22.孫権からの呼び出し(2)
建安18年(213年)1月 揚州 丹陽郡 建業
「ひょっとしてこれも、曹操の離間策なんじゃないかと」
「なんですと?!」
建業で立ちつつある噂について、ちょっとうがった見方をしてみると、魯粛が食いついてきた。
「たしかに曹操からすれば、孫紹どのは邪魔な存在。離間策を仕掛ける動機は十分にありますが、何か証拠でもおありですか?」
「いえ、証拠なんてありませんが、気になったもので。それに曹操には、前科があるじゃないですか」
「……ああ、孫賁どのと孫輔どのの件ですか。あれは残念な事件でした」
「ええ、あれによって孫家は、有能な人材を2人も失ったんです。そんな中で私のような者が台頭してきたら、策を仕掛けない方が不思議ですよね」
「言われてみれば、そのとおりですな」
魯粛はしばし考えこむと、また口を開いた。
「大至急、噂の出処を探ってみましょう。そして怪しい動きがあれば、孫権さまに報告します」
「ええ、お願いします。でもここだけの話、怪しい動きがなくても、孫権さまには忠告して欲しいんです」
「それはまた、なぜ?」
「曹操が仕掛けなくても、私をやっかむ人はいるでしょうからね。それらへの備えとして、孫権さまには認識しておいて欲しいんですよ」
「ああ、それもそうですな。同じ陣営内で仲間割れをするなど、愚の骨頂。敵の策にはまらぬよう、対策しておくべきでしょう」
「まさにそのとおりです。内輪もめをしてる余裕は、ないですからね。今は」
俺がそう言うと、魯粛はおもしろそうな顔をした。
「今は、ですか?」
「ええ、今はです」
「ほほう……それではいずれ、孫紹どのが立つこともあり得るのでしょうか?」
「そうですね。最低でも15歳になって、私を支持してくれる方が多くいるのでしたら」
「フフフ、そうですか。ようやく決意されたのですな。もちろん私は、貴殿を支持いたしますぞ」
「ありがとうございます。ところで建業にいる方たちの思惑って、どうなんでしょう? 分かる範囲で教えてもらえますか?」
「ふうむ、他の方々ですか……」
魯粛はしばし考えてから、とつとつとしゃべりはじめた。
「基本的に孫権さまを支持する方が、ほとんどだと思います。しかしその多くは中立寄りで、情勢しだいでいくらでも変わるでしょう。今のところ、孫紹どのを表立って褒めているのは、甘寧どの、呂範どの、そして呂蒙どのぐらいですかな」
「へえ、呂蒙さんも注目してくれてるんだ。逆に批判する方だって、いますよね?」
「いえ、さすがに孫策さまの遺児を、表立って批判する方はいないと思います。まあ、噂では程普どのが不満を漏らしているとも聞きますが、それも本当のことかどうか。その辺は、ご自身が会ってみて、判断した方がよいと思いますぞ」
「そうですね。他人の話を鵜呑みにしていては、大きな過ちを犯してしまいますね。できるだけ多くの人に、会ってみたいと思います」
「ぜひ、そうなされませ。必要とあらば、仲介をさせてもらいますぞ」
「ええ、その時はお願いします」
こうして魯粛との話を終えると、俺は母上の下に戻ったのだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
建安18年(213年)1月 揚州 丹陽郡 建業
それから数日間、いろんな武官や文官と交流を持っていると、ようやく孫権からお呼びが掛かった。
「お呼びと聞いてまいりました、孫権さま」
「おお、来たな、紹。まあ座れ。それとこの場では、親族として振る舞ってくれ。おじ上と呼んでかまわんぞ」
「はい、それでは失礼します、おじ上」
孫権の前に座ると、側用人がお茶を出してから退室した。
俺と2人きりになると、孫権が感慨ぶかげにしゃべる。
「本当に兄上に似てきたな。ちょうど父上が死んだ頃のことを、思い出すよ」
「そうですか。たしか父上は、お祖父さまが亡くなられてしばらくしてから、袁術の陣営に加わったのですよね?」
「おお、よく知っているな。そうだ。2年ほど後に袁術どのの陣営に加わった。それから短期間のうちに頭角を現し、江東の小覇王と呼ばれるまでになったのだ」
「ええ、そのようですね。しかし志なかばで、刺客に暗殺されてしまった。私は会うこともできませんでした」
「そうだな。私にとっても、実にいたましい事件だった。あのまま兄上と一緒に戦っていられたらと、今でも思うよ」
そう言って孫権は、遠い目をした。
孫策を懐かしみつつ、その後の波乱に思いを馳せているのだろう。
「……大変でしたか?」
「大変?……そりゃあ、もちろんさ。あの時、私はまだ19歳だったのだぞ。兄上を支えようと、必死で勉強しているところだった。それなのに、兄上の跡を継げと言われ、相当に戸惑ったものだ」
「なるほど、それはそうでしょうね」
「そうさ。あの時、すでにお前が生まれていれば、大きくなるまでの中継ぎとして、もう少し気楽にやれたのだがな」
ふざけた調子で、孫権がそんなことを言う。
しかしその目には、冗談だけではすまない何かがあるような気がした。
「それはもう、言っても仕方ない話ですね。私はまだ母上のお腹の中で、性別も分からなかったのですから」
「ああ、まったくだ。おかげで私は孫家を継ぐはめになり、さんざん悩まされたものだ。いくら兄弟だからといって、素直に家臣は言うことを聞いてくれんからな」
「実際に反乱騒ぎが、いくつもあったようですね」
「ああ、孫暠は未遂で済んだが、李術や山越の反乱には手を焼いた。最初の数年は、その対処だけで精一杯だったわ」
孫権はうんざりしたという感じで、愚痴をこぼす。
孫暠とは孫静(孫堅の弟)の長男で、孫策の死亡時に独立を企んだものの、虞翻の説得で兵を引いた経緯がある。
やはり孫策の部下だった李術も独立を宣言したので、こちらは孫権に討ち取られていた。
俺はそんな彼の苦労を察し、ねぎらいの言葉を掛ける。
「ですがおじ上は、ちゃんとそれを乗り越えてみせたではありませんか。そして荊州や交州を取り、益州の南過半をも治めているのですよ」
「いや、まあ、それなんだがな……正直いって、荊州から先は出来すぎだと思っている。周瑜や紹のおかげだな」
「何を言ってるんですか。たしかに周瑜さまは凄いですけど、私は大したことはしていませんよ。郎おじ上だって、がんばってますし」
孫権がナチュラルにぶっちゃけてきたので、あわてて否定する。
なんとなく、よくない流れだ。
「お前こそ、何を言っているのだ。周瑜や郎だけで、あんなことができるわけないだろう。益州と襄陽の攻略には、お前の智謀が貢献していると聞くぞ」
「それはなんと言うか……ちょっと思いつきを口にしただけです。それを形にした、皆さんの成果ですよ」
「その思いつきが、凡人にはなかなかできんのだ。さすがは孫策の息子だと、お前を持ち上げる声も、最近は上がってきているのだぞ」
「それはまあ……そうありたいと思って、がんばってますけど」
そう言って口をにごすと、孫権が真剣な顔で打ち明けた。
「それだけではない。お前が私に成り代わろうとしているとまで、言う声もあるのだ」
「おじ上っ! その出処は確認されましたか?」
「いや、それは確認できていない。お前の懸念については、魯粛から聞いている。曹操の離間策だと言うのだろう?」
「そうです。負け続きの曹操にとっては、絶好の機会でしょう」
「負け続き、か。フッ、合肥では向こうが勝っているがな」
「おじ上っ!」
自虐気味に語る孫権をたしなめると、彼はしっかりとした視線を返してきた。
「分かっている。ここでお前を疑えば、相手の思うつぼだということはな。そんなことだけは、避けるつもりだ。しかしそのためにも、お前の処遇については考える必要がある」
「たしかに。それはそうでしょうね。何か妙案でもおありですか?」
俺は内心ドキドキしながら訊ねると、孫権はおもむろに口を開いた。
「うむ、紹。お前しばらく、交州へ行かないか?」




