1. 椎名泉、転職する
はじめまして、航ると申します。
お読みいただけて嬉しいです。
今日から明日にかけて10話ほど更新し、そこから毎日投稿がんばります。
――椎名泉は極めて平凡な人間であった。
平凡な家庭で生まれ育ち、中の下くらいの学校を出て、中の下の企業に勤めはじめて、ちょうど4年目になる。
◇
定時を告げるチャイムが鳴ってから、はや5時間。時計の針は夜の11時過ぎを示していた。
"サービス精神は旺盛に"。自らにそう言い聞かせながら処理していた仕事も、ようやく終わりのメドが立つ。
自身のPCのシャットダウンの文字をクリックすれば、15時間の労働を終えたシステムは眠りにつく。暗くなった画面には、ボサボサの黒髪に冴えない顔をした男の顔が映った。
「……課長、依頼されてた変更データの差し替え、終わりました」
隣の席に座る自らの上司にそう告げれば、彼はこちらを一瞥するでもなく、ぺらりと一枚の封筒を突き出した。
「あ、そ。じゃーもう帰っていいよ。あとこれ、給与明細ね」
「……ありがとうございます」
……よし、帰れるな。長々と小言を言われたり、次の仕事を押し付けられたりする前にさっさと帰らなければ。
明細を受け取り、鞄をひっつかんで、逃げるようにデスクを後にする。
ビルの外に出れば、そばの歓楽街の明かりが赤々と輝いていた。薄暗い社内とのコントラストに目が慣れない中、俺はひとり帰路につく。
「はぁ……」
とぼとぼと歩きながら、先程受け取った給与明細をめくってみると。そこには給与18万手取り14万――と、なんとも慎ましい数字が印字されていた。
「…………転職したい」
人知れず、俺は大きなため息をつく。
26歳男、都内一人暮らし、月収14万、必要経費を除くと俺が自由に使える金は月に1万円も存在しない――俺の生活は毎月カツカツだ。
それに“諸般の事情”により今の会社で昇給の望みは薄いのがまた辛い。もちろん昇進など夢のまた夢だ。
「とはいえ……転職も難しいんだよな。特別な資格も実績もないし……」
今日は月末金曜日の夜、会社近くの通りは飲みに繰り出す会社員たちで盛り上がっていた。しかしながら、俺には飲み会を楽しむような余裕が精神的にも金銭的にもありはしない。無の表情で夜の街の喧騒を眺めることしかできなかった。
……いいな。俺もそこそこ余裕のある、そこそこ楽しい生活がしたい。宝くじでも当たらないものか。
そんな栓の無いことを考えていたとき、近くに立っていた電柱がふと目が入る。
「………なんだ、これ?」
その電柱には一枚の張り紙が貼ってあった。
「求人広告……異世界トラックドライバー募集中?」
まず目に飛び込んできたのは、デカデカと書かれた“異世界トラックドライバー募集中”の文字。さらにその下には非常に馬鹿げた内容が記載されていた。
“トラックを人にぶつけるだけの簡単なお仕事★”
“ぶつかった人は自動的に転生されるので難しい作業はありません!”
“あなたの将来を約束します!”
“死後に備えて神のお使いをこなし徳を積もう!”
“死後は神界で正社員採用もアリ!”
“世界を救う殺りがいのある仕事です!”
“未経験者歓迎!充実した研修体制を整えています!”
“アットホームな職場です♡”
“まずは面接へGO!!”
「……誰だよ、こんなしょうもない張り紙作ったの」
最近流行ってるよな、この手の小説。
脳裏に浮かぶのは、最近流行の異世界転生・転移系の物語。俺の趣味は手軽で低コストなネット小説を読むことだ。特に今一大旋風を巻き起こしている、いわゆる“異世界転生物”を読み漁っている。
……この紙はたぶん、転生モノにありがちな“トラックに轢かれて目が覚めたら神様に会って異世界に転生することになった”……とかいう展開から着想したパロディみたいなものなんだろうな。
SNSにでも投稿してやろうか――そう思い、俺は張り紙に手を伸ばす。そしてバリッと音を立てて張り紙が剥がれたとき――俺の目の前は反転、暗転。そして真っ白になった。
……俺は見逃していたのだ。ふざけた勧誘文句の下に、米印で書き加えられていた内容を。
“面接のための交通費全額支給!この紙が面接会場行きチケットになります!紙を破ったら即転移★”の文字が書かれていたことを……。
◇
気づけば俺は真っ白な空間に居た。
「――はっ………!?」
あたりを見渡す限り白、白、白。
……俺、さっきまで街の中にいたはずだよな?
それがどうだ、張り紙を剥がした途端に急に目の前が真っ白に塗り変わるという超常現。
「な、なんだここ?」
自分の置かれている状況が信じられず、思わず目を擦ったり、頭を左右に振ってみたが、それでも目の前の景色が変わることはない。
そんなとき、この白い空間のどこからともなく少年らしい高い声が響き始めた。
「あっ面接希望の方ですか――?」
予想外の事態に焦る俺とは対照的な、間延びした声。
しかしながら声が響くだけで、その主はどこにも見当たらない。
「初めまして、僕はゼリウスだよ――。この地球を治めてる管理人で――す。この度は面接にお越しくださいましてありがとうございます――。」
「……なんだこれ夢か?」
きっと疲れで倒れたんだ、そう思って自らの手の甲を抓ってやる。夢ならばこれで目が覚めるかと思ったが、期待に反して抓った場所が痛い。
さらに追い打ちをかけるように謎の声は続ける。
「やだなぁ夢じゃないですよ――。君の意識は今、“世界のはずれ”に転移してる状態なんです――。」
「て、転移?世界の外れ?どういうことだ?てかなんで!?」
「え――?君、異世界トラックドライバーの面接に来てくれたんですよね――?」
「……面接?どういうことだ?」
「紙に書いてあったでしょう――?あの張り紙を外したら面接会場まで飛べますって――。君は面接希望なんですよね――?」
え、なんだそれ。
俺は慌てて持っていた張り紙に目を落とす。驚きのあまりぐしゃぐしゃに握りつぶしてしまっていたが、確かに冗談みたいな宣伝文句の下に、“面接”の文字があった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は面接を受けたかったわけじゃなくて」
「というわけで――、君は採用です――!」
俺の言葉を遮るように、パンパカパーンとどこからか軽快なSEが聞こえ、またどこからともなくカラフルな紙吹雪が吹き上げる。
どんな原理だと突っ込みたいところだが、そんなことより今、『採用』だとか、聞き捨てならない単語が聞こえたような。
「いやだからちょっと待ってくれ。この紙は間違えて破ったんだ。俺は異世界トラックドライバー?になりたかったわけじゃないんだって。だいたいまだ面接もしてないのに採用も何も……」
「してますよ、“面接”――。今“面”と向かって“接”してるじゃないですか――」
「いやこんなの面接とは言わな――」
「いやぁ助かりましたよ――!今、ドライバーさんが不足してて――」
「聞けよ俺の話を……」
あまりの話の通じなさに、長い長いため息が出てしまう。しかしそんな俺をよそに、ゼリウスはなおも強引に話を進めていく。
「それで、異世界トラックドライバーのお仕事はもうご存知ですよね――?」
「本当に俺の話を聞く気はないんだな……。業務内容は、なんとなく予想できてるが……」
……業務内容って、あの求人広告に書いてた内容なんだよな?人にトラックをぶつけて異世界転生させるっていう、あのハイファンタジーのお約束。つまり、それが本当なら俺の仕事というのは、人を車で撥ねること――……。
それに気がついた俺は全身の血が引く感覚を覚えた。
転生する側なら喜んで転生されてやるが、撥ねる側なんて絶対にごめんだ。運転過失致死傷容疑、という強烈な衝撃が心臓に刺さる。逮捕、前科、社会的制裁、遺族への謝罪と賠償……思い浮かぶのは、そんな最悪の未来。
しかし、ゼリウスは俺のそんな様子もどこ吹く風で、勝手に話をまとめに入る。
「というわけで、早速研修に移りましょう――!」
「け、研修?」
「はい――。ウチは習うより慣れろの精神なので実践で学んで行ってもらいます――。いわゆるOJTってやつですね――」
「OJTって……」
OJT……新人に実際の仕事をさせることで教育を行うこと。
で、異世界トラックドライバーの OJT ……ってそれってつまり――……
「では早速轢いてみましょう――!」
「…………は?」
あまりにも残酷な提案を、朗らかな少年の声が言う。
俺はまたしても呆然となり……そうしてるうちに、またしても視界が反転、暗転。気づけば元いた街の中にいた。しかし俺がいるのは、元々歩いていた歩道ではなく。
「ちょ、おい、どうなってんだこれ?これトラックの中だよな?」
少し高い視線、クッションのしっかりした座席、目の前には革張りの大きなハンドル――どう考えてもここはトラックの運転席だ。フロントガラスから周囲を見渡した感じだと、元いた歩道の路肩に停車しているらしい。
「はーい、トラックですよ――。これは君の専用車です――。まぁ、社用車だと思ってもらえたら――。」
先程聞こえていた少年の声が、今度は運転席横のスピーカーから聞こえてくる。
「じゃあ始めは座学です――」
「座学って……車内で?……って、いや、おい、ちょっと待て。そもそも俺は人を轢くなんて嫌だぞ」
あまりの超常現象にすっかり呆然としていたが、俺は自分がここに飛ばされた目的を思い出す。
……とにかく逃げなくては。相手が俺の話を聞く気がないのなら、逃走するほかどうしようもない。
しかし車のドアを開けようとしても、なぜかドアロックが解除できなかった。ガチャガチャと金属がぶつかる音が聞こえるだけだ。
「あ、退勤するにはタイムカードを押さないといけないんですよ――。後日お渡ししますから、とりあえず話を聞いてくださいね――とりあえず、『異世界トラック』の理念からお話します――」
「……はぁ……」
……ゼリウスはどうあっても俺の話を聞かないらしい。反論も無駄、逃げるのも無理となれば、とりあえず黙っているしかないだろう。
とはいえ、俺は諦めるつもりはない。要は、最終的に俺が人を轢かなければいいのだ。それで研修は失敗、適性なし。そういう方向に持っていけばいい。そう思い直し、いったんゼリウスの話を聞くことにした。
「まず僕は地球やその他の世界線をいくつか管理してるんですけど――、人間が知っている概念で言うと、僕はいわゆる地球の神様みたいなやつですね――。それでたまに、他所の管理人さんから応援要請が来ることがあるんですよ――」
「応援要請って……」
「何人か地球人を彼らの世界に送ってほしいっていう要請です――」
「……なんでそんな要請が来るんだ?あれか?ハイファンタジーお決まりの、魔王がやってきたとかそういうやつか?」
「はい、その通りです――」
「マジであるのか、そんな話……」
「魔王だけじゃないですよ――。大規模な自然災害とか、国家間の戦争とか――呼ばれる理由はいろいろありますね――」
「そんなとこに地球人が何人か行ったってどうしようも――あぁ、あれか?トラックに撥ねられたら、いわゆる転生ボーナスっていうやつがもらえるのか?」
「はい、そんな感じです――。正確に言うと、トラックで撥ねて“管制室”に送ってもらって――、そこで担当者が❝ボーナス”を授与して、他世界に送る――というシステムですね――。」
「マジでテンプレなんだな……」
……なんだそれ、うらやましい。俺もこんな事態に巻き込まれるんだったら転生する側として巻き込まれたかったぞ。
俺はガッカリ感からハンドルにもたれかかるように項垂れる。
「……でもなんで、地球人に要請が来るんだ?」
「それはですね、地球人は魔力がつよつよだからですよ――」
「魔力?どういうことだ、俺たち魔法なんか使えないだろ?」
「地球人が魔法を使えないのは、僕が魔力回路を“ロック”してるだけで――本当は使えるんです――」
「ロック……は、なんで?」
「……地球人の魔力が、生物としてあまりにも強大だからです――。もしロック解除状態で、人間同士の争いが起きてしまったりしたら……この世の7大陸は3秒で灰燼に帰しますよ――」
……なるほど、この世には70億個の自立型核ミサイルがあるようなものなのか。7大陸が3秒で灰。あまりにも現実離れしていて、実感が沸かない数値である。
「そういうわけで、地球のつよつよな子を送ってくれという要請がよく来るんです――。やっぱり、困ってる人がいないと助けないといけませんよね――?助け合いの精神……それこそが異世界転生の理念です――!」
「……、はぁ……」
再びパンパカパーンという軽快なSEが入る。
しかし、その人助けの為に地球人が一人……いや彼の口ぶりからして、それなりの人数がトラックで撥ね飛ばされてきたんだろうが、それはいいのか……。そんな疑問が口をついて出そうになるが、きっと“神様”的には小を犠牲に大を助ける方が当然の正義なんだろうと理解する。
……しかしどうしても納得できないことがある。なぜ俺がその転移させる役を担わなければならないのかということだ。
「なら、あなたが勝手に必要な人員を転移させればいいだけの話だろ。なんでわざわざ俺が人を撥ねないといけないんだ」
そう、そこはカミサマらしく、カミサマ自身の手で異世界へ連れて行けば良いのだ。俺があの白い世界とこの地上の世界を行き来できている以上、ゼリウスには人間を異世界転移させる力があるはずだ。わざわざ俺が手を汚す必要なんかどこにもない。
しかしながらゼリウスは、ややあって釈然としないような声色で答えを返した。
「えー……それはちょっと変じゃないですか?」
「へ……、変?」
「だって僕、管理人……いわば地球の社長さんなわけですし――。そういうお仕事って僕のお仕事じゃないと思うんですよね――。僕の本業はマネジメントなんで――。そういうのは現場の社員に任せるべきじゃないですか――?」
「は、はぁ!?それを言うならこんな新人研修だって社長の仕事じゃないだろ」
「え?あぁ、これは自動音声ですよ――」
「じ、自動音声?」
「本体は今も神界で激務に追われてます――」
「嘘だろ……」
……さっきからやたら強引に話をすすめるのってそういうことか?でもちゃんと質問に答える時は答えてくれるし、AIみたいなものでも積んでいるのか。
俺が高度技術に妙な納得を得そうだったところ、ぽーんという軽やかな電子音がスピーカーから流れる。
「じゃっ仕事内容も説明したところで――、実際の業務に移りましょう――!」
「ちょっと待て、俺はまだやるなんて一言も言ってな……」
「それではチュートリアル開始ぃ――!」
「聞けよ俺の話を!!」
俺はついに今年一番の大声を張り上げたが、自動音声とやらは慈悲もなくスタートの合図を切った。
お読みくださってありがとうございます。