16.益州南部の統治計画
建安16年(211年)8月 益州 巴郡 江州
孫劉連合による益州取りが一段落すると、益州南部の統治に関する会議が開かれた。
その顔ぶれはこんな面々だ。
益州牧:孫郎
文官:孫紹、張松、董和、李恢、法正、董允、費禕、蔣琬
武官:黄忠、孟達、呉懿、黄権、厳顔
ちなみに俺は治中従事ではあるが、れっきとした孫一族なので文官のトップ的存在だ。
さらに黄忠も中郎将に任命され、武官のトップとなっている。
「それでは今後の益州南部の統治について、打ち合わせをしたい。何か意見があれば、遠慮なく言ってくれ」
孫郎の仕切りで始まったが、みんな遠慮して口を開かないので、俺が口火を切った。
「それでは私から。まず我々がやることは、益州南部の治安を回復し、徴税能力を取り戻すことにあります。しかしそれだけでは、領民の信頼を勝ち取ることはできません」
「領民の信頼など、別に勝ち取る必要はないでしょう」
すかさず異議を唱えたのは、合流したばかりの張松だった。
他の益州組も怪訝な顔をしているので、俺は分かりやすく説明をする。
「そんなことはありません。民の協力なくしては、真に強靭な領地にはなりませんからね。今後、中原を押さえる曹操に対抗していくには、必要なことなのです」
「……なるほど。我々にもそのような視点を持てということですな。しかし信頼を勝ち取るには、どのようなことが必要でしょうか?」
「まず主要な豪族の財産を調査し、もしも脱税や兵役逃れをしているならば、処罰します」
「な、なんですと!」
「そんなことをしたら、反乱が起きますぞ!」
「せっかく戦が終わったのに、また騒動を起こすつもりか?!」
益州組の人たちが、一斉に反対してくる。
しかし俺は冷静に説明を続けた。
「別に全てを処罰するわけではありませんよ。特に悪質なのを、いくつか処罰すれば、残りは恭順してくるでしょう。もちろん命令に従わない場合は、武力で制圧します」
「な、なんと過激な……本当にそのようなことをやるのですか? 孫郎さま」
ここで張松が問いただせば、孫郎が肩をすくめながら答える。
「今後の方針については、孫紹とよく話し合ってある。その点について彼の言うことは、俺の言葉とほぼ同義だと思ってもらって構わない」
「し、しかしあまりにも乱暴すぎますぞ」
「そうか? すでに荊州でも同じようにやっていて、ちゃんと成果は上がってるぞ。大丈夫、最初はガツンとやるが、その後はちゃんと税の減免をちらつかせて、交渉するから」
「そ、そういう問題ではっ!」
なおも抗議しようとする張松を、今度は蔣琬が押さえた。
「まあまあ、張松どの。これぐらいで驚いていては、体が持ちませんぞ。なにしろ益州南部には、南蛮西南夷という異民族を抱えているのです。これらへの対処こそ、重要な課題と言うべきでしょう」
「そ、そうだ。蛮族どもの脅威がある中で、豪族の粛清なぞできません!」
「そうです。ここは一致団結して、蛮族に当たるのがいいでしょう」
「しかりしかり」
張松の言い分に、今度は董和や呉懿まで便乗しだした。
彼らは従来のやり方で、そこそこに甘い汁を吸ってきたのだろう。
しかし益州組のはずの法正や孟達は、むしろ賛成してくれた。
「本格的に蛮族に対応するからには、その前に豪族を引き締めておくのは賢明でしょう。別に豪族を根絶やしにするわけでもなし、よいのではありませんか?」
「そうですな。南部の治安を良くするには、綱紀の粛清は必須です。ぜひ私にも、部隊を率いさせてほしいものです」
「法正、孟達!」
張松らがとがめるが、法正と孟達は平気な顔をしている。
彼らは中原から移住してきたものの、劉璋に重用されず、不遇をかこってきた。
どうやらそれを取り戻そうと、はりきっているらしい。
俺はそれを頼もしく思いながら、さらなる方針を示す。
「豪族や蛮族の取り締まりと並行して、流通網の整備も進めましょう。水路や道路を整備して、都市間の連絡をよくします。労役に参加した領民には、対価として銅銭を支給し、貨幣経済も活性化させたいですね」
「な、労役の対価ですと! そんなことをすれば、領民がつけあがりますぞ」
「そうです。領民なんぞ、ただでこきつかえばいいのです」
またまた抗議の声が上がる中で、法正が興味を示す。
「ほほう、貨幣経済を活性化させるとは、おもしろいですね。たしかに最近は戦争や失政のおかげで、領地が疲弊しています。そこに多少なりと銭を出せば、民も喜ぶことでしょう。どうやら孫郎さまや孫紹さまは、先を見据えているようですね」
「ぐぬっ、それでは我々が、何も考えておらんようではないか。失敬だぞ、法正」
「これは失礼しました。しかしこの程度のことも分からないようでは、そう言われても仕方ないのでは?」
「法正っ!」
今度は益州組の中でにらみ合いが始まったので、止めに入る。
「法正どのが言うように、我々は先のことを見据えています。単純に税をしぼり取るだけでなく、民の疲弊をいやすこともまた、政治でしょう。そのためには徴税方法も、見直そうと考えています」
「ほう、具体的にはどうされるのですか?」
「田租(土地税)や人頭税の現物納入を認めると共に、人頭税の一部を戸別の布帛納入に切り替えます。中原で曹操がやってることなので、それほど無理はないでしょう」
「なるほど……それは民としては、助かるでしょうな」
この時代、農民にとっての納税は、作物を売って、銭で納入するのが一般的だった。
しかし農民は商人や豪族に足元を見られ、農作物を買い叩かれる状況が多発してしまう。
そんなこともあって農民は生活が立ち行かなくなり、流民化するという悪循環が発生していた。
そこで曹操は農産物や家畜、布類の市場取り引きルールを周知させ、現物による納入を復活させた。
またそれまでは人別で徴収していた人頭税を、戸別に布類で納入できるようにもしている。
これは豪族に吸収された私有民を把握しきれないので、戸別管理に切り替えた妥協策である。
これらの現実的な徴税方法により、曹操は華北の経済をある程度、建て直すことができたのだ。
益州は中原ほどでないが、董卓がらみの騒動で経済が混乱している。
そんな状況で従来の統治方法を踏襲するのは、あまり現実的でないだろう。
そう思って、その後もいくつか改善策を提示してみたが、張松たちは不満そうだった。
しかし法正や孟達は乗り気だったので、今後は彼らを中心に進めることになりそうだ。
いずれにしろすぐには成果を出せるものでもないので、年単位で進めることになるだろう。
俺も勉強のつもりで、いろいろ試させてもらおう。
ここで十分な成果を出せれば、俺の権威も上がるんじゃないかな。




