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7.荊州制圧、なる (地図あり)

建安14年(209年)2月 荊州 南郡 江陵


 江陵攻略後の軍議で、我が孫軍団は、劉備一党と火花を散らしていた。

 劉備たちは劉琦を荊州牧に祭り上げ、荊州での主導権を握らんとする。

 それに対し、こちらは周瑜を荊州牧にすえ、やはり荊州を牛耳ろうとしていた。


 今までの貢献度からして、我が軍の有利は動かないが、あちらも素直に受け入れるつもりはなさそうだ。

 それまではおとなしくしていた諸葛亮が、何気なさそうに話を進める。


「まずは周瑜どのを荊州牧に、というお話は分かりました。しかしまだ南郡の北部には、曹操の軍が割拠しております。まずはそれを片づけ、全体の状況を見ながら話し合ってはいかがでしょうか?」

「そうですな。少なくとも宜城ぎじょう辺りまでの支配を確立してから、また話し合うといたしましょう」


 先に荊州の北部と南部の攻略を分けようと提案しておきながら、すかさず仕切り直す辺りは、さすがの面の皮の厚さである。

 しかしそこに突っこむのも不毛なので、魯粛はそれを受けて話を進める。


「基本的に敵の主力は、ここより北の当陽とうようにこもっております。まずはこれを全軍で攻め、徐々に北へ追いやればよいかと考えますが、いかに?」

「ふ~む、それが妥当ではありましょうが、敵は頑強に抵抗しましょう。全軍で当陽を囲みつつ、一部を北に動かして退路を断つよう見せかければ、敵も動揺するのでは?」

「いや、それこそ敵をかたくなにしてしまうかもしれません。北を空けつつ、敵の撤退を促してはいかがでしょうか?」


 そんな感じで、しばし諸葛亮と魯粛の舌戦が続く。

 その結果、両者の折衷案みたいな形で、孫権軍が当陽を包囲し、劉備軍が漢水をさかのぼって、北方を脅かすという話になった。




 その後、周瑜、魯粛、孫郎と一緒に、今後の打ち合わせをする。


「本当にあれで、よかったんですかね。劉備軍に好きに動かせると、どうなるか心配なのですが」

「いや、何か企むにしても、大したことはできんさ。むしろ後の取り分を増やすために、よく働いてくれるのではないかな」

「そうですな。敵の焦りを誘う苦労も、あちらでやってくれるというのです。せいぜい働いてもらいましょう」


 俺の不安を、周瑜と魯粛が否定する。

 すると孫郎が、また別の不安を提示する。


「う~ん、でもあの諸葛亮ってのは、何を考えてるか分からないとこ、ありますよね。下手すると曹操と組んで、牙をむいてきませんかね?」

「ほほう、孫郎もいろいろ考えるようになったな。しかしそんなことをやるのは、3流の策士さ。仮に一旦はうちを退けても、すぐに殺されるだけだ」

「そうですな。それに劉備は、一度は曹操についておきながら、裏切ったのです。今回の荊州攻めも、劉備を始末するという意味あいが大きかったでしょうから、曹操とは共闘できないでしょう。まあ、決して油断はできませんがな」

「ふ~ん、そんなもんですかねえ」


 結局のところ、我が軍は圧倒的に優勢なのだから、しっかりと劉備を見張っていけばいいだろう、という話になった。

 本当に何もなければ、いいのだが。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


建安14年(209年)4月 荊州 南郡 宜城ぎじょう


 しかし幸いなことに、南郡北部の制圧は上手くいった。

 それはまず当陽を我が軍で囲みつつ、劉備軍が北上の動きを見せることから始まる。

 ここで諸葛亮の宣伝工作が成功したのか、曹仁たちはこの動きに動揺した。


 そこに甘寧や凌統など、命知らずの猛将が攻勢を強めると、敵側の士気が急激に低下。

 そこで周瑜が交渉を持ちかけると、曹仁がこれに食いついた。

 その交渉内容は、”曹仁たちの撤退を見逃すので、曹操軍は襄陽まで後退する”、というものだ。


 元々、江陵の北には大した城がなく、戦力を分散してもしょうがないと、思っていたのだろう。

 結局、何回かの交渉を経て、曹操軍の撤退が決まった。

 かくして俺たちは、ほとんど被害もなく、宜城県と邔国きこくまでの城を手に入れた。


 すでに南郡の西方も制圧されていたので、俺たちは襄陽と中盧ちゅうろを除く、南郡の大半を手に入れた形になる。

 そしてここで南郡の制圧も一旦終了となり、分け前の分配について相談となったのだが……


「我々に南郡の守備を、任せていただきたい」

「フハハッ、何をいきなり」

「まったく、冗談もたいがいにしてほしいですな」


 会議の冒頭、諸葛亮が放った要求に対し、失笑がわく。

 しかし諸葛亮はすました顔で、周瑜と魯粛を見る。

 それに対し、魯粛も落ち着いて答えた。


「諸葛亮どの。あまり無茶を言われても困りますな。そもそも貴殿らの軍勢では、せいぜい城をひとつかふたつしか、守れないでしょう」

「いえいえ、歴戦の強者つわものである劉備さまに加え、この諸葛亮の智謀があるのです。南郡ごとき、立派に守ってみせましょう」


 その自信たっぷりの物言いに、再び失笑がわいたが、諸葛亮は動じない。

 そんな道化を演じるかのような彼に、今度は周瑜が対応する。


「その心意気は買いますが、現実問題として、南郡は物流・外交の要となる地。よって我が孫軍団の、直接統治下に置かざるを得ない。劉備どのには、我が軍の客将として、どこか適当な城を守ってもらおうと思うが、いかがだろうか?」

「おお、それはあんまりな扱い。劉備さまはさきの左将軍にして、徐州牧まで務めたお方ですぞ。しかも今回の戦いでは、城を落とすのに大きく貢献しております。せめて郡太守として、遇していただきたい」

「ほう、仮に太守にするとして、どこの郡を望む?」

「長沙郡、と言いたいところですが、さすがにそれは高望みが過ぎましょう。武陵郡ではいかがでしょうか? 漢寿かんじゅは前の州都なので、劉琦さまが落ち着くにもよいと考えます」

「ふうむ、なるほど。いずれにしても我らだけでは決められぬ。孫権さまにお伺いを立てるので、しばし待っていただけるか?」

「承知いたしました。よしなにお願いします」




 こうしてとりあえずの話し合いが終わると、俺はまた周瑜、魯粛と相談をした。


「孫紹が予想したとおり、武陵を要求してきたな」

「ええ、これで彼らの狙いにも予想がつきますね」

「やはり益州ですか」


 今回の展開については、あらかじめ3人で相談してあった。

 そして俺は歴史の知識に基づいて、劉備が益州盗りに動くのではないか、と示唆していたのだ。

 それは天下2分の策を構想する2人にも、納得のいく話で、最も可能性が高いと見られていた。


 実際に諸葛亮は、益州に近い武陵郡を要求してきた。

 武陵は劉表が赴任する前、荊州の州都だったとはいえ、人口は25万人ほどしかいない過疎地である。

 そんな土地を望んだのは、いずれ益州に出兵を企んでいるとしか、思えない。


「さて、孫権さまへの提案としては、どうする? どこか別の郡をあてがうという手もあるが」

「いえ、武陵でよいのではありませんか」

「そうですな。下手によそへ置いても、よけいなことを企みかねませぬ。望みどおりにしてやった方が、動きを読みやすいでしょう」

「ふ、まあ、そうだな。よし、それでは劉備一党を武陵に置くことで、許可をもらおう。他に何か、提案はあるか?」


 そう言う周瑜に、俺は考えていたことを願いでる。


「荊州の中で、人材を集めることを許可していただけませんか?」

「む、それは立て札でも立てて、人を集めるということか?」

「いえ、私自身が各地を回って、賢人を集めたいと考えます」

「そこまでやる必要があるのか?」

「はい、荊州には古くから住む名士や、中原から流れてきた賢人も多くおりましょう。中には隠れた人材もいるでしょうから、探してみたいのです」

「ふむ、よかろう。孫策の息子が訪ねていけば、心の動く者もいるかもしれん。ついでに護衛として、孫郎を連れていけ。ヤツにも良い勉強になるだろう」

「はい、ありがとうございます」


 こうして俺は、人材探しの許可を取った。

 はたしてどんな人物に会えるか、楽しみだな。

今回の制圧戦で、孫軍閥は南郡の大半を手に入れました。

さらに江夏郡に加え、長沙、零陵、桂陽も押さえており、劉備は武陵郡のみ手に入れた形になります。

ただし襄陽城は堅いので、そこから北の南陽郡はお預けです。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


地図データの提供元は、”もっと知りたい! 三国志”さま。

 https://three-kingdoms.net/

ありがとうございます。

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