそうな状態になっていたら。……周りの乗客の冷たい視線が突き刺さることになっていたかもしれない。


「はぁ……2人はなんともないのか……?」

「ふふ、ワタシたちは慣れてますからね――っ!」

「そうだねぇ」


 そう言って、ショウとアカシアさんは顔を見合わせて笑う。

 まぁ確かに、医者にかかるのも馬車で数日の旅と言っていたし、皆長距離移動には慣れてるんだろう。


 俺はこれからの4日を憂えて、深いため息をついた。

 そんな俺を見て、アカシアさんは『そういえば、』と思い出したように口を開く。


「……前から思ってたんですけど、シーナさんって、その……由緒正しいおうちのご出身なんですか?」

「あぁ、それ、俺も思ってた。シーナ、絶対いいとこのお坊ちゃんだよね」

「……え!?」


 突然振られた話に、俺は声がひっくり返る。

 なんせ転移前はワーキングプアのどん底社畜。イイトコのお坊ちゃんとは無縁の人生を送ってきているのだ。


「な、なんでそう思ったんだ?」

「だってシーナ、荷馬車にも慣れてないし、畑仕事も苦手でしょ? それに町の生活のことに疎いし、出会ったときの服、サラサラのツヤツヤで高そうなシャツだったし!」

「あ、あぁ……なるほどな」


 俺は妙な納得を得つつも、どこか釈然としない気持ちで頷いた。


 ……畑仕事が苦手なのは腰痛持ちだからで、町の生活に疎いのは地球の常識の通じない異世界に転移したからで、シャツはセールで買ったポリエステル製のものなんだが……。


 しかし、ショウがやたらと俺に対し過保護だった理由が、今ようやく分かった。

 高そうなシャツを身にまとって、平民の生活のイロハも知らない男――なるほど、俺はずっと世間知らずのお坊ちゃんだと思われていたらしい。


「い、いや、そんなわけないだろ。俺は普通の平民だぞ」

「でもシーナ記憶がないんでしょ? じゃあ分からないじゃない?」

「あっ……いや、まぁ、そうだが……」

「へっ!? 記憶喪失!?」


 俺が言い淀んでいると、アカシアさんは目を丸くして驚いた。


「あぁ、そういえばアカシアさんに言ってなかったか……俺、この町に来るまでのこと、ほとんど何も覚えてないんだよ」

「え、え――っそうだったんですか――っ!?」

 

 ……それから、俺は今更ながらアカシアさんにこの3ヶ月間のことを話した。

 3か月前、森の中で倒れていたところ、ショウに拾われたこと。それまでの記憶がほとんど失われていることを。


 俺は身元の分からない不審人物であることを申告したわけであるが、すべての話を聞き終えたとき、アカシアさんは口元に手を当て、眉尻を下げた悲しそうな表情で頷いた。


「そうだったんですか……! それは大変でしたね……!」


 ……どうもあっさり記憶喪失の嘘を信じ、その境遇に同情してくれているようだ。さながらどこかのお人好し青年2号である。


「でも、じゃあ……実は貴族とか――もしかして、他国の王族だったりする可能性もあるんじゃないですかね……!?」

「王侯貴族は特に魔力量が多いっていうしね。あ、それか宮廷大魔道士とか?」

「それもありえそうですっ!」

「な、無い無い、無いって」


 どんどん膨らんでいく話に、俺は慌てて首を振った。しかしそんな否定も虚しく、2人は変わらずキラキラした視線を俺に送っている。


「でもシーナさんが忘れてるだけかもしれないじゃないですか――っ!」

「そ……それはそうだが……」


 ……そう言われると、記憶喪失を騙っている以上は否定はし辛い。

 どうしたものかと頭を捻っている間にも、ショウとアカシアさんは楽しげな様子で話を進めていた。


 そんな中、唯一、俺の事情を知っているツノウサギはひそっと尋ねる。


『……それで、ほんとうのところはどういう身分だったの?』

「中小の工作機械メーカーのソフトウェア開発部に居た、普通の社畜だよ……」

『……わかる単語がひとつもないんだけど』

「あー、機械……製品の開発をしてるチームの下っ端ってこと」


 遠い目になる俺をよそに、2人は未だ俺のありえもしない経歴について盛り上がっている。


 ……しかしそんな折、俺はふとあることに気づいた。


「……あれ? なんか、酔いがマシになってきた気がする……」

「え、本当?」

「たしかに! 顔色、良くなってきましたねっ!」


 なんと、先ほどまで吐き気の頂点を極めていたはずが、酔いがだんだんと収まってきていたのだ。

 この間俺がしたことというと、水を飲んで、2人と1匹に背中をさすられつつ、話に相槌を打っていただけである。人と話していると酔いにくいとは聞くが、あまりにも不自然な回復速度だ。


『……ずいぶん復活が早いね?』

「あぁ……もしかして、これも俺の能力のひとつか?」


 少し怪訝な表情のツノウサギ、俺は彼にだけに聞こえるよう声を潜めながら返した。


『え……すごい、病気とか体調不良の自然治癒ってこと?』

「や、そんな大層なものじゃなくて……“車酔いしない”っていうパッシブスキルとみたいな……」

『なにその超限定的な能力……』


 俺の能力――そう、異世界トラックドライバーとしての能力だ。

 吐き気でいっぱいいっぱいになりながら人を跳ね飛ばす異世界トラックドライバーなんか見たことがないし、乗り物酔い耐性がついたりする……のかもしれない。


 ……なにはともあれ、皆に迷惑をかけずに済みそうで助かった。


「2人共、心配かけて悪かった。もう大丈夫そうだ」

「わーい、よかったです〜〜!」

「この先ずっと酔っぱなしは辛いだろうからね」


 そう言って2人は安心したように笑った。

 俺も気を取り直して、心穏やかに馬車旅を楽しもう。


「街まであと4日半くらいだったか?」

「今のところ順調に進んでますから、もっと早く着くかもですよ!」

「そうだね、このまま平和に行くといいね!」

「……ショウ、それはフラグか?」

「……“ふらぐ”?」

「シーナさん、“ふらぐ”って何ですか?」


 思わず突っ込んだ言葉に、ショウとアカシアさんは首を傾げる。

 そして本当に何も起こらないといいな……という期待を胸に、果の見えない草原を眺めていると。




『――椎名さん、なにか来る、かも』

「え……」



遅くなりましてすみません。

お読みくださりありがとうございます。

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