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5.赤壁後への布石

建安13年(208年)11月 荊州 江夏郡 夏口


 ハロー、エブリバディ。

 孫紹クンだよ。


 周瑜は無事に陸口を占拠し、曹操軍の機先を制することに成功したらしい。

 この後、黄蓋の提案を取り入れて、敵を焼き討ちし、決定的な勝利を手に入れることだろう。

 俺は後方の夏口城で待機させられていたが、その間にとある人物と、今後の手はずを話し合っていた。


「お時間を取っていただき、ありがとうございます、魯粛ろしゅくさま」

「いえ、周瑜どのからも、あなたと話してほしいと言われております。何やら重要なことのようですな」


 それは孫権を徹底抗戦に導いた張本人の1人、魯粛である。

 魯粛は今回の戦に、賛軍校尉として参加していた。

 これは参謀的な役職だが、あいにくと彼は軍事的な経験や知識には乏しい。


 そこで彼は、後方拠点の夏口城に詰めて、補給や連絡を受け持つような形になっていた。

 俺も最前線には連れていってもらえないので、こうして魯粛と話すぐらいしかできない。

 しかし今後、孫呉の政治戦略に関わっていく彼との対談が、無駄になるはずもない。


「はい、実は我が軍が戦に勝った後、荊州をどのように攻略するかを、お話ししたかったのです」

「ほほう、孫紹さんは周瑜どのの勝ちを、まるで疑っていないようですな」

「はい。おじ上は父と共に江東を切り取った、英雄的な武人ですから」


 臆面もなくそう言ってのけると、魯粛はしばし俺の様子をうかがっていた。


「……どうやら無邪気な子供の盲信、というわけでもなさそうですね。私としても、周瑜どのには勝ってもらわねばなりません。しかし仮に我が軍が勝ったとして、どうするべきだと言うのですか?」

「はい、遠からず周瑜さまは、曹操軍を打ち負かすでしょう。そうすると次は、江陵こうりょう城の攻略が最大の焦点になると思います」

「それには私も同意します。江陵を押さえるのと押さえないのとでは、大きく状況が変わりますからね」

「はい、江陵を奪えなければ、我が軍の戦略は大きく制約を受けてしまいますよね」

「ほほう、その我が軍の戦略とは?」


 魯粛が試すように問うので、俺はにこやかに答える。


「それは周瑜さまや魯粛さまが、普段からおっしゃっていることではありませんか。長江流域を押さえ、その地勢を盾とすることで、中原の勢力に対抗するのです」

「ほう……周瑜どのから聞いていましたが、とても9歳とは思えない理解力ですな」

「お褒めにあずかり、光栄です」


 俺の答えが気に入ったのか、魯粛の態度が明らかに変わった。

 それまでは、”ちょっと賢い子供の相手をする”程度だったのが、ほぼ対等の大人を相手にするかのようだ。


 この魯粛という人物、一見すると人のさそうなおっさんである。

 しかしその中身といえば、一般的な価値観に縛られない、常識はずれの戦略家なのだ。

 なにしろこのおっさん、孫権に仕えた当初に、とんでもない覇業論をぶちまけている。


 その内容は、

”漢王朝を再興するのは難しいし、曹操もすぐには打倒できない。なので中原がバタついている間に、長江の流域をことごとく制圧して、皇帝を名乗ってから天下へ駒を進めるべき”

 というものだ。


 これのどこが凄いかというと、はなから漢王朝の存在を無視している点だ。

 実は儒教が深く浸透している中華の地において、漢による国家統一というのは、誰にとっても当然の価値観だったりする。

 同時代に”天下2分の策”を唱えていた周瑜でさえ、その根底では漢の血統を維持することを考えていた。


 それをはなから無視できるなど、この時代では破格の自由人である。

 そして同様に儒教の観念に縛られない俺にとっては、けっこう相性のいい相手だったりする。

 そんなことを考えている俺に、魯粛がさらなる質問を放つ。


「して、江陵城の攻略について、何か提案があるのですかな?」

「はい、周瑜さまとも話したのですが、江陵は要衝ゆえに、生半なまなかな攻撃では落ちないでしょう。そこでいかに戦力を集中させるかが、重要になってくると思うのです」

「ふむ、それはたしかにそうでしょうな。しかし戦力というと、周瑜どのの3万に、劉備どのの1万弱ぐらいでしょう。これをなるべく分散させずに、江陵にぶつけるべき。そうおっしゃるのですな?」

「はい、そのとおりです。しかし現実には、それはなかなか難しいでしょう。この夏口城も守らねばなりませんし、劉備どのは荊州南部の攻略に動くような気がします」

「ほう、それは何ゆえですかな?」

「彼は今まで、客将として荊州に滞在していました。それに劉表どのの長男である、劉琦りゅうきどのを擁しているのです。彼らが荊州の奪還に動くのは、当然のことでしょう?」


 そう指摘すると、魯粛はちょっと考えこんだ。


「それはそれで、かまわないのではないですかな? 実際に我らだけで荊州を制圧するには、相応に困難がつきまといましょう」

「その点については、私も同意します。しかしやはり、戦力を分散するのは好ましくありません。そして劉備どのに南部攻略を任せるのは、後々に禍根を残すことになります」

「禍根、と言われると?」

「劉備どのは、曹操からも認められるほどの戦上手です。そのような御仁が荊州の南部を得て、おとなしくしていると思いますか?」

「ふ~む……」


 魯粛はまた考えこむと、自分の意見を述べる。


「たしかにそれは難しそうですな。しかし彼らにも多少の分け前を示さないと、納得しないでしょう」

「ええ、ですから全軍で江陵を落としてから、じっくり荊州の分配について話し合えばいいのです」

「なるほど。しかしあまり江陵にかかずらっていては、南部の勢力が良からぬことを企むかもしれませんぞ」

「おそらく周瑜さまなら、それほど時間は掛かりませんよ。それに曹操を撃退した時点で、その旨を南部に周知してやれば、そう無茶はできないでしょう」

「ほほほ、周瑜どのもそこまで期待されては、少々重荷になるのではありませんかな。しかしそうですな。江陵の攻略が短期間で終わるなら、全力を傾けるのは間違いではありません。劉備どのが勝手な行動をしないよう、釘を差しておくとしますか」


 素直に意見を取り上げてくれた魯粛に、俺はさらなるお願いをする。


「それだけではありません、魯粛さま。江東では守りを固めて、荊州に兵を回してもらえるよう、孫権さまにお願いしてもらえませんか?」

「む? それは当然のことではないですかな?」

「いえ、我が軍が決定的な勝利を手に入れた場合、孫権さまは揚州でも攻勢に出るような気がするのです」


 実際問題、赤壁の勝利に気をよくした孫権は、柴桑に集めていた軍を、合肥ごうひに進めてしまうのだ。

 さらに何をトチ狂ったのか、孫権は張昭にも兵を預け、徐州を攻めさせている。

 何か長江北岸にも動きがあったのかもしれないが、江東は長江を盾に守りを固めるべきだった。


 なのにこれらの行動で兵力を分散させた史実の孫呉は、江陵の攻略に1年も掛けてしまうのだ。

 しかしもしも孫権に、事前に重要な戦略目標を理解させておけばどうだろうか?

 そんな話を、さも自分で考えたように説明すると、魯粛は深く感銘したようだ。


「なるほど。実際にそうなる可能性は高いし、我々にそのような時間は許されないでしょうな。分かりました。私が孫権さまの下におもむいて、じっくりとすり合わせをしてきましょう。他に思いつくことはありませんか?」


 幸いにも乗り気になってくれた魯粛に対し、その後もあれこれと提案をした。

 これらの試みが上手くいけば、荊州の戦況をずいぶんと有利にできるだろう。

 そうなれば、劉備の力をそぎつつ、周瑜にケガをさせないですむかもしれない。

 まずはその辺から、歴史を変えてやろうじゃないか。

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