29.孫権との対決(2)
建安20年(215年)1月 揚州 丹陽郡 建業
孫権に呼び出されて建業へ来てみれば、取り巻きたちに捕まりそうになった。
しかし魯粛を始めとする協力者たちが、それを阻もうと駆けつけてくれたのだ。
「お~っと、下手に動くなよ。俺が暴れたらどうなるか、分かるだろ?」
「そうそう、俺らを怒らせると、後が怖いぞ」
そう言う甘寧と呂範の迫力に負けて、俺の周りの兵士がたじろいだ。
俺はその隙をついて、仲間の方へ走り寄った。
そして無事に合流すると、孫桓がホッとした声を出す。
「ああ、孫紹さま。おケガはありませんか?」
「ええ、まだ何もされてないので、大丈夫ですよ」
すると甘寧が不満そうに問う。
「しかし御曹司。ここまで危険を犯す必要は、あったのか?」
「それはもう。最初から逃げていたのでは、孫権さまに信用してもらえませんからね」
「貴様、よくもぬけぬけとっ! 孫権さま、これで孫紹の叛意は明らかになりました。このうえは――」
またがなり立てる取り巻きを、孫権が手で制止しつつ、俺に問う。
「紹よ。これはどういうことなのだ?」
「ご覧のとおりですよ。素直に召喚には応じましたが、少し保険を掛けておいただけです」
「保険を掛けるということは、やましいことがあるのではないか?」
「ご冗談を。私にやましいことがなくても、悪意を持つ者はいますからね。自分の身は自分で守らないと」
「フッ、それもそうだな」
「孫権さまっ!」
また激昂する取り巻きをにらみつけると、孫権はさらに問う。
「しかし紹よ。この決着、どうやってつけるつもりだ? このままではこちらも収まらんぞ」
「そうですね。このままだと戦うしかなくなりそうですが、その前に話し合いをしてはどうでしょうか? 改めて席を設けて、私と孫権さまとで腹を割って話し合うのです」
すると孫権はしばし考えてから、あっさりと承知した。
「ふむ、よかろう。場所はどこにする?」
「柴桑でいかがでしょう? それも船上がいいと思います」
「フハハッ、おもしろいな。それでは張昭と魯粛に、その準備を任せたいと思うが、どうだ?」
「賛成です。それでは今日は失礼します」
「うむ、またな」
その後は甘寧たちの協力を得て、無事に建業を脱出できた。
その際、人質にされかねない母上の回収も、忘れていない。
さて、孫権とはどんな話になるだろうか?
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建安20年(215年)1月 揚州 豫章郡 柴桑
柴桑に着いた俺たちは、すぐに荊州から水軍を呼び寄せた。
そうしてしばらく待っていると、孫権がやはり水軍を率いて、柴桑へやってくる。
そこからは張昭と魯粛が中心となって、俺と孫権の会談場所が設えられた。
それは俺の希望どおり、長江に浮かんだ船上で行われることとなる。
そして暗殺の恐れなどがないよう、相互にチェックをしたうえで、俺と孫権は船上で対峙したのだ。
「ふう、ようやくこうして間近で会えたな」
「ええ、交州へ行く前以来なので、2年ぶりですね」
そう言うと、孫権が目を細めて俺を見る。
「……うむ、ますます兄上に似てきたな。立派な男ぶりだ」
「ありがとうございます。孫権さまも、当主としての貫禄が増しているのではないですか」
「フハハ、そう言ってもらえるのは嬉しいが、そうでないことは、私が一番わかっている」
「孫権さまっ!」
ここでまた取り巻きの1人が騒ごうとしたが、周りの人間に止められる。
孫権は横目でそれを見ながら、のんきに話しかけてきた。
「ところで紹よ。荊州の水軍を呼び寄せたようだが、お前はここで戦争をするつもりか?」
「いいえ、極力、戦は避けたいと思っています。そのための抑止力ですよ」
「フフン、言うではないか」
そう言う孫権は、どこか楽しげだった。
少し間を置いてから、彼がさらに問う。
「なあ、紹よ。お前は我が孫家、いや孫軍閥を、どうしたいと考えている?」
「そうですね。可能であれば中原へ兵を派遣し、中華全土に覇を唱えたいと思っています」
「なっ……正気か?」
「ええ、正気ですよ」
俺が平然と答えれば、孫権は信じられないという顔をする。
しばし化け物を見るような目をしていたが、やがてまた口を開いた。
「……覇気があるとは思っていたが、まさかそこまでとはな。フッ、まさに兄上の子供よ」
「はい。周瑜さまから聞きましたが、父上もそんな夢を語っていたそうですね」
「であろうな。私にはとても考えつかないことだ」
「そうなんですか?」
「当たり前だろう。しょせんこの華南の地は、中原から見れば田舎に過ぎないのだ。私には逆立ちをしても、中原を飲みこむ夢など見れぬ」
そんなことを言う孫権だが、その感覚は常識的なものだ。
中華文明の中心とは、常に黄河流域の華北地帯であり、華南とは人口、生産力、文化などにおいて、隔絶した差があるのだ。
史実では229年に、魏呉蜀の3国が鼎立した形になっているが、実は中原の民の多くが、それを知らなかったという。
それは中原にとって呉や蜀が、辺境の反乱勢力にすぎなかったからである。
しかしこの世界の孫呉は江東だけでなく、益州の南部と交州、そして南陽を除く荊州のほとんどを手に入れている。
それは史実とは比べ物にならないほどのアドバンテージだ。
だから俺は堂々と夢を語る。
「それではおじ上。私がその夢をなし遂げるので、当主の座を譲ってくれと言えば、どうしますか?」
「なんだと?」
孫権はしばし絶句していたが、やがて笑いはじめた。
「フフフ……フハハハハッ、ワ~ハッハッハッハッハ、ワ~ハッハッハ」
まるで気が触れたかと思うような哄笑の後に、孫権は涙をぬぐいながら答えたのだ。
「よかろう、紹。孫家の実権、お前に譲ろうではないか」




