幕間: 陸遜クンは希望を見出す
私の名は陸遜 伯言。
今は孫軍閥に仕える、武人である。
私は早くに父を失い、従父の陸康さまのお世話になっていた。
しかし廬江太守であった陸康さまは、ならず者の袁術と険悪になり、その手下だった孫策に攻められてしまう。
やむなく私は故郷の呉に帰り、一族の取りまとめに奔走することとなった。
当然、孫策には恨みを持っていたが、やがて彼は刺客に襲われて死んでしまう。
江東の小覇王などと言われて、調子に乗っていたようだが、あっけないものだ。
その後、孫軍閥は弟の孫権さまが当主となり、江東の支配を再び固めていった。
そうなると我が陸家も、旗幟を鮮明にせねばならなくなる。
正直、不本意な思いはあったが、やむなく建安8年(203年)に孫軍閥に仕官した。
私が21歳の時である。
それからはいくつかの官吏を歴任し、地方の統治にも参加した。
やがて江東にも、多くの無戸籍民がいることに気がつき、彼らを兵士として雇うことを進言する。
幸いにもこれは受け入れられ、私はちょっとした部隊を指揮することになった。
ちょうどこの頃、潘臨ひきいる山越賊が暴れまわっていたため、討伐に赴いて、見事に成功する。
その後も主に山越に対応しているうちに、孫軍閥の当主が代わるという話を聞いた。
しかもその孫紹さまが、私を呼んでいるという。
「襄陽へ行ってしまうのか?」
「ええ、孫紹さまからお呼びが掛かりまして」
「ほう、当主代行どのからか。まあ、陸遜どのほど優秀であれば、当然であろう。寂しくなるが、達者でな」
「ええ、あとはお願いします」
一緒に仕事をしていた賀斉どのが、私の転勤を惜しんでくれる。
最近はこの仕事の先行きにも希望が見えてきたところなのに、途中で去るのは残念だ。
しかし孫紹さまは、新たな山越政策も考えているという。
襄陽に行っても、やれることはあるだろう。
それにしても、孫紹さまは私を何に使うつもりだろうか。
それ以上に、孫策の息子と私は、上手くつき合えるのだろうか。
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建安20年(215年)3月 荊州 南郡 襄陽
「陸遜 伯言と申します。以後、よろしくお願いします」
「はじめまして、陸遜どの。わざわざお呼びだてして、すみません」
「いえ、それは構わないのですが、私は何を期待されているのかという点が、気になっております」
「まあ、そうでしょうね。まずは座ってください」
「はっ、それでは失礼します」
初めて会った孫紹さまは、気さくに接してくれた。
噂に聞くように、まだまだお若いが、不思議な落ち着きのあるお方だ。
当主代行になったばかりなのに、まったくおごった感じがないのも、好感が持てる。
「すでに聞いていると思いますが、私は江東の山越族を、なんとかして体制に取りこみたいと思っています。その舵取りをこちらの魯粛どのにお願いしてるんですが、陸遜どのにもそれを手伝ってほしいのですよ」
「はぁ……しかし私のようなものが、お役に立てましょうか?」
「ご謙遜を。陸遜どのは文武両面に長けた勇将ですし、現地の情報にも詳しいでしょう? まさにそのような方が、必要なのですよ」
「私からもお願いします。一緒に山越を取りこみましょうぞ」
「……そこまで買っていただいているのなら、断れませんね。精一杯、お手伝いさせてもらいます」
魯粛どのにも頼まれて、そのまま受けることになってしまった。
まあ、別に断るつもりもなかったがな。
それにしても、孫紹さまはなぜここまで、私を買ってくれるのか。
期待に応えられない場合が少し怖いが、まずは全力で取り組むとしよう。
その後、山越政策の詳細を聞かされたのだが、それはなかなかに悪辣な内容だった。
山越を適度に飼いならしつつ、反乱させにくい状況に持っていき、ゆくゆくは恩恵と血縁でがんじがらめにすると言うのだ。
たしかに有効そうな策だが、それを16歳の少年が考えたというのが驚きだ。
孫紹さまはそれだけでなく、ゆくゆくは中原に打って出るとも言う。
彼に仕えるというのは、想像以上に大変なことかもしれんな。
しかしそれ以上に、やりがいがありそうだ。
もう孫策の息子だとか、そんなことは関係ない。
精一杯、お仕えしようではないか。
それにしても、この年になって中華制覇の夢を見られるとはな。
クククッ、実に楽しみだ。
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建安21年(216年)1月 荊州 南郡 襄陽
あれからしばらく、魯粛どのと一緒に山越政策を推し進めていたら、孫紹さまから呼び出された。
鄱陽で費桟と尤突が、反乱を起こしたらしい。
まったく、懲りない奴らだ。
しかも曹操が裏で糸を引いているらしく、奴らは官職と資金も得ているようだ。
これは少し、厄介だな。
しかし孫紹さまが、無茶なことを言いだした。
「しかし今回は、あえて圧倒的な力を見せつけて、討伐したいと考えています」
「なるほど……そうして山越族の掌握を、一気に進めるのですね。しかしそうするには、どうしたものか……」
言いたいことは分かる。
しかしそれには、それなりの覚悟も示してもらわねばならないだろう。
はたしてその覚悟が、おありかな?
「せっかくですから、敵をおびきだして殲滅しましょう。ただしそのためには、孫紹さまが囮になる必要がありますが?」
「すばらしい。それこそまさに、私の望んでいた提案です。詳細を聞かせてください」
「……フッ、そこまで躊躇なく受け入れられるとは、私も予想外でしたね。さすが、孫家の次期当主です」
全く動じないとは、想像以上の胆力だな。
これならいけると思い、腹案を開陳すると、孫紹さまは恐れげもなく乗ってきた。
「なるほど、さすがは陸遜どのですね。しかしそんなに都合よく、敵を叩けますかね?」
「ご心配なく。すでに誘いこむ土地には心当たりがありますし、我が軍には伝書バトもあります。必ずや敵を、包囲殲滅してみせましょう」
「すばらしい。やはり陸遜どのに相談してよかった。頼りにさせてもらいますよ」
「はっ、こちらこそ光栄です」
こうまで頼りにされると、張りきらざるを得ないな。
久しぶりに全力で、指揮をしてみるか。
その後、打ち合わせどおりに我々は鄱陽へ移動し、反乱鎮圧に乗り出した。
まずは6千人ほどの兵を率いて、山中に分け入った。
全軍では動きにくいので、数百人の単位に部隊を分け、それぞれに指示を与えて進ませる。
その際、多少は口を出されるかと思ったが、孫紹さまは一切、介入しなかった。
恐ろしいほどの自制心だな。
そしてそれは、私への信頼の表れでもある。
なぜ私をそこまで信頼してくれるのか、不思議ではあるが、気分は悪くない。
それどころか、私の頭脳はかつてないほど澄み渡っている。
これならば反乱軍を手玉に取ることも、難しくはないであろう。
さて、やるぞ。
「敵襲~! 山越の襲撃だ~っ!」
「みんな、起きろ~! 迎撃だ~!」
「「「うおお~~~っ!」」」
目標の場所に陣取ってから3日後に、敵が夜襲を仕掛けてきた。
部隊は一旦、混乱に陥るが、それも計算のうちだ。
「合図を出せ」
「はっ」
軍鼓で合図を出すと、周囲の山中に幾つもの灯りがともる。
それは周囲に伏せさせていた味方部隊であり、敵を包囲するように動きはじめる。
「なんだ?! あれは敵か?」
「くっそ、俺たちはおびき出されたのか?!」
「おのれ卑劣な。ええいっ、構わん。敵の大将を討てば終わりだ。突っこめ~!」
「「「おお~~っ!」」」
騙されたと知った敵が突っこんでくるが、それも計算のうちだ。
「放てっ!」
「ウギャッ!」
「くそっ、突っこめ~!」
「ダメだ、敵わねえ!」
敵の動きを見越して配置していた強弩隊が、次々と敵に矢を放つ。
それは見事に図に当たり、敵を効率的に屠っていた。
ここで孫紹さまに目をやると、目の前の惨状に衝撃を受けているようだ。
いかに聡明とはいえ、やはりまだお若いということか。
私は彼を安心させるよう、声を掛けた。
「どうやら趨勢は決まったようです。これでこの反乱も、ほぼ終わりでしょう」
「……そうですか。少し早いかもしれませんが、お見事と言わせてもらいます」
青ざめた顔で、私を褒めてくださる。
しかしそれは、私の方こそ言いたかった。
「ありがとうございます。しかしこれも、孫紹さまが全て私に任せてくれたからです。人はなかなか、口を出さずにはいられないですからね」
「フフフ、口出しする必要を感じなかったのだから、当然ですよ」
どうやら孫紹さまは、本気でそう思っているようだ。
たしかに彼にはまだ、このような指揮はできないだろう。
しかし臣下の適性を見極めて、全てを任せられるような人が、一体どれだけいるだろうか。
将の将たる器。
私は稀代の英傑を、目の前にしているのかもしれない。
この命、彼に賭けてみるのも、悪くはなさそうだ。




