34.孫紹、山越を討伐する
建安21年(216年)1月 荊州 南郡 襄陽
「お呼びと聞きましたが」
「ええ、ちょっと相談があるので、座ってください」
「それでは失礼します」
そう言って俺の前に座ったのは陸遜。
史実の孫呉で、上大将軍や丞相を務めたほどの傑物である。
彼はすでに34歳になるが、まだまだ20代で通りそうな外見だ。
その体はたくましく引き締まり、容貌もさわやかで魅力的である。
しかしその性格は謹厳実直で、鍛えられた剣のような重みを感じさせる人物でもある。
彼は21歳で孫権に仕えてから、文武両面で実績を挙げてきた。
最近は山越の討伐にも活躍していたので、相談相手に選んだというわけだ。
「実は鄱陽で山越が反乱を起こしまして、その討伐について相談に乗ってほしいのです」
「はぁ、またですか。首謀者はお分かりで?」
「費桟と尤突だそうです」
「奴らか……まったく、懲りない連中だ」
「ええ、しかしどうも、曹操が裏で糸を引いているようなのです」
「ほう、官職でも与えましたか?」
さすがは陸遜。
即座に事実を言い当ててみせる。
たぶん普段から、いろんな事態を想定しているんだろうな。
「ええ、どうやら印綬を下賜したようですね」
「そうすると、おそらく資金も流れているでしょうから、なかなか侮れませんね」
「ええ、それくらいはしてるでしょう。しかし今回は、あえて圧倒的な力を見せつけて、討伐したいと考えています」
「なるほど……そうして山越族の掌握を、一気に進めるのですね。しかしそうするには、どうしたものか……」
すげえ、俺の意図を瞬時に見抜いてくる。
周瑜や魯粛も賢いけど、陸遜にはカミソリのようなキレの良さがあるな。
さすがは孫呉を支えた重臣だ。
陸遜はしばし黙考すると、絶妙な提案をしてくれた。
「せっかくですから、敵をおびきだして殲滅しましょう。ただしそのためには、孫紹さまが囮になる必要がありますが?」
「すばらしい。それこそまさに、私の望んでいた提案です。詳細を聞かせてください」
「……フッ、そこまで躊躇なく受け入れられるとは、私も予想外でしたね。さすが、孫家の次期当主です」
陸遜の提案は、まさに俺の望むものだった。
そこで一も二もなく飛びついたら、陸遜はちょっと驚いた顔をした。
さすがの彼も、俺がこうも簡単に受け入れるとは、思っていなかったのだろう。
しかし彼の提案は、俺にとって渡りに船なのだ。
今回の反乱で俺は、山越の短期制圧と懐柔を狙うと同時に、武功を示したいと思っている。
それには俺が戦場に立つ必要があるのだが、張昭などの重臣はいい顔をしないであろう。
しかし当主級の人物を囮に立てる必要があるなら、まさに俺は打ってつけだ。
別に直接たたかわなくたって、武功は得られるし、その胆力だって示せる。
まあ、張昭の説得は大変だろうが、そこはなんとかなるだろう。
その後、陸遜から明かされた作戦は、こんなものだった。
まず反乱軍よりも少ない軍勢で、俺が出陣する。
当然、次期当主の俺が出張ってることは、噂を流す。
そうして都合のいい場所に敵をおびき寄せて、一気に叩くのだ。
最低でも敵の幹部を捕らえて、反乱に与した部族を殲滅、もしくは恭順させたいと言う。
「なるほど、さすがは陸遜どのですね。しかしそんなに都合よく、敵を叩けますかね?」
「ご心配なく。すでに誘いこむ土地には心当たりがありますし、我が軍には伝書バトもあります。必ずや敵を、包囲殲滅してみせましょう」
「すばらしい。やはり陸遜どのに相談してよかった。頼りにさせてもらいますよ」
「はっ、こちらこそ光栄です」
その後、準備を整えると、俺は山越の討伐に出発した。
その過程で最大の苦労が、張昭を説き伏せることだったのは皮肉な話である。
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建安21年(216年)2月 揚州 豫章郡 鄱陽
反乱を起こした費桟と尤突は、総数1万を超える賊徒を率いて、鄱陽周辺を荒らし回っていた。
連中は部族ごとに山を下りてきて、集落を襲っては殺人と略奪を繰り返す。
もちろん県や郡の兵士が駆けつけるのだが、その頃には山中に引き上げている。
もしもそれを追おうものなら、逆に殲滅されかねないため、討伐は思うように進まないのだ。
しかしそんな状況も、俺の出陣で大きく変わることになる。
まずは6千人ほどの兵を率いて、山中へ分け入った。
ただしまとまって動くのは難しいので、数百人単位に分かれて、進むしかない。
やがて俺の本隊500人ほどは、ある場所に陣取り、全体の指揮を執ることになる。
「敵の状況はいかがですか?」
「はい、我らの噂を聞いて、敵は集結しつつあるようです。これから奴らを誘導し、ここへおびき出します。そのうえで……」
そう言いながらニヤリと笑う陸遜は、とても頼もしかった。
まさか山越も、彼の手のひらの上で踊らされているとは、想像もしていないだろう。
「分かりました。それでは作戦を決行しましょうか。そして我が軍の恐ろしさを、天下に示すのです」
「承知しました」
それから3日後の夜、ふいに騒ぎが発生した。
「敵襲~! 山越の襲撃だ~っ!」
「みんな、起きろ~! 迎撃だ~!」
「「「うおお~~~っ!」」」
とうとう山越の反乱軍が、夜襲を仕掛けてきたのだ。
慌てふためく味方の兵士に、敵が蛮声をあげて襲いかかる。
しかし若干の間をおいて、戦場に軍鼓の音が響き渡った。
ドンドンドンという腹に響くような音が響きはじめると、周囲の山中に灯りがともっていく。
それは巧妙に隠れさせていた、味方部隊の仕業だった。
「なんだ?! あれは敵か?」
「くっそ、俺たちはおびき出されたのか?!」
「おのれ卑劣な。ええいっ、構わん。敵の大将を討てば終わりだ。突っこめ~!」
「「「おお~~っ!」」」
騙されたと知った賊徒どもが、ヤケクソ気味に突っこんでくる。
しかしこちらも準備万端で、待ち受けていた。
「放てっ!」
周囲にかがり火を焚き、事前に整えられた陣地から、迫り来る敵に矢を放つ。
入れ替わり立ち替わりに放たれる矢が、敵を次々とつらぬいていった。
やがて周囲から駆けつけた援軍も戦闘に加わり、戦場は混沌の渦と化す。
その惨状を目にして、息を呑んでいる俺に、陸遜が話しかけてきた。
「どうやら趨勢は決まったようです。これでこの反乱も、ほぼ終わりでしょう」
「……そうですか。少し早いかもしれませんが、お見事と言わせてもらいます」
「ありがとうございます。しかしこれも、孫紹さまが全て私に任せてくれたからです。人はなかなか、口を出さずにはいられないですからね」
「フフフ、口出しする必要を感じなかったのだから、当然ですよ」
「光栄です」
たしかに俺は今回、全く口を出さなかった
彼の言うように、ともすると口を出したくなる思いを抑えて、全てを任せたのだ。
そして陸遜の指揮ぶりが、下手な口出しを許さないほど、見事だったのも事実である。
敵の監視から始まり、その連絡、行動予測、味方部隊への指示など、やることはいくらでもある。
陸遜はそれを見事にさばき、今回の戦場を演出したのだ。
前から凄いとは思っていたが、これほどまでとは知らなかった。
これほどの武将を抱える孫呉になら、中原の制覇も夢ではないだろう。
そんなことが実感できる、有意義な戦いだった。




