13.劉備との会談
建安15年(210年)2月 荊州 武陵郡 漢寿
俺たちは議論の末、劉備に益州の共同攻略を持ちかけることにした。
そこでまずは秣陵へ蔣琬を遣わし、孫権に上申してみたのだが、事前に魯粛に相談していたこともあり、あっさりと承認は下りた。
かくして俺と孫郎は蔣琬を伴い、劉備に会いにいくことになる。
「久しぶりだな、劉備どの。今日は折り入って相談があって来た」
「ああ、久しぶりですな、孫郎どの。しかしその相談とはいったい、どのような話かな?」
「うむ、我が兄 孫権さまは、曹操から漢の正統を取り戻すため、益州の攻略を望んでいる。聞けば劉璋は、益州の統治に失敗した咎で、朝廷から呼び出しを受けているそうだ。劉備どのには同盟者として、その攻略に手を貸してもらいたいのだ」
すると劉備は最初、驚いていたが、やがて申し訳なさそうな顔で拒否を口にする。
「……私も劉璋どのも、漢の宗室の流れをくむものとして、漢朝の再建を目指しています。今、劉璋どのに罪ありと言われ、私も身がすくむ思いですが、彼を攻めるなどは思いもよらぬこと。なにとぞ、かようなご提案は辞退させていただきたい」
「ほう、劉璋が漢朝の再建に動いていたとは、初耳だな。しかしそうか。劉備どのが協力してくれないとなると、我ら単独で動くしかないな。その場合に分け前はないが、それでもいいのかな?」
そう言って孫郎が脅すと、今度は憤然と言い返してきた。
「いいえ、同族が襲われるとあらば、私も座視はできません。敵わないながらも、お止めする所存です」
「なんと! 劉備どのは共に戦った我らよりも、会ったこともない男を優先するというのか? それも朝廷に呼び出されているような罪人を!」
孫郎が大声で確認すると、劉備はさすがにひるんだ。
おそらくそこまで強気に出るとは、思っていなかったのだろう。
するとすかさず、諸葛亮が助け舟を出した。
「お待ちください。劉備さまは劉璋どのだけでなく、そこに住む民のためを思って、無法を止めたいと言ったのです。しかしそちらの考え方しだいでは、互いに協力することも、不可能ではないでしょう」
「諸葛亮、しかし……」
話が違うといった顔で抗議する劉備を、諸葛亮が”ここは任せろ”といった目つきで黙らせる。
「コホン……仮に、仮に我々の協力で、益州が取れたとします。その後の益州の統治体制は、どうなるのでしょうか?」
「それについては、俺がお答えしよう。ああ、俺の名は蔣琬だ。今は周瑜さまの下で働いている。それで仮に益州を攻略できたなら、その時は漢中の守りを、劉備どのに任せたいと考えている」
「ほほう、漢中の守りを……それ以外の郡はどうするおつもりで?」
「他はそれぞれの働きに応じて分配だな。基本的に劉備どのには、益州の北部をまとめてもらいたいと思っている」
「ふうむ……」
蔣琬の説明を聞きながら、諸葛亮が目を細める。
基本的に、悪くないと思ってる雰囲気だ。
しかしさすがに、そのまま話を受けたりはしない。
「なかなか魅力的なお話ではありますが、やはり劉璋どのを裏切る理由にはなりませんな。なにしろ劉備さまは、漢朝の再建を掲げて、戦っているのです。劉璋どのとは、協力するべきでしょう」
「ふ~ん、そうかい。俺たちだって、漢朝の再建を目指してることに、変わりはないんだけどな。まあ、協力できないってんなら、俺たちだけでやるしかないな」
「あいや、待たれよ。そう結論を急がずともよいでしょう。私たちにも、いろいろと思うところはあります。今日はここまでとして、少し相談をさせてください。漢朝再建のためには、何が最もよいのか、考えてみたいと思います」
「おう、そういうことか。まあ、当然といえば当然だな。それじゃあ、今日はここまでとして、俺たちは休ませてもらうぜ。そっちは存分に相談してくれ」
「ええ、部屋を用意させますので、ゆっくりとお休みください」
こうして劉備との会談は、一時棚上げとなった。
そして別室に通されると、孫郎が心配そうに訊ねる。
「おい、大丈夫かな? あの諸葛亮ってヤツ、何を考えてるか分かんねえんだけど」
「そう、心配するなって。もったいぶってはいるが、ちゃんとこっちの意図は察してるよ。おおかた今は、いかに多く利益を得るかを、相談してるんだ」
「おそらくそんなところでしょうね。どの道、利益配分だって、すぐに決められることじゃありませんから。まあ、気楽にいきましょう」
「う~ん、そうか? 本当に大丈夫かなぁ。ていうか俺たち、暗殺とかされねえだろうな?」
大きな図体で、意外に気の小さい孫郎であった。
そんな彼をなだめるよう、俺と蔣琬が言葉をかける。
「周瑜さまが付けてくれた密偵もいるから、大丈夫ですよ。いざという時は、守ってくださいね、おじ上」
「まあ、奴らもそれほど馬鹿じゃねえだろう。俺たちはしっかりと、体を休めようぜ」
「お、おう」
その後、俺たちは食事を取り、次の日に備えて眠りについたのだ。
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グッドモーニング、エブリバディ。
孫紹クンだよ。
翌日になると、早々に劉備たちが接触してきた。
そしてまず諸葛亮が、もったいをつけながら、方針の転換を告げる。
「昨晩、いろいろと話し合ったのですが、条件によっては孫権どのの益州攻めに、協力してもよいと思っています」
「へえ、その条件とは?」
「まず劉璋どのは殺さず、それなりの待遇を約束していただきます」
「そいつは劉璋しだいだな。素直に降伏でもしてくれるなら別だが、徹底抗戦でもしようものなら、殺すしかない」
「その場合はやむを得ません。あくまで基本路線は、漢の宗室を敬いたいということです」
「まあ、それならいいだろう」
蔣琬が了承すると、劉備たちがわずかに安堵する。
自身が漢の宗室を名乗っているだけに、劉璋を殺すことから来る不名誉を、潰しておきたいのだろう。
「それから劉備さまの支配地として、漢中郡の他には巴郡に広漢郡、広漢属国と蜀郡をいただきたい」
「おいおい、いくらなんでも、それは欲張りすぎだろう」
「おや、働きしだいで領地は増えると言いませんでしたか?」
「たしかに言ったが、それにも限度があるってもんだ。少なくとも長江の流域と、蜀郡は譲れねえな」
「それは御無体な。長江を押さえられては、武陵郡との連絡に支障が出てしまいます」
「あ~、それなんだがな、武陵は飛び地になるから、益州のどっかと交換ということにしたい」
「なんと、それは横暴ではありませんか! 武陵は我らが苦労して、統治を固めた土地ですよ」
そんな感じで、諸葛亮と蔣琬がしばし、丁々発止の議論を重ねていった。
結局のところ、双方で出した兵力と、領地の生産力を数値化して、攻略時の成果も踏まえて、分配することになった。
これは俺の提案だったが、さすがは三国志の英傑たちである。
すぐに意図を飲みこんで、ルールを決めていった。
それが一段落して、実際の攻略の話になったのだが……
「現状では攻略の目処が立たないので、しばし準備期間がいるでしょう」
「ああ、俺もそれには賛成だ。益州の情報を集めつつ、内部に味方を作らないと、とてもじゃないが攻略できないだろう。そっちはどれくらい掛かる?」
「最低でも半年。できれば1年は欲しいですね」
「だなぁ。味方を作るには、最低でもそれくらいは掛かるだろう」
そう言って蔣琬が俺を見てきたので、うなずいておいた。
たしか史実でも211年ぐらいになると、劉璋から劉備に援軍要請がいくはずだ。
その流れに乗じた劉備が益州入りし、益州の兵を手なずけたりして、215年に益州を奪取するのである。
1年もあれば内応者を作り、援軍要請を出させることも可能であろう。
今後の連絡方法なども詰めると、俺たちは武陵を後にした。
こうして思った以上に順調に、劉備を益州攻めに巻きこむことはできた。
しかしはたして劉備との共同攻略は、上手くいくのだろうか?