44.豫州侵攻、再び
建安22年(217年)8月 荊州 南陽郡 魯陽
韓遂ら、涼州軍閥が司隷の三輔地方を攻めたことにより、夏侯淵が司隷に戻っていった。
すると兵数が半減した夏侯惇も、形成悪しと見たようで、こちらも豫州へ撤退を始める。
もちろんこちらもそのまま見逃すわけもなく、追撃を掛けたのだが……
「夏侯惇の本隊に逃げ切られました」
「夏侯淵の軍にも逃げられました」
さすがは歴戦の武将だけあって、夏侯惇たちの指揮は老練だった。
加えて豫州や司隷は敵地であり、いろいろ邪魔が入ったため、とうとう逃げ切られてしまう。
「さすがは夏侯惇と夏侯淵だな。まんまと逃げられた」
「フッ、そうは言っても、いずれ陽翟かどこかで、また戦いますがね」
「そうだな。敵の後方の状況はどうだ?」
中原では俺たちの工作により、あちこちで反乱の火の手が上がっていたが、それもそろそろ鎮圧されつつあるだろう。
それを確認すると、陸遜から報告があった。
「とりあえず冀州での反乱は鎮圧されたようです。しかし幽州や青州、徐州はまだ時間が掛かるでしょう」
「ふ~ん、それなら増援もないか?」
「いえ、どうやら安定した地域で、大々的な徴兵も行っているようです。なので近々、数万の増援があってもおかしくありません」
「そうか……でも徴兵したばかりの兵士なんて、使えないだろ?」
「そこは各地の守備隊と組み合わせて、かさ上げでもするんでしょうね」
「あ~、そういう手もあるか」
ぶっちゃけ史実の曹操であれば、30万人もの軍を動かせたというが、この世界の支配基盤はそれほど強くない。
史実よりも孫劉連合が伸びたおかげで、中原にも反乱分子がまだまだ残っているからだ。
今回、反乱を起こさせたのも、そんな連中である。
ちなみに曹操は魏王になったんだから、その権威も上がってそうなもんだが、これも微妙だったりする。
俺や劉備が勝手に王を自称してるのに、それをやめさせることもできないからだ。
むしろ俺に南陽を取られて、足元はさらに揺らいでいると言ってもいいだろう。
しかし、だ。
それでも曹操が支配する中原には、3千万人もの人口があるわけで、徴兵するには困らない。
ただし兵の質は確実に低下するので、それを各地の守備隊と組み合わせて、かさ上げしてるらしい。
しかし周瑜は現実的に分析してみせる。
「まあ、たしかに数は多いでしょうが、練度が下がるのは確実です。敵の指揮官も減っているので、あまり過剰に警戒する必要もないのでは?」
「うん、まあそうだな。とっとと軍を進めて、次こそ決戦だ。ただし油断だけはしないようにな」
「御意」
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建安22年(217年)9月 豫州 潁川郡 陽翟
それから豫州に兵を進めたのだが、敵の小部隊による邪魔が入り、思ったより時間が掛かった。
おかげでようやく陽翟へたどり着いた頃には、しっかりと敵の援軍が到着していたのだ。
「だいたい10万ぐらいか」
「ええ、そんなものでしょう。さらなる増援も、考えられますな」
「とはいえ、無理攻めをするのも犠牲が大きくなる。結局、今までどおりにやるしかないな」
「ええ、それでいいでしょう」
こうして俺たちはまた野戦陣地を築き、敵と対峙した。
しかし今回は、敵の動きが予想と大きく異なっていた。
「なんかずいぶんと、敵の動きが鈍いな」
「ええ、単純に新兵だからとか、そういう問題ではなさそうです」
なぜか敵の動きが、想像以上に鈍かった。
陣地や城にこもって、一向に出てこないのだ。
たしかに敵は守勢に入っているとはいえ、多少は突出しそうなものである。
それがガッチリと守って、勝手な行動が見られない。
よほど厳しく統制されているようだ。
そんな状況をいぶかしんでいると、陸遜が意見を口にする。
「ひょっとして、指揮官が代わったのではないですか?」
「指揮官?」
その言葉に俺は、ピンとくるものがあった。
「陸遜、敵の指揮官の名前を、調べられないかな? それもあまり有名じゃない、中堅どころだ」
「了解しました。敵兵を捕虜に取って、尋問してみましょう」
「ああ、頼む」
その後、いくつかの小競り合いを経て、捕虜から情報が得られた。
幾人もの名前が並ぶ中から、俺は想定していた名前を見つける。
「これだ、司馬懿だ。たぶんこいつのせいで、敵の動きが変わっている」
「司馬懿、ですか。たしかに聞いたことがありませんが、それほどの者ですか?」
「俺も噂ぐらいしか知らないが、司隷の名家出身だ。たしか兄弟がみんな優秀なんで、”司馬8達”とか言われてたはずだ」
司馬懿 仲達。
言わずと知れた、三国志の英雄だ。
最初は曹操への出仕を断っていたが、強引に誘われて仕えるようになった。
その後、曹操の息子である曹丕に重用され、次第に出世してゆく。
一説には、あまりに明敏なため、曹操には警戒されたとも言うが、曹丕にかばわれて、重臣へ成り上がるのだ。
その軍才は比類なきもので、後の曹魏が頼り切りになるほどの軍功を挙げている。
その結果、彼は魏の大将軍となり、皇族との権力争いにも勝ち残り、天寿をまっとうした。
その後、彼の子孫が魏を乗っ取り、晋を建国したが、それが彼の意志だったかどうかは分からない。
いずれにしろ、そんなラスボス級の武将が、今回の相手だということだ。
未来の話を隠して、そんな話をしてやると、周瑜と陸遜も考えを新たにする。
「なるほど。それほどの男が、敵には控えていたのですね。さすがは曹操軍、侮れませんな」
「まったくです。世の中は広いですな。しかしそのような切れ者が敵にいるとなると、こちらはどう対応するべきか……」
「まあ、それは追々、考えよう。まずはすげえヤツが敵にいるってことが、わかっただけで良しとしよう」
「そうですね」
しかしその後の展開は、まったく思わしくなかった。
敵はこちらがおとなしくしていれば、引きこもったままだし、逆に攻勢に出ても、雨のように矢が降り注ぐ。
しかも時たま、絶妙なタイミングで騎兵を出してくるので、油断も隙もなかった。
それならばと無理やり陣を進めて、龍撃砲を組もうとすれば、大軍で押し出してきて、鬼のように火矢を射掛けるのだ。
おかげで組み立てを断念すれば、敵はさっさと引き下がるといった具合で、いいようにやられていた。
「まいった。こうもいいようにあしらわれるとは、思わなかったな」
「ええ、これまでの我が軍の戦法が、実によく研究されています。兵士もよく統率されていますしね」
「それだけでなく、とうとう敵の援軍が到着するようなのです。おそらく10万人近くは増えるでしょう」
「これでまた、敵の半分以下に逆戻りか。苦しいな」
「ええ……」
どうやら俺たちは、最大のピンチを迎えたらしい。
 




