21.孫権からの呼び出し
建安18年(213年)1月 荊州 南郡 襄陽
「孫権さまが、孫紹を呼んでいるだと?」
「ええ、可及的速やかに建業へ来るよう、連絡がありました」
「ふむ、今までは放置していたのに、今さら何が目的かな?」
「この書状によると、今後のことを話し合いたいとのことですが」
ふいに孫権から呼び出しがあったので、俺は周瑜たちに相談していた。
孫権の思惑によっては、対策をしなければならないからだ。
「今後のことを話し合いたいとは、ちょっと大仰な言い方だな。建業の状況は今、どうなっているんだったかな?」
「はい、どうも最近は、周瑜さまと孫紹どのを、引き離そうという声が強まっているようです」
「ふむ、襄陽攻略の立役者が誰だったか、広まりつつあるようだね」
「ええ、少々、宣伝が効きすぎましたかね」
周瑜の問いに応えているのは龐統だ。
彼はこの襄陽で諜報関係の仕事を、一手に取り仕切っているのだ。
そしてその対象には曹操や劉備だけでなく、味方のはずの建業も入っていた。
「孫権さま自体が騒いでいるのかい?」
「いえ、程普どのを中心にした、武官どもが騒いでいるようですね。これ以上、周瑜さまに、手柄を立てさせたくないのでしょう」
「やはりそうか……しかしそれなら、孫紹に危険はないかな」
「いえ、それはどうですかね? 孫紹どのを危険視する声も、出てきているようですよ。まだ子供なので、そう多くはないようですが」
「やはりそうなるか……」
深刻そうに眉をひそめる周瑜に、俺は訊ねる。
「少々、建業が危険そうなのは分かりましたが、いざという時には、誰を頼ればいいでしょうか?」
「そうだな。まず魯粛どのや呂範は、確実に君の味方をしてくれるだろう。それとこの間、一緒に戦った甘寧も、君に期待しているのは間違いない。その他にも注目している者はいるだろうが、今はまだ様子見をするのではないかな」
「当面はそのお3方ぐらいですか。だけど他の方たちとも、できれば話をしてみたいですね」
「フフフ、そうだね。実際に話をしてみれば、君のことを見直す者も増えるかもしれない。なにしろ君はますます、孫策に似てきたからね」
「そう言われると、ちょっと嬉しいですね。だけど孫権さまは、どう思うんでしょうか?」
「うむ、それが問題だな。決して孫策との兄弟仲は、悪くなかったと思うが」
すでに数えで14歳になった俺は、ますます孫策に似てきたと言われている。
おそらくそれをなつかしく思う人もいる一方で、警戒する者もいるだろう。
しかしなんにしろ、孫権からの呼び出しに応えないわけにはいかないので、俺は建業へ向かった。
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建安18年(213年)1月 揚州 丹陽郡 建業
「ご無沙汰しております、孫権さま」
「うむ、久しぶりだな、紹よ。益州や荊州では、いろいろ活躍したと聞くが?」
「とんでもございません。周瑜さまや郎おじ上に、学ぶことばかりです。今後も研鑽を続け、孫家の名に恥じない武将になりたいと思っております」
「……そうか。今日のところはおぬしも疲れているだろうから、ゆっくりと休むがよい。またゆっくりと、話をしようではないか」
「お気づかい、ありがとうございます。それでは失礼いたします」
久しぶりに建業へ戻り、まずは孫権へのあいさつをすませると、すぐに橋夫人を訪ねた。
「まあ、見違えたわ、紹。もっと顔を見せてくれればよかったのに」
「申し訳ありません、母上。やることがたくさんあったものですから」
「あなたはまだ、14なのですよ。そんなに生き急がなくても……」
そう言って母上は、俺をギュッと抱きしめてくれた。
久しぶりに包まれるぬくもりと香りに、ひどく懐かしさを覚える。
そんなあいさつを終えると、俺は改めて彼女と向かい合った。
「ところで母上。今の建業は、どのような雰囲気でしょうか?」
「そうですね……度重なる戦勝に、沸き立っている感じでしょうか。最近は少し、浮かれすぎな気もするほどです」
「なるほど。しかし合肥では、危ない場面もあったのでしょう?」
「ウフフ、人とは都合の悪いことは、忘れる生き物のようですね。あれからしばらくは、合肥という言葉は禁句だったのですよ。しかし襄陽であなたたちが勝ったために、無かったことになっているようですね」
「そうですか……ところで母上。孫権さまが私を呼び出したのは、なんのためだと思われますか?」
すると母上は、その美しい眉をひそめた。
「あいにくと私には、孫権さまのお心を知る術はありませんが、なにやらよからぬ噂も聞こえてきます。極端なものでは、あなたを更迭して、幽閉するのではないかという声もあるのです」
「はて、幽閉されるような罪状には、とんと心当たりがないのですが、そんなことがありましょうか?」
「例えばの話です。孫輔どのだって、ほとんど言いがかりのようなものだったではありませんか」
「まあ、そうですね」
孫策の従兄弟だった孫賁と孫輔は、曹操から将軍位と官職を与えられたことから、謀反を疑われていた。
その後、孫賁は飼い殺しにされ、孫輔は孫権に無断で曹操と連絡を取ったとして、幽閉までされてしまう。
今は2人ともこの世にはなく、どう見ても曹操の離間の策にはまった形だ。
「紹、あなたもそうなる前に、身を慎んではいかがですか? 私と一緒に富春に帰り、静かに暮らしましょう」
「そうですね。どうするのがよいのか、よく考えたいと思います。ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「あなたはまだ子供なのですから、それは仕方ありません。しかし母を泣かすことのないよう、心に留めておいてください」
「はい」
それからしばらくは、孫権からの呼び出しもなかったので、俺は建業にいる知人を訪ねていた。
「こんにちは、甘寧さん」
「おう、御曹司、久しぶりだな。しかしなんでまた、こんなとこにいるんだ?」
「孫権さまから呼ばれたんですよ」
「……ああん? それはちっと、きな臭いな」
ここで甘寧が顔をしかめたので、話を振ってみる。
「やっぱり、そう思いますか? 何か事情って、分かりませんかね?」
「う~ん、なんか周瑜さまと御曹司を、引き離せって声が出てるらしいな。周瑜さまが御曹司を旗頭にして、独立する可能性があるってんだ。馬鹿馬鹿しい」
「それって、出処はどこです?」
「さあな。大方、程普とかあの辺じゃねえか?」
「ふ~ん、はっきりはしてないんですね?」
「ああ、あくまで噂だからな」
その後はたわいのない話をしてから、今度は魯粛に会いにいった。
「こんにちは、魯粛さん」
「おお、これは孫紹どの。ご活躍は耳にしておりますぞ」
「いえいえ、周瑜さまたちのおかげですよ」
「フフフ、まあ、そういうことにしておきましょうか」
意味ありげに笑う魯粛に、質問をしてみる。
「ところで、さっき甘寧さんから聞いたんですけど、私を周瑜さまから引き離すべき、という声が上がってるらしいですね?」
「……ふむ、たしかに私も聞いたことがありますが、それが何か?」
「その出処って、分かりますか?」
「さて。いかにも程普どのが言いそうな話ですが、実際には分かりませんな」
「やっぱり……」
俺が少し考えこむと、魯粛が不思議そうに問う。
「何か、懸念がおありですかな?」
「ええ、まあ……ひょっとしてこれも、曹操の離間策なんじゃないかと」
 




