37.南陽への侵攻 (地図あり)
建安21年(216年)10月 荊州 南陽郡 新野
南陽攻めの軍議から1ヶ月ほどの準備期間を経て、俺たちは南陽郡へ侵攻した。
最初の標的になったのは襄陽から十数キロ北にある、鄧城だった。
しかしさすがにこのような小城に大軍がいるはずもなく、力押しであっけなく陥落する。
その後、我が軍は淯水を遡上し、朝陽もあっさりと降伏させる。
そして最初の難関となったのが、劉備が以前、駐屯していた新野だった。
「案の定、城にこもったか」
「ええ、ここで食い止めているうちに、宛に兵を集める作戦でしょう」
俺と周瑜は新野の城を遠望しながら、今後の作戦を話し合っていた。
我が軍10万は新野の郊外に布陣しているが、敵が打って出る気配はなかった。
周瑜が言うように、ここは時間を稼ぎ、南陽の郡都である宛に兵を集めていると思われる。
「ならばできるだけ早く、城を落としたいな」
「ええ、早々に城を落として、敵の度肝をぬいてやりましょう」
俺たちは不敵に笑いあうと、攻撃の指示をくだしたのだ。
「掛かれっ!」
「「「おお~~っ!」」」
最初は歩兵による攻撃だった。
味方が盾を掲げ、敵の弓矢攻撃に耐えながら前進する。
さらにある程度ちかづくと、こちらからも矢が放たれた。
城壁上から繰り出される攻撃に比べると弱いが、それでも味方はジリジリと前進していた。
やがて城門が近くなると、破城槌を持った部隊が突撃を掛ける。
もちろんそれぐらいで破れはしないし、敵も必死で応戦してくるので、たやすくはね返された。
ちなみにこの新野城は、かなり強化されていた。
さすがに襄陽ほどではないが、城壁は高く、水濠も掘られている。
おかげで攻め口が限定され、ちょっとやそっとで破れるとは思えない。
そこで俺たちは通常の攻撃には、早々に見切りをつけ、攻め方を変えてみた。
それは襄陽で成功した、床弩による城壁上への昇降装置の設置である。
これを複数の櫓に対して、一斉に仕掛けたのだ。
「放てっ」
「はっ」
複数の太矢が、城壁上へ飛んでいく。
「駄目です! うまく刺さりません!」
しかし当然のことながら、敵には対策をされていた。
どうやら櫓の表面を土で塗り固め、太矢が深く突き刺さらないようにしているようだ。
刺さっても綱を引っ張ると、簡単に抜けてしまい、昇降装置として使えない。
中には当たりどころが良く、しっかりと刺さる場合もあるのだが、周囲にいる敵兵が、よってたかって綱を切ってしまう。
すでに襄陽で使ってから、4年も経っているのだ。
敵が対策しているのも当然だろう。
「やっぱり対策してたか」
「まあ当然でしょう。しかしそれなりに考えてはあるが、意外でもありません」
「これでこっちが気落ちしてると、思ってくれるといいがな」
「フフフ、敵もそれほどマヌケではありますまい。まあ、こっちもやることをやるだけです」
そう言いながら俺たちは、それほど気落ちしていなかった。
なぜなら俺たちには、まだまだ奥の手があるからだ。
ちょっと時間は掛かるが、いずれ思い知らせてやる。
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「放て!」
掛け声と共に機械が動き、重さ100キロはありそうな石が、うなりを上げて飛んでいく。
その巨石は400メートル近く宙を飛ぶと、派手に土ぼこりを上げながら、地面に落下した。
「ちょっと近すぎたか。次は5歩(約7メートル)ほど先を狙うぞ」
「「「はっ!」」」
彼らが運用しているのは、新たに開発した投石機である。
それも10世紀は時代を先取りした、平衡錘投石機だ。
西洋ではトレビュシェットと呼ばれる兵器であり、人力の代わりに巨大な錘の位置エネルギーを利用している。
おかげで人力では到底、不可能な重さの石を、より遠くへ飛ばせる代物だ。
しかしこれは本来、西洋で12世紀ごろに開発されるもので、中国では13世紀まで現れない。
中国での初登場は、モンゴル帝国が南宋を滅ぼすきっかけになった、襄陽・樊城の戦い(1273年)である。
一向に落ちない襄陽の攻略にいらだったフビライ・ハーンが、ペルシアから技術者を呼び寄せて、この投石機を作らせたという。
そのため”襄陽砲”とか、”回回砲”と呼ばれている。(回回とは西アジアの意味)
つまりこれは、本来あるはずのないオーバーテクノロジー兵器なのだが、原理さえ分かっていれば、作るのは不可能でない。
そして俺は、前世で孫策の小説を書いた時に、それなりに詳しく調べていた。
おかげで基本構造はしっかりと覚えており、それを元に開発させたわけだ。
とはいえ、決して簡単にできたわけではなく、かなりの資金や労力、時間が掛かっている。
その苦労の甲斐あって、ここにお目見えがかなったわけだ。
ちなみに主要部分には覆いや偽装部品を付けることで、構造を分かりにくくしてある。
分かるヤツには分かっちまうかもしれないが、技術はなるべく秘匿したいからな。
やがて3発目の石弾が城壁上の櫓に命中して、派手な音と破片を撒き散らした。
「おお、ようやく当たったな」
「ええ、凄い威力です。敵もずいぶんと、慌てているようだ」
「この分なら、なんとかなりそうだな」
「ですな。通常よりもずっと早く落とせそうです」
その後も時間をかけて巨石を当て続けると、さしもの城壁も崩れはじめた。
この時代の城壁は”版築”と呼ばれるもので、土を突き固めたものだ。
しかしそれはたかが土の壁と侮れるものでもなく、なかなかの強度を持っている。
手間暇は掛かるし、長雨にさらされると崩れるので、城壁上に枯れ草を敷き詰めて、防水しなきゃいけないなんて話もあるけどな。
それでも森林資源が乏しい華北では、ポピュラーな工法である。
そんな土壁の一部が崩れ、敵兵が右往左往しているのが、遠目に見えていた。
ここで準備させておいた部隊に、号令を掛ける。
「掛かれっ!」
「「「おお~~っ!!」」」
しばし困難な戦いを繰り広げていた兵士たちが、獣のように攻めかかっていく。
対する敵兵は、逆に士気が萎えているのか、抵抗は弱い。
おかげで味方はさほど苦労せずに城内に入り、敵を蹂躙しはじめた。
「とりあえず、ここは落ちたかな」
「ええ、もう決まったようなものでしょう。そしてこれは、敵にとって予想外に早い攻略のはずなので、意表を突けるのではないかと」
「そうだな。敵の情報を探って、計画を立ててくれ」
「お任せを」
周瑜をはじめ、配下たちの顔は明るかった。
最初の難関を、こうも簡単に突破したのだ。
それも当然だろう。
しかし敵は強大な曹操軍だし、攻略はまだ始まったばかりだ。
気を引き締めてやらないとな。




