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幕間: 周瑜クン、赤壁に奮戦す (地図あり)

建安13年(208年)11月 荊州 江夏郡 陸口


 私の名は周瑜しゅうゆ 公瑾こうきん

 廬江周家の出身で、孫軍閥において中護軍ちゅうごぐんを務めている。


 この度、中原から曹操が攻めてきたため、左都督さととくとして全軍の指揮を執ることになった。

 しかしその内情たるや、あまり褒められたものではない。


 まず我が方の重臣のほとんどが、戦いもせずに降伏を選ぼうとしていた。

 たしかに彼我の戦力差を考えれば、そうなるのも分からないではないが、あまりにもふがいない。

 幸いにも魯粛の後押しもあって、孫権さまを説得することができた。


 しかし魯粛の仲介で同盟を組んだ劉備軍が、これまた期待はずれだった。

 少なくとも2~3万の兵力は得られるかと思ったのに、わずか1万足らずだという。

 しかも劉備は我が軍の力量を疑っているのか、戦闘にも消極的だ。

 どの道、水上での戦いには役立たないので、後方に配置せざるを得なかった。


 さらに右都督ゆうととくに程普を任命されたのも、困りものだ。

 名目上、私に優越権があるとはいえ、ほぼ同格の指揮官をおかれては、指揮がやりにくくて仕方ない。

 おそらく程普から、突き上げがあったのであろうな。


 一度は私に任せると決めたからには、それを貫いてほしいのだが。

 残念ながら、今の孫権さまでは、そこまでの統率力を示すのは難しい。

 こんな時、孫策のことが無性に懐かしくなる。


 孫策は荒っぽいところもあったが、大軍を統率できる包容力と軍才を持つ英傑だった。

 彼と一緒に戦場を駆け抜けていた頃の、なんと充実していたことか。

 しかしどんなに望んでも、彼はもうかえらない。


 孫策のいない人生の、なんと味気ないことよ。

 ああ、友よ、なぜあんなにも早く、逝ってしまったのだ。


 しかしその後には、わずかな希望も残っていた。

 彼の息子の孫紹が、才能の片鱗を見せはじめているのだ。


 あの歳に似合わぬ弁舌と、先を見通す目は今後、大きく伸びるかもしれない。

 そんな彼のために、孫軍団を残してやらねばならん。

 よし、やるぞ。



 まず私は、重要な戦略地点となる陸口りくこうを押さえた。

 ここを敵に押さえられると、江夏郡の南部が水陸両面から攻められてしまうからな。


 すると江陵方面から下ってきた曹操軍との間に、赤壁せきへきで最初の戦闘が発生した。

 我が軍は重要拠点を押さえたことと、練達の水軍による迎撃で、見事それをはねのけた。

 さすがに分が悪いと見た敵は兵を引き、長江北岸の烏林うりんに陣を張る。


(注:火攻めがあったのは烏林だが、赤壁で始まった一連の戦闘として、”赤壁の戦い”と呼ばれている模様)


 ここでしばしにらみ合いとなったのは、私の見立てが正しかったことを示しているだろう。

 なにしろ曹操軍は、中原からはるばる遠征してきたために、疲弊している。

 さらに季節は冬となり、兵の中に流行病も発生しているようだ。


 そのため思うように士気が上がらず、大軍にもかかわらず攻めてこない。

 しかしその一方で、こちらも決め手に欠けていた。

 可能であれば、敵の水軍を誘いこんで、撃破してやりたいところだが、敵の腰が重いのだ。


 かといって、こちらから攻めるのは、犠牲が大きくなりすぎる。

 どうしたものかと悩んでいると、黄蓋こうがいから提案があった。


「それがしが敵に偽りの投降をするので、それを機に総攻撃を仕掛けてはいかがでしょうか?」

「ふ~む、たしかに我が軍が一枚岩でないことは、敵にも伝わっているかもしれないな。しかし偽の投降だけでは、少し弱いのではないか?」

「それでは投降ついでに、火計を仕掛けてやりましょう。実はこの付近では、普段は北西の風なのですが、日によっては東南の風が吹きまする。その風に乗って、火を付けた船を敵陣に突っこませれば、大きな戦果が上がることでしょう」

「おお、黄蓋どの。まさにそのような提案を求めておりました。貴殿こそ真の智将」

「フハハッ、それは光栄の至り。それではこのはかりごと、それがしに任せていただけますな?」

「無論です。よろしくお願いします」


 さすがは黄蓋。

 地元ならではの知識と、見事な敢闘精神よ。


 しかし右都督の程普が、それをおもしろくなさそうに見ている。

 まったく、面倒くさい御仁だ。


「程普どの、黄蓋どのの提案は、またとない好機になるでしょう。しかし私だけでは、水軍を縱橫には動かせませぬ。ここは程普どのにも、大いに力を振るっていただきたいのですが?」

「む……周瑜どのにそうまで言われては、私も張りきらざるを得ませんな。この程普の働き、とくとご覧あれ」

「よろしくお願いします」


 ふう、とりあえずはこれでいいだろう。

 あとは着実に準備を整えて、一気に勝負を決めるだけだ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


建安13年(208年)12月 荊州 江夏郡 赤壁


 あれから私たちは、小競り合いを繰り広げながら、機会を待った。

 やがて敵陣にゆるみが見えてきたある日、我が軍は作戦を決行する。

 10隻ほどの船に可燃物を満載し、黄蓋が投降を装って敵陣に接近したのだ。


 そして十分に近づいたところで、黄蓋は船に火を放ち、敵陣に突っこませた。

 それは背後からの風に乗って、勢いよく敵の軍船にぶち当たり、火の手を撒き散らす。

 この時になって、ようやくはかられたと悟った曹操軍が、あわてて消火に乗り出した。


 しかし火の手はそれをあざ笑うように広がり、周囲を紅蓮ぐれんの炎に包みこむ。

 なまじ人数が多いだけに、密集していたのも好都合だった。

 火の手は軍船のみならず、陸上の陣幕にも燃え移り、混乱はさらに広がっていく。


 そしてそんな状況を、我らが見逃すはずもない。


「皆の者、掛かれ~っ!」

「「「おお~~っ!」」」


 我らはまず、火事から逃げ出そうとする敵の軍船を、各個に始末した。

 これによって水軍のほとんどを失った曹操軍が、一気に敗走へ移る。

 その状況を見て取った曹操も、ただちに見切りをつけ、江陵へ退却したようだ。


 それでもヤツは見事に兵士を統率して、こちらの追撃を振り切った。

 さすがは乱世の奸雄というべきか。

 しかし公称80万という敵軍は、我が軍の前に崩れ去ったのだ。


 このうえは江陵を攻めて、我が軍の拠点としてやろう。

 待っていろよ、孫紹。

 お前たちの未来を、この手でもぎ取ってやる。

下図は荊州南郡の地図ですが、右端の州陵の対岸あたりに陸口があります。

そこから少し西にいった南岸にあるのが赤壁で、烏林はさらに西側の北岸にあると思われます。

ちなみに現代の中国には、”我こそは赤壁”って場所が、いくつもあるそうですね。w

挿絵(By みてみん)


地図データの提供元は、”もっと知りたい! 三国志”さま。

 https://three-kingdoms.net/

ありがとうございます。

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