26.孫紹、とうとう決意する
建安19年(214年)5月 荊州 南郡 襄陽
「お久しぶりです、周瑜さま」
「おお、孫紹。戻ったか。交州はどうだった?」
孫権から反乱鎮圧を命じられた俺は、まず荊州の周瑜に会いにいった。
「いろいろと面白かったですよ。珍しいものを、たくさん見られました」
「フフ、そうか。それはよい勉強になったな。しかし交趾では、命を狙われたとも聞いたが」
「ええ、もう少しで命を落とすところでした。その後は護衛をたくさん連れ歩いたので、面倒でしたね」
「フ、それは仕方ないな。しかし敵の正体はつかめたのか?」
「いいえ、それは分からずじまいです」
俺が肩をすくめると、周瑜も深くは追求しない。
「ふむ、まあ、そんなものだろうな。それでここへ来たのは、例の反乱鎮圧のためだな?」
「ええ、そうです。おじ上からも話を聞きたいと思いまして」
「うむ、私も困っていたところだ。まずは座れ」
「はい」
素直に周瑜の前に座ると、彼が難しい顔で語りはじめる。
「だいたい事情は聞いていると思うが、揚州豪族の横暴が主な原因だ。おかげで原因は分かっているのに、思うように対策が進まない」
「え~と、問題を起こした方は、罷免されているんですよね?」
「代わりに別の親族が送られてきて、同じようなことをする。完全にイタチごっこだ」
「ははぁ……」
問題を起こした官吏を罷免しても、また孫権の取り巻きの親族が送られてくるようだ。
そして少し時間が経つと、また同じようなことを繰り返すんだとか。
「そのような状況では、私が鎮圧に動いても、同じことですよね? 孫権さまは何がしたいんでしょうか」
「うむ、それだがな……孫権さまは我が軍の構造を、一気に変えようとしているのではないかな?」
「我が軍の構造と言われますと……豪族の粛清ですか」
俺が思いつきを口にすると、周瑜がニヤリと笑う。
「そうだ。孫権さまは揚州を取りまとめる時に、豪族に借りを作りすぎた。その豪族たちがつけ上がって、勝手をしているのが今の状況だな。そこへ孫家の直系を、中郎将として送りこんできたのだ。これはお前に、思いっきりやれと言っているのだと思う」
「いやいや、そうですかねえ。思いっきりやったら、やり過ぎだといって、処罰されるかもしれませんよ」
「そんなことはあるまい。何か孫権さまに、含みを持たされていないか?」
「いえ、そういうのは、ありませんでしたけどね」
今回は軽く会っただけで、孫権とはほとんど話せていない。
まともに話したのは1年以上も前で、あの時はけっこう、俺の成長を楽しみにしてる雰囲気だった。
今回も意図があるのなら、何か言いそうなものである。
「交州に行く前に話した時は、けっこう私に期待してる雰囲気でしたかね。だけど今回は、本当に何も言われてないんですよ」
「ふむ、おそらくそれだけ、周りの目を気にしているのだろう。というよりも建業の状況は、思った以上に悪いのかもしれないな」
「建業の状況というと、孫権さまの周囲の連中ですね?」
「ああ、奴らの力が強すぎて、孫権さまも統制できなくなってきているのだろう。これはいよいよ、孫紹を旗頭にして、体制を刷新する必要があるかもしれんな」
「ちょっ、めったなことを言わないでくださいよ」
俺が諌めても、周瑜はニヤニヤ笑うだけで、取り合わない。
「フン、お前こそ、いいかげんに覚悟を決めろ。おそらく孫権さまも、それを望んでいるのではないかな?」
「そんな馬鹿な」
「いや、お前を交州に送ったのも、おそらく人脈を作らせるためだろう。孫紹はすでに荊州や益州では実績を積んで、声望が高い。揚州以外の3州をまとめることも、そう難しくはないだろう。私にはこれが、偶然だとは思えないな」
「う~ん、そうなん、ですかね……」
言われてみれば、周瑜の言うこともありそうだ。
しかし軍閥の当主ともあろう者が、あえて対抗者の存在を許すだろうか?
「仮にも孫家の当主である孫権さまが、自分から対抗者を作ろうとか、しますかね?」
「普通は考えられないだろうな。しかし孫権さまは、聡明ではあるが、それほど我の強いお方ではない。むしろ孫策が生きていた頃は、彼を支えることに喜びを見出していたように思う」
「そうなんですか? いや、そういえば、父上を支えようと勉強してたのに、跡を継げと言われて戸惑った、みたいなことは言ってましたね」
「ああ、そうだろうな。私と張昭どのが臣下の礼を取ることで、なんとか周囲を納得させたのだ。孫権さま自体は、苦しい思いをしてきたのではないかな。そんな状況で最近、孫策の息子が、才能の片鱗を見せはじめたんだ。お前に当主の座を譲りたいと思っても、さほど不思議ではないだろう」
「えぇ~~……」
はたしてそんなことが、あり得るだろうか?
孫権といえば、呉の皇帝になった男だぞ。
虎狩りが大好きで、酒癖も悪いっていうから、我も強いんじゃなかろうか?
しかしそれが俺の思いこみにすぎないとすれば、今回の状況も説明がつく。
孫権は俺を中核として、孫軍閥を作り直そうとしてるんだ。
問題はその過程で、俺と敵対するのか、それとも素直に譲るのかだが。
ひょっとすると、敵対は視野に入れてるのかもしれない。
それどころか、自分が犠牲になることすら、考えているかもしれないな。
「おじ上。孫権さまは自身が犠牲になることも、考えているのではないでしょうか?」
「……うむ、その可能性は高いな。しかしそのやり方は、我が軍にとっても損失が大きすぎるだろう。だから孫紹を旗頭にしやすいよう、優位な状況を作るべきだと思う」
「そんなことが、できましょうか?」
「私や孫郎、魯粛どのはお前の味方だ。他にも味方につけられる人材は、多いだろう。しかしそのためには、お前が本気になって取り組まねば、事はならないぞ。その覚悟はあるか?」
周瑜がそう言って、俺の目をのぞきこんできた。
しかし俺の心は、もう決まっていた。
「やりますよ、おじ上。実は私は、身のほど知らずな野望を抱いているんです。江東から兵を興して、中華全土に覇を唱えるというね。それに比べれば、孫家をまとめるのなんて、大したことじゃありません。逆にそれすらできないのなら、野望もくそもないでしょう」
その宣言を聞いた周瑜が、破顔した。
「ハハハッ、いいぞ、孫紹。昔、孫策もそんな夢を語っていたよ。やはり虎の子は虎だったということか……よし、今後はその野望を視野に入れて、動きはじめよう。まずは私欲に走る官吏どもの一掃だな。そのうえで豪族を抑えられなかった孫権さまを糾弾して、孫家の実権を握るんだ」
「分かりました、おじ上。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ頼むよ」
こうして俺と周瑜は、孫家の実権奪取に向けて、動きだすことを誓いあった。
願わくば、流れる血は少なく済ませたいものだが。




