幕間: 孫権クンは安堵する
私の名は孫権 仲謀。
今は亡き破虜将軍 孫堅の、息子だ。
そして私には以前、尊敬する兄がいた。
孫策 伯符。
父の跡をつぎ、江東の小覇王とも呼ばれた、稀代の英傑である。
兄は容姿に優れ、人を惹きつける魅力にあふれるだけでなく、戦にも強かった。
私はそんな兄を助けたくて、必死に政治や戦の勉強をしたものだ。
しかし兄のために働くという私の夢は、無情にも絶たれてしまう。
彼を恨む刺客の手によって、暗殺されてしまったからだ。
ああ、兄上、なぜあんなにも早く逝ってしまったのですか。
しかし私には、ゆっくり兄の死を悲しんでいる余裕もなかった。
周りの者が、私に兄の跡をついで、孫軍閥の当主になれというのだ。
そんなこと、とても無理だとは思ったが、張昭と周瑜が率先して臣下の礼をとることで、支えてくれた。
そんな、右も左も分からないような状況で、しばらくは無我夢中に仕事をしたものだ。
そして気がついてみれば、黄祖という父の仇を討つことにも、成功していた。
おかげで次は荊州の南郡を取ろうかと盛り上がる中、思わぬ者と顔を合わせる。
「郎よ、わざわざ柴桑まで来て、なんの用だ?」
「はっ、お忙しいところ、お時間をいただき感謝します。実は思うところがありまして、俺を荊州の攻略に使ってほしいのです」
「……今までは戦に消極的だったのに、急にどうした?」
「実はこの孫紹が、前線を見て勉強したいと言いだしましてね。こんな子供が頑張ろうとしてると思うと、俺も何かしたいと思ったんですよ」
異母弟の郎が急に訪ねてきたかと思えば、甥の紹もいるではないか。
たしかまだ8つかそこらだと思ったが、すでに兄の面影がある。
聞けば紹は、兄の夢を見て、何かしたくなったと言う。
まあ、実際に何ができるわけでもないだろうが、郎がやる気を出してくれたのは都合がよい。
なにしろ我が孫家は今、けっこうな人材不足だからな。
せいぜい働いてもらおうではないか。
「やる気になっている者を、邪険にするのも問題か。よかろう。2人とも夏口城へ行ってこい。上手くすれば、周瑜が仕事を与えてくれるだろう。郎はちゃんと、紹の面倒をみてやるのだぞ」
「ははっ、感謝します」
「ありがとうございます」
フフフ、別に大したことをしたわけでもないが、素直に礼を言われるのは心地よいな。
今後は紹にも、目をかけてやるか。
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建安13年(208年)11月 揚州 豫章郡 柴桑
郎と紹を夏口へ送り出したと思ったら、劉表が死に、さらに曹操が荊州へ攻めてきたという。
そこで魯粛を弔問にやったのだが、なんと勝手に劉備と同盟の約束をして、諸葛亮とかいう男を連れ帰ってきおった。
それを聞いて、思わず魯粛に殺意がわいたが、なんとか思いとどまった。
降伏ばかりを口にする家臣よりは、マシに思えたからだ。
さらには周瑜まで出てきて、曹操への徹底抗戦を主張するものだから、私も腹が決まった。
おそらく兄上でも、戦うであろうからな。
その後、全てを任せた周瑜は、大軍を相手によく戦っていた。
この調子ならば、勝ちきることは無理にしても、交渉に持ちこめるかもしれない。
そう思っていたら、夏口に赴いていた魯粛が、提案を持ってきた。
「孫権さま。周瑜どのは近々、大戦果を挙げると思われます。しかしその際に、江東での守りを固くして、一気に江陵を取りにいくべきだと思うのです」
「む、それではまるで、江東で攻勢に出るのは間違いのようではないか」
「いえ、それもひとつの手ではあるのですが、ここは得られるものを見極め、最適な手を打つべきかと」
「ふ~む、江陵を取れば、何が手に入る?」
「江陵こそは荊州の要です。もしもそこを取れれば、南郡の大半のみならず、南部の4郡も手に入ることでしょう」
「なんと、そこまでか?」
その並外れた成果予測に、思わず声を失う。
しかし魯粛は自信たっぷりで、嘘は言っていないようだ。
「それでは逆に、江東から攻めに出れば?」
「おそらく城のひとつかふたつ、取れれば御の字でしょうな。とても荊州の大半とは釣り合いませぬ」
「う~む……しかしな、北岸を攻略できれば、この江東を攻められにくくなる。遠い荊州より、利益は大きいのではないか?」
「逆でございます。たしかに曹操の軍を遠ざけられれば、安心感は増すでしょう。しかし長江から離れれば離れるほど、騎兵や歩兵を主力とする敵が有利となるのです。我々は長江を盾に、敵を防ぐのが最善かと」
「むむむ……」
できれば長江の北岸を攻略したいと思っていたが、中原に近づくほど不利になるのは事実であろう。
そうなると長江を盾に防ぐのが、最善か。
なにやら言いくるめられた気もしないでもないが、ここは献策に従っておくとしよう。
「分かった。周瑜が勝った暁には、援軍を荊州に回そうではないか」
「ありがとうございます」
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その後、魯粛の予言どおりに、周瑜が赤壁で大勝し、我が軍は江陵の攻略に動いた。
そして約束どおりに援軍を回してやると、江陵すらも短期間で制圧してしまう。
さらに宜城まで押さえて、荊州南部の4郡も軍門にくだったらしい。
ちょっと信じられないほどの成果だが、魯粛の進言に従ってよかった。
しかもさらに信じられないのが、今回の大成果の陰に、紹の働きがあるというのだ。
もちろん戦ったのは周瑜たちだが、紹が適切な助言をしたという。
まだ9歳にしかならない子供に、そんなことができるのか?
にわかには信じがたかったので、信用できる者に調査させると、どうも確からしい。
これはひょっとすると、ひょっとするか?
しばし様子を見るとしよう。
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その後も紹は、益州の攻略に貢献し、さらに領地経営にも活躍しているという。
そんな中、周瑜が襄陽を取りたいと言ってきたので、許可しようとしたのだが、ここで思わぬ横やりが入る。
「孫権さま。ここは襄陽だけでなく、合肥も取りにいきましょう。なに、我が孫軍団は、4州の大半を制圧しているのです。曹操など恐るるに足りません」
「いや、しかしな……」
程普をはじめとする武将たちが、手柄欲しさに騒ぎだしたのだ。
それも襄陽だけでなく、合肥も取ろうなどと、たわけたことを言う。
いや、場合によってはこれも使えるか?
どの道、程普たちは勝ち戦に浮かれていて、言うことを聞きそうにない。
ここは臣下を統制できない、無能な当主を演じるのも手だ。
犠牲になる兵には悪いが、これも孫家のためと思って、やってやろうではないか。
その後、合肥に兵を出したら、予想以上の大敗を喫してしまった。
これも臣下を統制できなかった私の責任だが、なんとも痛い。
ところが襄陽では一度は失敗したものの、周瑜が紹に援軍を求めた結果、なんと制圧に成功してしまう。
ううむ、どうやら紹の才能は本物のようだな。
これは先が楽しみだ。
やがて紹の忠誠を疑う声が出てきたので、ほとぼりを冷ますために交州へ行かせた。
その前に2人きりで話したが、実に頼もしい少年に成長していた。
よしよし、そのまま成長して、当主の座を狙ってくれよ。
俺の方も仕込みをしておくからな。
紹が交州で活躍する一方で最近、取り巻きどもが露骨に私欲を貪ったおかげで、反乱が発生しておる。
これは紹を呼び出して、後始末をさせてやろう。
そのうえで私は、彼に当主の座を譲るのだ。
ああ、実に楽しみだ。
その後、紹は見事に反乱を鎮圧する一方で、横暴を働く取り巻きの親族を、粛清しているらしい。
さて、この先はどう出る?
なんと、紹が少数で建業に乗りこんできて、取り巻きどもと対立しおった。
しかも戦闘が起こるかと思えば、あちらは魯粛や甘寧を巻きこみ、まんまと逃げおおせたのだ。
そして私に、柴桑へ来て話をしようと言う。
それこそ、私の望むところよ。
この胸の苦衷をさらけ出して、今後のことを話し合おうではないか。
とうとう紹と腹を割って話してみれば、彼は想像以上にでかいことを考えていた。
まさに江東の小覇王の再来よ。
よし、私の腹は決まった。
紹に当主の座を譲って、彼を補佐するのだ。
今度こそ、全力で甥を守り、夢を果たさせてやろうではないか。




