35.当主への就任、そして……
建安21年(216年)3月 荊州 南郡 襄陽
「お帰り、孫紹。遠征は大成功だったようだな」
「ええ、陸遜どのが大活躍してくれましたから」
「フフ、それを使いこなすのもまた、将の役目だ」
そう言って俺をねぎらってくれるのは、周瑜である。
俺は山越賊をおびき寄せるため、大将として鄱陽へ遠征し、ようやく襄陽へ戻ってきたところだ。
鄱陽では反乱軍と戦っただけでなく、残った山越族の処遇をめぐっても、いろいろあったのだ。
今回の戦では首魁の費桟と尤突をはじめ、血の気の多い山越族をたくさん討ち取った。
おかげで豫章郡や丹陽郡の山越は大きく弱体化し、孫軍団への恐怖が植え付けられたような形だ。
そこですでに恭順している部族の者を使って、残存勢力に交渉を持ちかけた。
ただし普通なら強気に出るところを、むしろ優しく懐柔してみた。
その内容は、以前から進めているものとほぼ同じだ。
1.山越とは不可侵条約を結び、彼らが山岳地帯に住むことを認める。
2.血の気の多い連中を中心に、一部を平地へ移住させ、仕事を斡旋する。
3.適当な場所に交易所を設け、山の産物と穀物を交換する。
4.山に残った者を部族の有力者に統治させ、血縁化・従属化を進める。
5.条約を結んだ部族には、他部族との仲介をしてもらう。
山越を体制に取りこむという意図はぼかしながら、ほぼそのままの交渉をした。
すると男手の多くを失った部族は不承不承ながらも、続々とこちらの話に乗ってきたのだ。
おかげでそれまで停滞していた山越政策が、一気に進展を見せることとなる。
そんな状況をある程度まで確認したうえで、ようやく戻ってきたわけだ。
いろいろと大変だったが、その成果は大きい。
「これで孫紹に武功を作るだけでなく、山越政策も大きく進展した。望外の成果だな」
「ええ、ちょっと出来すぎで、怖いくらいです」
「フフフ、まあ、それも孫紹の実力だ。おおまかなあらすじを書いたのは、お前だからな。後は人事が適切だったということだろう」
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
俺が素直に喜んでいると、周瑜が姿勢を改めた。
「それでな、孫紹。今回の件で、お前の声望が高まった。元々、領内の改革も順調だったからな。そこでお前の当主就任を、早めようという動きがあるだのが、どう思う?」
「……えっ、そうなんですか? しかしちょっと、早すぎじゃないですかね。納得しない人もいると思いますし」
「いや、反対する者などいないぞ。建業でも主な者は賛成しているし、あの張昭どのでさえ、良いと言っているのだ」
「そうなんですか?」
どうやら周瑜は、すでに根回しをしてあるらしい。
彼ほどの者がそう言うのなら、おそらく大丈夫なのだろう。
しかしそれほどに事を急ぐのは、なぜなのか?
俺がいぶかしそうな顔をしていると、周瑜が先回りをする。
「そういぶかしそうな顔をするな。私が心配しているのは、中原の状況だ。曹操は最近、おとなしくしているが、その陰で着々と反乱分子を始末しているらしい。向こうに守りを固められると、我々の勝ち目がなくなるだろう」
「ああ、やはりそれを心配してましたか。たしかに時間を掛けるのは、曹操の方に有利に働くでしょうからね」
史実では曹操が220年に死亡するのだが、すでに歴史が変わりつつあるこの世界では、どうなるか分からない。
そんなことに期待するぐらいなら、早く動くのも手だろう。
「おじ上が大丈夫だと言うなら、予定を早めましょうか。そして出来るかぎり早く、中原に打って出ます」
「うむ、いよいよだな」
「ええ、いよいよですね」
こうして思わぬ形で、俺の当主就任は早められることとなった。
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建安21年(216年)5月 荊州 南郡 襄陽
あれからあちこちに根回しをして、俺は孫家の家督を継承した。
多少は不満が出るかと思ったが、周瑜が言ったとおり、重臣たちはみな賛成してくれた。
そのうえで簡単な式典を開き、孫権から俺に印璽が手渡される。
「私は孫家の次期当主に孫紹を指名し、臣籍にくだるものとする。共に次期当主どのを支え、孫家を盛り立てていこうではないか!」
「「「おうっ!」」」
孫権の宣言に、出席者たちが応じている。
そこで俺も彼らに向き合い、改めて意志を示した。
「今ここに私は、孫家の家督を引き継いだ。いずれは軍勢を整え、漢王朝を壟断する曹操軍と対決するつもりだ。曹操に奪われた漢の正統を、皆で取り戻そうではないか!」
「「「御意」」」
出席者たちが一斉にひざまずき、臣下の礼を取る。
これでとうとう俺は、正式に孫家の実権を握ったことになる。
しかしその実態はまだまだ内に問題を抱え、曹操との実力差も大きい。
それでも我が軍は史実よりも領地は大きく、優秀な家臣も多い。
これなら中原に打って出るのも、不可能ではないだろう。
ちなみに俺の当主就任と並行して、陸遜の婚姻も進められていた。
前の山越討伐での陸遜の功績は、比類なきものだったからな。
そこで俺の姉を娶らせることで、いかに俺が評価しているかを示した。
これは史実でも孫権が、やっていたことだ。
孫策の娘を嫁にやることで、陸遜を準親族的な扱いとしたわけだ。
それを機に、彼は孫呉の政戦に深く関わっていくこととなる。
陸遜ほどの才能をもってすれば、それも当然のことだったろう。
この世界では、それ以上に重用していきたいと思っている。
そして俺自身、なんの因果か知らないが、三国志の世界に転生しているのだ。
いっちょでかいことを、やってやろうじゃないか。
俺が孫策の夢を、かなえてみせる。
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建安21年(216年)7月 荊州 南郡 襄陽
孫家の家督を継いで、いよいよ中原攻略の準備に取り掛かろうかと思っていた矢先、ニュースが立て続けに舞いこんできた。
まずひとつは曹操がとうとう魏王となり、魏国を打ち立てたことだ。
すでに魏公となってから4年たち、着々と根回しをしてきたのだろう。
表向きは天子から指名を受ける形で、曹操は正式に魏王となった。
そしてこれに対抗してアクションを起こしたのが、我らが盟友 劉備だった。
彼は劉姓でない曹操が王に就任するのは、漢朝を簒奪する前触れであると騒いだ。
さらに我こそは漢の宗室の一員だと言って、漢中王に就任したのだ。
もちろん、劉備は漢の宗室なんかではないし、王への就任もただの自称でしかない。
しかし立て続けに王が立ったことにより、我が陣営にもその影響は表れていた。
「孫紹さま。”曹操と劉備が王を僭称しているのだから、我らも王を立てるべきでは?” との声が上がっております」
「どうやらそのようだな。しかし張昭はそれに賛成なのか?」
「……それはあまりにも恐れ多いと思う反面、有効な手段ではないかとも思っております」
ある日、張昭から、俺も王になったらどうかという提案がなされた。
どちらかというと、孫家に協力する豪族たちの要望らしいのだが、張昭自体も悪くないと思っているようだ。
そこで俺は孫権と周瑜を呼び、彼らに相談してみた。
「という感じで、私に王になれという声が上がってるんですが」
「ほう、曹操と劉備の話は聞いていたが、うちでもそんな話が出るとはな」
「フッ、まあ、もしも孫紹が王になれば、より多くの官職が生まれるからな。そのお零れにあずかりたい者も、いるのだろう」
後漢においては、王といってもほとんど名誉職のようなものだ。
郡を国として与えられるが、官吏の任命権はなく、従って土地を直接統治することはできない。
しかし前漢の初期において、王とは広大な領地と独自の政府を持つ実力者だった。
そんな王が実際に反乱を起こしたりしたもんだから、朝廷はしだいにその領地と権力を削ったわけだ。
そして曹操と劉備が就任したのは、まさに前漢的な王のことであり、独自の領地と政府を持つという。
おかげで中原を制している曹操のみならず、劉備も多数の高官や将軍を抱えるような形になっていた。
そんな話を聞きつけた人々が、俺を王にしたいと言ってるわけだ。
「ええ、現実問題、曹操に挑むからには、王になるのは避けられないと思うんですよ」
「……うむ、紹の言うことも、分からんではないな」
「ああ、実際にそういった見返りを示すことで、中原への進出はしやすくなるだろうからな」
「ですよね。問題は世間体ってやつですが……」
「そうだな。曹操を簒奪者と責める者が、勝手に王を名乗るのは外聞が悪い」
俺の問いかけに、孫権が渋い顔で問題を口にする。
しかし周瑜は平気な顔で、解決策を出した。
「フフフ、大丈夫だ。我々臣下が望んで、王になってもらったことにすればいい。漢の正統を取り戻すために、必要だということにしてな」
「う~む、少し苦しいが、そんなものか。結局のところ、勝てば全てを正当化できるからな」
「アハハ、身も蓋もありませんが、そういうことですね。それでは孫家の本貫である呉を、国にするということでよろしいですか?」
「うむ、呉王 孫紹か。悪くないね」
「フハハッ、まさか孫家から、王が出るとはなぁ」
こうして俺も、王として立つことが内定した。
そしてそれは俺が、次の段階へ進むための、大事な一歩なのだ。




