11.荊州統治の日々
建安14年(209年)11月 荊州 南郡 江陵
ロングタイム・ノーシー、エブリバディ。
孫紹クンだよ。
豪族の締め付けをやると決めてから、約半年。
俺たちは精力的に動き回っていた。
まず周瑜は荊州牧として、州全体を統治するのに勤しんでいる。
それは防衛体制の構築であったり、統治機構の整理、そして領民の慰撫などだ。
その下では尚郎や蔣琬といった文官が、多くの私有民や土地を隠し持っている豪族を、洗い出していた。
そしてある程度、状況が判明すると、ひどいのから順に査察を掛けていった。
当然ながら、質の悪い奴らが、素直に応じるはずもない。
なんだかんだ理屈を付けて、官吏が支配地域に入るのを拒もうとする。
通常ならあまり強くも言えないのだが、そこは飛ぶ鳥を落とす勢いの孫軍団だ。
黄忠や魏延に率いられた軍隊が、強制査察に出動した。
そして抵抗する豪族を滅ぼすか、降伏させるかして、その私有民と土地を手に入れていったのだ。
ただし無法なことをやっていては、すぐ民にそっぽを向かれてしまう。
そこであくまで漢帝国の法にのっとって、罪科を裁き、兵士に乱暴なこともさせていない。
そのうえで、その処分を立て札で周知し、民への説明も怠らなかった。
またそれと並行して、盗賊の討伐や汚職の摘発も進めたので、領民の評判は上々だ。
おかげで荊州は早々に平穏を取り戻し、その生産力はすでに上向いている。
そしてそれを聞きつけた華北からの流民が、徐々に南へ流れてきているそうだ。
これを受けて周喩は、早々に屯田制と兵戸制を取り入れ、食料生産と兵力の増強に努めていた。
そんな業務を手伝いながら、俺も忙しくしていたのだが、ようやく例の者が仕官してきたのだ。
「馬良 季常にございます。以後、よろしくご指導のほどを」
「馬謖 幼常です。兄ともども、よろしくお願いします」
馬氏の白眉こと馬良だが、ついでに馬謖までついてきた。
馬謖は20歳で、利発そうではあるものの、負けん気の強そうな青年だ。
どうやら兄が仕官すると聞いて、いても立ってもいられず、ついてきたらしい。
まあ、有能なのはたしからしいので、しばらくは文官として働いてもらうことにした。
ちなみに俺はわずか10歳ながら、その働きを認められて、役職をもらっていた。
今は”主簿”という、帳簿を司る職についている。
たぶん家のコネだと思われてるだろうが、ちゃんと仕事はしているぞ。
まあ、10歳の子供に指示される大人にとっては、おもしろくないだろうがな。
一方、南陽で探してもらっていた、例のあの人も来てくれた。
「はじめまして、張機 仲景と申します。荊州の医療環境を向上させたいとのお申し出、嬉しく思います。この老骨の命つづくまで、医道を広める所存」
「高名な張機先生にそう言っていただけるとは、感激です。どうか我らに、力をお貸しください」
そう、後漢の名医の1人である、張機が誘いに応じてくれたのだ。
彼は長沙で太守を務めていたこともある名士だが、今は故郷の南陽に帰って、医療書を執筆していたらしい。
そんな彼の書物は「傷寒論」として後世にも残るほど、有名なものだ。
ちなみに傷寒とは、チフスやインフルエンザなどの感染症を指すもので、この時代では大きな脅威だった。
張機はその治療にも通じているので、彼には多くの弟子を育成してもらって、病人を減らしたいと思っている。
呉の重臣でも、けっこう病で早逝してる人は、多いからな。
何より、周瑜の寿命を延ばすには、欠かせない人材なのだ。
俺が思うに、周瑜が早逝したのは、江陵攻略で矢傷を受け、体力が落ちていたところに、病を得たからだと思う。
この世界では、江陵での負傷は回避してるうえに、医療体制まで整えれば、なんとかなるんじゃなかろうか。
まあ、歴史の修正力とか、あるかもしれないので、油断はできないけどな。
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建安14年(209年)12月 荊州 南郡 江陵
「それで、劉備の様子はどうなのですか?」
「うむ、さすが太守を望んだだけあって、無難に統治しているようだ。それどころか異民族の討伐によって、兵力を増やしているらしいぞ」
「そうですか……」
劉備の近況が分かったというので、周瑜からその内容を聞いていた。
どうやら諸葛亮は順調に武陵を運営し、領民を手懐けているそうだ。
さらに俺たちの真似をして、豪族を粛清するだけでなく、異民族の討伐にも熱心なのだとか。
おかげで領民からの受けもよく、しかも捕らえた異民族を吸収して、兵力まで増やしているという。
さすがは劉備と諸葛亮である。
すると龐統が、過激な言葉を口にする。
「劉備ほどの梟雄が、すぐ横で力を増しているというのは、あまり気持ちのよいものではありませんね。いっそのこと、潰しますか?」
「一応は同盟者なのだ。それなりの名目がなければ、言い訳が立たんぞ。領民にも慕われているとなれば、なおさらだ」
「そうなんですよねぇ。厄介な存在だ」
周瑜に否定された龐統が、面白くなさそうにぼやく。
実際問題、劉備の存在は厄介なのだ。
彼にはそれなりの人望と戦力があり、味方でいてくれる限りは頼もしい。
しかしあれほどの男がいつまでも、孫家の下風に立っているはずもなく、いずれ袂を分かつのは明らかだ。
かといって安易に始末するのは、今の時点では難しい。
いろいろとやりにくい相手なのだ。
すると今度は、蔣琬が口を開く。
「それなら共同で益州を制圧して、あっちに移ってもらいますか? それぐらいの同盟者がいれば、曹操にも対抗できるでしょう」
「う~む、相手が信頼できるのであれば、それも手なのだがな。それにどうせ、領地の分配で揉めるだろう」
「ですなぁ。領地の分配で揉めて関係が悪化したら、同盟も怪しくなりますか」
その案は史実の三国鼎立の状態に近いのだが、そう簡単に実現できるとは思えない。
共同で出兵したら、成果の分配で揉めるだろうし、そもそも上手くいく保証だってない。
しかし俺は、あえてその案を推すことにした。
「まずは共同の益州攻めを、劉備に提案してみませんか?」