10. 椎名泉とショウ(前編)
俺行方不明事件から、約1ヶ月経った頃。
俺はこのところ毎日、ショウやザンさん、アカシアさんの目の掻い潜って森に入っている。もちろん、これ以上3人に迷惑をかけるわけにはいかないので、日の高いうちに帰るようにしているし、あまり奥の方には行かないように徹底している。
目的は当然、能力の検証の続きだ。
「――ブルオオオオ!!」
ガサリ、と背後の草木が揺れる音とともに、大地が揺れ、獰猛な咆哮が響き渡る。先日見た個体より、さらに一回り大きい猪が姿を現した。
草が揺れる音に気づいていたので、今回は事前に体勢を整えておく余裕があった。俺は落ちついて獣と相対し、その鼻先めがけて左腕を振りかぶる。
「っ、【転移】!」
腕に通しているストラップ――トラックが猪に追突した瞬間、猪はその姿を消す。転移は成功したようだ。
緊張感から開放された俺は、大きく息を吐いた。検証中“害獣”は度々出没しており、その都度転移させてきたが、戦闘にはまだ慣れない。相変わらず腰は引けたままだ。
「は――……今の、大きさは2.5mくらいか? 記録更新だな」
――検証を続けているものの、能力の限界に関しては結局分からないままだ。大岩、獣、気体、液体、様々なものを試したが、今まで転移できなかったものが無いのである。もしかして限界はないのだろうか。
トラックをぶつける――ただそれだけのことでどんな相手でも確実に消し飛ばせるというのなら、まさしく無敵の力としか言いようがない。
凄い力を持ってしまったものだ、と俺は改めて実感した。
「……さて……、転移能力についてはある程度分かってきた。とすると、次に考えるべきことは、これをどう生かすか……ひいては、この世界でどう生きていくか、だな」
今はショウの世話になっているが、ずっとこのままというわけにもいかない。
どうやって収入を得るのか、どこで暮らしていくのか。これからどう生きていくべきかを考えなければなければ。
俺は先人たちの物語を思い返した。
「よくあるのは田舎町でスローライフとか、冒険者になって無双ライフとか……だよな。でもそれはちょっとな……」
正直、どちらも気が乗らない。
今はまさにスローライフをエンジョイしている真っ最中であるが、ずっとゆっくりとした生活をしていたら飽きてしまいそうだ。それにせっかくの転移能力も使い道が限られてくる。いずれ街へ出て、冒険者みたいな楽しそうで刺激のありそうな職業につきたいものである。
……かと言って、街で冒険者として無双ライフを送りたいのかと聞かれると、それは否だ。フィジカル的にもメンタル的にも問題しかない。
まずフィジカルの問題。
そもそも転移能力自体は無敵だが、その無敵の力も使い手が弱ければ意味がない。
俺自身は都会生まれ都会育ちのアラサーモヤシ社畜で、当然戦いになど慣れていない。先月猪に襲われた際も、一瞬頭が真っ白になって足腰がへろへろになってしまった。こんなので超級無双ライフを送るのは不可能だろう。
次にメンタル的な問題。
無双ライフといえば、他者の惜しみない称賛の嵐と大きすぎる期待が付きものである。ひとたび無双話が広まれば、冒険者ギルドの職員に始まり、果ては領主やら王侯貴族にまで目をかけられるようになり、それに比例して厄介事を持ち込まれ、巻き込まれ……、あ、無理。
地球に居た頃――社畜時代の心の傷が蘇る。
また『椎名くんならできる!』とか、よくわからない持論で勝手に期待されて、責任の重そうな事案やら、実力に見合わない事案やらを押し付けられでもしたら……、あぁ、うん、目も当てられない。悲劇を繰り返すだけだ。
……まぁ、以上を総合して考えると、だ。
「バランスよくほどほどに……かな」
……正直な話をすると、“超級無双”とまでは行かなくても、“そこそこの活躍”はしてみたいな、とは思っている。うん。「わー、シーナすごーい!」とか、人生で1回くらいは言われたいだろう。自己肯定感を高められたいというのは自然な欲求だ。
「大事なのはワークライフバランス。ほどほどに自己肯定感を高められながらプレッシャーなく仕事して、そこそこ余裕のある収入を得て、趣味を見つけてプライベートも充実させる――俺はそういう生活がしたい!」
これが俺のたのしい異世界ライフの理想形だ。
異世界転移した人間にしては志が低いかもしれないが、正規転移者じゃないんだから、特別な使命があるわけではない。ガツガツ頑張る必要はないんだ。
当面はとりあえず何かしらの仕事に就いて金を稼ぎつつ、そこそこ体を鍛えて……と、そこまで考えたとき。
「……お、もう昼か」
見上げた空の太陽は高い。いつの間にかお昼時になっていたようだ。飯の時間になっても帰ってこないとなれば、またショウに心配をかけるだろう。
前回の二の舞いにならぬよう、俺は家路を急いだ。
◇
「ただいまー……」
そう言って玄関のドアを開けば、トマトソースの香りが届き、エプロンをしたショウがひょっこりと姿を現す。今日のお昼はトマト煮だろうか。
「シーナさん、おかえり。どこまで行ってたの?」
「えーと、森の近くだよ」
「そう……、大丈夫だった? このまえザンさんが言ってたでしょ、最近害獣の群れを見かけたって人がいるって」
「あぁ……」
そういえばそんな話だったな。
確かに害獣は見かけたが、群れじゃなく1匹ずつしか遭遇してない。
「いや、大丈夫だったぞ。群れには遭ってない」
「ならいいけど……。森に行くときは本当に気をつけてよ。この前みたいな奥地に入るのはぜーったいだめだからね?」
「分かってる、もう入らない。……しかし害獣の群れってそんなにヤバいのか?」
「当たり前でしょ。1匹でも遭遇したら大変なのに」
「……ん?」
ショウの言葉に違和感を覚えて、俺は聞き返す。
「どうしたの?」
「1匹でも大変って、討伐が大変ってことか?」
「そうだよ。2mくらいの中型の獣なら……んー、この町の衛兵さんが何人がかりかでようやく勝てるくらいかな」
「………マジか」
「マジだよ。だから気をつけてって言ってるの」
……なんと。『無双ライフは無理!』とか言いながら、ちゃっかりしっかり無双していたらしい。危うく定番の“俺なんかやっちゃった?からの祭り上げルート”に入るところだった。魔法なんかがある世界だし、獣相手でもあっさり勝てたりするのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
「まぁ、小さな害獣なら問題ないけどね。中型大型の害獣の討伐は難しいよ。生半可な魔法は通らないから」
「そうなのか……」
「さ、そろそろご飯できるよ!今日はチキンと香草のトマトミルク煮で〜す」
そう言ってショウはキッチンからトレイを運んでくる。ふわりと香る香草と、トマトとミルクの匂い。木製のスープ皿に盛られたチキンとじゃが芋にトマトミルクのスープが絡んで、非常にうまそうである。
「うまそう。いただきます」
「イタダキマスー!」
「ん、これ、すげえうまい。ミルクがいっぱい入っててまろやかだけど、トマトの酸味が効いててさっぱり食べれる。すげえうまい」
そう言いながらバクバクと食べ進めていると、ショウはありがとうと言いながら笑う。
「? ショウさん、どうかしたのか?」
「いやー、シーナさんもすっかりこっちの言葉に慣れてきたなーって思って」
「あぁ……まぁ、こっちに来てから結構経つしな」
言語理解チートなしで転移した時はどうなるかと思ったが、ショウが手の空いている間ずっと言葉を教えてくれていたおかげで、簡単な日常会話は比較的スムーズに行えるようになってきた。特にショウの料理の感想を言うために、食事関連の語彙は豊富だ。
この地方で使われている言語は、周辺国家の共通言語らしい。
その昔、国境を越えた人の行き来が活発になってきた頃、意思疎通を円滑にしようと編み出された言語なんだとか。地球で言うところのインドネシア語のようなイメージだろう。言語が生まれた目的上、極めて易しい言語だったため、習得は非常にスムーズだった。
「シーナさん、勉強ずっとがんばってたしねぇ」
「あぁ。俺が元いた国により簡単な言語で助かったよ」
「ふうん……あ、ねぇ、そういえばずっと気になってたんだけどさ」
「ん?」
「シーナさんってどこから来たの? シーナさんの使う言葉、聞いたことがないんだよねぇ……イタダキマス、とか……」
…………。
……いや、それを疑問に思うのは遅すぎないか?
俺は心の中でツッコミを入れる。正直あまり聞いてほしくはなかったので、自分から出自について言うことはなかったが。この男、よく身元が全くわからない人間を2ヶ月も同じ家に住まわせてるなとは、常々思っていた。
呆れ半分の顔でショウを見れば、首を傾げながらなにやら思案している様子。
「黒髪黒目だし、見た目は隣のミュゼル帝国出身っぽいよね。船でミュゼルから出てきて、難破して東部に流れ着いたとか?でもあの国で食事前にイタダキマスなんて言ってたかなぁ………」
「えーと……、」
お読みくださりありがとうございます。




