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2. 椎名泉、新人研修を受ける

有無を言わさずエンジンがかかるトラック。


「いいですか――?君の仕事は、ただトラックを対象者にぶつけるだけです――。君が動かすトラックに当たった人間は自動で異世界に転移しますので――、難しい作業はないですよ――。」

「“だけ”……って、いや、それが嫌だって言ってるんだが!?」

「今回の目標は100m先の女学生です――、」

「はぁ!?」


 促されるまま前方に目をやると、そこにはセーラー服を着た女子学生の姿があった。年齢はまだ10代に入って少しといったところであろうか。少なくとも命を落とすには早すぎる年頃である。

 俺は絶対にやらないぞという意思表示を込めて、腕を組み、足を座席に上げて3角座りのような体勢をとった。


「彼女は“不運にも”交通事故に遭い、その後地球の隣の隣の隣の世界に転生します――。彼女は“聖女”としてその世界に呼ばれているので――」


 そしてゼリウスの言葉とともに、なんとトラックが発車する。


「……えっ!?ちょっ……おい、なにこれ、車が勝手に進んでる!?」


 俺は依然として運転席で三角座り状態だ。アクセルなんか踏んでいないし、ハンドルも握っていない。だが俺の意思に反して、車はぐんぐん加速していった。


「今回はチュートリアルなので自動運転です――。どれぐらいの速度でぶつかって行ったらいいのか、身体で覚えてくださいね――。うまく転移させるコツは、相手をしっかり管制室に飛ばそうという強い意志とイメージを持つことです――。あっ、管制室っていうのは、さっきの白い世界のことですよ――」

「い、嫌だ!嫌だ、出せ、おい、ここから出せよ!!」

「チュートリアル中は危険なので外には出られませんよ――。」


 ――どうする、このままだと本当に轢く。

 こんな時、どうしたらいいのか――頭は回らない。ハンドルを切って避けようとしたが、どれだけ力を込めてもなぜか回らなかった。ブレーキを踏んでも止まりそうにない。サイドブレーキも同様だ。


「目標補足です――。」


 女学生までの距離はあと5m というところまで迫っていた。俺の目には、なぜだか世界がスローモーションに映った。前を見ていられなくてギュッと目を瞑る。


 もう駄目だ、ぶつかる――俺がそう思った瞬間、ドンッという重い衝撃がトラックを襲った。明らかに何かを轢いたとわかるインパクトである。


「はぁっ…………は…………」


 ……ひ、ひとを、殺してしまった。

 どっと心臓が強く打つ。頭が真っ白になる感覚というのはきっとこういうことだろう、と俺は回らない頭で考える。手足はガクガクと震えている。血や肉片が飛び散っているかもしれないと思うと、怖くてフロントガラスの方は見れなかった。


 なんでだよ、なんでこんなことになった?

 確かに張り紙をよく読まなかったのは俺の過失だ。

 でもだからって、こんなことになると思うか?

 俺はただ、ネタになると思ってあのチラシを引っぺがしただけだ。

 それがなんでこんなことに、どうして……


「はぁーい、これにてチュートリアル終了で――す。どうですか――?感覚は掴めましたかね――?」

「お………まえっ………!」


 ゼリウスの場違いな間延びした声に怒りを覚える。思わず顔をあげると――


「あ………れ?」


 ……フロントガラスには傷ひとつ入っていなかった。それどころか血しぶきのひとつも付着していない。人をひいたと言う割にはあまりにも綺麗な状態であった。


「な………なん………なんで…………、」

「今回はチュートリアルですので、幻影をご用意したんです――」


 ゼリウスの声に続いて、パンと何かが弾ける小気味良い音が車内に響いた。驚いて目を閉じ、そして次に目を開けたとき――そこは元いた真っ白い空間だった。


「あ…え……?ま、幻?俺、ずっとここにいたのか?」

「そうですよ――」


 …………。

 よかっ、た。俺、人殺しになったわけじゃ、なかったんだな……。


 ゼリウスに渾身の怒りをぶつけたい気持ちであったが、人を殺していなかったという安堵が怒りを上回り、俺はその場に座り込んだ。手足は未だにガクガクと震えている。


 ……“異世界転生物”。ずっと憧れてたけど、その裏でこんなことが起こってたんだろうか。華々しい舞台――主人公サイドの視点で見ていた時には見えなかった、異世界転生の、闇。その一片に触れた以上、これから純粋な気持ちで小説を楽しめないだろう。異世界トラック――その事故の数だけ、人生を台無しにされた人がいるのだ。

 俺は未だ震える手を見つめ、ぐっと握りしめた。

 

「それで研修はどうでしたか――?わかりましたか――?」

「……ッお前な……!」


 ヒトの人生を何だと思ってるんだ!そもそもヒトの話をなんで聞かないんだよ!とか言いたいことは100個ぐらいあるが、取り急ぎこれだけは言わなければならない。


「ッ、あぁ、痛いほど“わかった”よ……!俺は絶対こんな仕事――」

「そうですか、おわかりいただけたなら良かったです――。」

「……は!?」


 『受けたりしないぞ』、と続くはずだった俺の言葉は、ゼリウスの声に遮られる。自動音声システムは俺の“わかった”という言葉に反応してしまったらしい。マジかよ、と自身の迂闊を後悔してももう遅い。音声は矢継ぎ早に業務連絡を続けた。


「初出勤は明日の夜です――。それまでにコンディションをばっちり整えておいてくださいね――。対象者は追って連絡します――」

「お、おい!」

「それではよろしくお願いしますね――」


 自動応答システムは必要事項だけ伝えた後、ブツリという音とともに遮断された。


「………そんな……!」


 俺は真っ白い空間に一人だけ取り残された。

 そして次の瞬間、再び世界は反転、暗転――気づけば世界の外れとやらに投げ出される前の、夜の街に立ち尽くしていた。


「………明日の夜………初出勤………?」


 俺は自動音声に言われた言葉を、呆然と反芻する。つまり俺は明日の夜にあいつに言われたままの相手を殺さなきゃいけないってことだ。

 俺はさっき幻の女子生徒を轢いた時の感覚を思い出す。


「いやだ、そんなの、絶対に嫌だ……!」


 運転過失致死傷容疑、逮捕、前科、社会的制裁、遺族への謝罪、賠償……。現実味を帯びてくる最悪の未来。

 思わず唸るような声が出る。

 道行く人々が怪訝な顔で俺を見ているような気がしたが、周囲の視線を気にする余裕など俺には存在しない。


 ……その後のことは、正直よく覚えていない。

 茫然自失のふらふらとした足取りでなんとか帰ろうとして、気づけば自宅の玄関に居た。とりあえず自分の領域に帰れた安心感から、コンクリートの玄関に崩れ落ちる。

 堅苦しい革靴とコートを乱雑に脱ぎ捨て、そのまま冷たい玄関先に蹲った。


「……どうしたらいいんだよ」


 絞り出された声は、あまりにも弱々しい。


「……ストライキとか、できるんだろうか……」


 自分で言っておきながらなんだが、無理だろうな、と俺は半ば確信していた。管理人とやらの強制力は尋常ではない。それは今日のチュートリアルで分かっていることだ。

 例えば職務放棄をしたところで、何かしらの強制力が働き無理やりドライバーをやらされるか……、それとも、もしかした神罰などが降ってきたりするかもしれない。


「神罰か……それはそれでいいかもな………」


 思わず乾いた笑いが漏れる。

 人を轢いてしまったことによって受けるデメリットと、神罰であっさり死ぬことを天秤にかけたとき、前者の方が圧倒的に楽で面倒がない。


「………ッ、クソ………!」


 やりきれない思いを少しでも発散しようと、俺は側にあった靴箱の扉を力任せに叩いた。静まり返っていた部屋に、ダァンという激しい音が響き渡る。


 ……この衝動に任せた一撃が、俺の運命を決定的に定めることになる。

 それを俺が知るのは、もう少し先の未来のことだが――


 殴りつけられた靴箱は、その衝撃を棚の上に乗っていた小物類にまで伝える。印鑑やスペアキーがばらばらと足元に散った。


「……本当に人生、ろくなことがあったもんじゃない」


 その拍子に、同じく棚の上に置いていた、ブリキ製の小さなトラックの車輪がまわる。


「就活がうまく行かなくて、やっと拾ってもらえたと思ったらブラック企業で……」


 トラックはコロコロと棚の縁へと進み――


「それでも毎日毎日ストレス抱えながら仕事して……、」


 そのまま前半分が天板から脱輪した。棚側に残っているのは車体の3/5程度。ギリギリのシーソー状態だ。


「それでもなんとかやってきて……それが今度は人轢き殺して前科持ちになれって?冗談じゃない……!」


 俺はもう一度、ダアン、と力任せに靴箱を殴りつけた。



 ――それが決め手となった。



 ぐらりと大きく揺れるブリキのトラックはついに後部も脱輪し、重力に従って真っ逆さまに落ちていく。そして遂に――


「俺の方が異世界転移した――いっでええぁああ"あ"あぁ!?」


 ――俺の足の小指を直撃した!



お読みくださりありがとうございます。

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