8.荊州で人材探し
建安14年(209年)4月 荊州 南郡 宜城
荊州で人材を探す許可を得た俺は、さっそく動きはじめた。
その手始めは、今いる宜城県だ。
俺は孫郎に付き添ってもらいながら、街に出て名士の噂を集めた。
するとさして掛からずに、お目当ての人物の噂を聞くことになる。
「そりゃあ、ここらで優秀な方といえば、馬氏の5常よ。5人兄弟そろって秀才の誉れが高いんだが、中でも白眉さまは飛び抜けてるってな」
「白眉さま、ですか?」
「ああ、馬良さまのことだが、眉毛に白いのが混じってるってんで、白眉と呼ばれるんだ」
「なるほど。その馬家は、どこにあるのですか?」
「ああ、それなら――」
こうしてあっさりと馬良を見つけると、さっそく彼の家に押しかけた。
俺だけだと門前払いだったろうが、孫郎が上手いこと取りなしてくれた。
まんまと家の中に入れてもらい、馬良と対面したのだ。
「はじめまして、私は前の討逆将軍 孫策が嫡子、孫紹 伯偉と申します。こちらにいるのは我が叔父の、孫郎さまです」
「孫郎だ。俺はこいつの用心棒に過ぎないから、気にしないでくれ」
「は、はぁ……馬良 季常です。孫紹どのと孫郎どのは、孫権どのの家臣でよろしいのですよね? 本日は一体、どのようなお話でしょうか?」
俺のあいさつに戸惑いながらも、馬良がなんとか気を取り直し、質問を放つ。
今年23歳の馬良は、ほっそりとした体躯に、聡明そうな顔立ちを持った青年だった。
噂どおりに眉毛に白いのが混じっているが、それも彼の特別さを際立たせるようだ。
「率直に申しますと、我が孫家は優れた人材を求めております。そこで秀才の誉れたかい馬良どのに、ご協力いただけないかと思ってまいりました」
「はぁ、それは光栄ですが、私のようなものがお役に立ちましょうか? 私なぞは多少、学問に通じている程度の、青二才に過ぎませんが」
「これはご謙遜を。馬良どのの才覚は、市井にも知れ渡っておりますよ」
「いえ、それほど大したものでは」
俺が持ち上げようとしても、どうにも馬良の反応が悪い。
その理由には想像がついたので、率直に訊ねてみる。
「ふむ、馬良どのは、我が孫家の勝利が、長続きしないとお考えですか?」
「い、いえ。けしてそのようなことは……」
どうやら図星のようだ。
大方、家族にでも注意されているのだろう。
ならば俺たちに味方したくなるよう、仕向けてやろうじゃないか。
「コホン、突然ですが馬良どのは、現在の中華の情勢を、どのように見ておいでですか?」
「……はて、私のような非才の身には、とんと見当もつきません」
「ご冗談を。それならば先に、私の見解を聞いていただきましょう。まず曹操は袁紹一党を打ち破り、中原に覇を唱えるようになりました。手元には天子さまも擁していますし、その権勢は並びなきものと言ってよいでしょう」
「……まあ、そうでしょうね」
ここで様子をうかがうと、馬良も渋々うなずく。
「しかしその実態はといえば、天子さまをないがしろにし、漢朝の政治を壟断する簒奪者です。そのため中原にも多くの敵を抱え、その勢力は決して盤石ではありません」
「……そうなの、ですか?」
「ええ、もしも盤石であれば、我が孫家など、ひとたまりもなかったでしょう。しかるに我が軍団は、赤壁にて曹操の大軍を打ち破り、こうして南郡の大半を制圧しました。少なくとも我らは、偉大なる長江を拠り所にするかぎり、曹操にも対抗できるのです」
「ふうむ……たしかに現状は、そのようですね」
馬良は肯定しつつも、まだ疑わしそうだった。
そんな彼の自尊心を、少しくすぐってみる。
「しかし我が孫軍団には、周瑜さまや程普さま、黄蓋さまや甘寧さまといった勇将は多いものの、彼らを支える智謀の士が少ないのが実情です。もしも馬良どののような、賢人に参加していただければ、さらなる飛躍も可能だと思うのです」
「ふむ、なるほど……」
上目遣いに見やると、彼は少し真剣に考えてから、口を開いた。
「貴殿のお話は承りました。しかし残念ながら、今ここで答えを出すわけにはまいりません。当面はあなたたちの統治の様子を見せていただきながら、家族と相談したいと思うのですが」
「それは当然でしょう。ただしあまりに様子見が過ぎると、好機を逃す場合もあることはご理解ください。情報が少ない中で、我が孫家に賭けていただいた人ほど、信頼に値しますから」
「ご忠告、肝に銘じておきます」
「今日はこのような若輩者のお相手、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、興味ぶかいお話を聞かせてもらいました。帰りはお気をつけて」
こうして馬良との初対面は、成果もなく終わった。
すると帰り道の途中で、孫郎に訊ねられる。
「紹、あんな誘い方でいいのか? もっと脅しをかけても、よかったんじゃねえか?」
「そんなことをしたら、逆効果ですよ。優秀な人だからこそ、見限られないようにしないと」
「そんなもんかねえ」
その後も宜城で何人かの賢人を訪ね、誘いをかけてみた。
しかし誰も言葉をにごすだけで、すぐに仕官してくる者はいない。
俺はそんな状況を、周瑜と魯粛に報告した。
「ふむ、さすがにすぐには、なびいてこんか」
「ええ、しかしその一方で、誰も明確に拒否はしませんでした」
「つまり、我らの統治手腕いかんでは、服従してもよいということだな?」
「はい、そのように見受けております」
「なるほど。であればこの町には、気の利く者を置かねばならんな。呂範でどうだろうか?」
「良いと思います」
「呂範どのであれば、上手く治めてくれるでしょう」
一見すると無頼の徒に見える呂範だが、文武に通じ、法をしっかりと守る知将である。
彼ならば、この宜城を上手く統治してくれるだろう。
ここで俺は周瑜に、お願いをしてみた。
「ところでおじ上。南陽に人をやって、探していただきたい方がいるのですが」
「ほう、それは誰だ?」
「前の長沙太守だった、張機どのです」
「張機どのか。名前ぐらいは聞いたことがあるが、どのような御仁なのだ?」
「聞けば張機どのは、医術に明るいそうです。我が軍も慢性的に病人を抱えているので、それらへの対策が必要だと思うのです」
「ふうむ、たしかにそれは否定できんな。前の大戦も、敵の流行り病に乗じたところがある」
張機といえば、この後漢末期において、華佗とならぶ名医として知られる人物だ。
すると魯粛も話を合わせてくれた。
「そうですな。たとえどんなに勇将を抱えていても、病には敵いません。少しでも備えをしておくことは、今後の戦いに有利となるでしょう」
「そうだな。よし、私の方で南陽へ人をやろう。そして可能であれば張機どのを江南に招き、医術を広めようではないか」
「ありがとうございます、おじ上」
「何、我らのためになることだ。それにしても孫紹は、いろいろ考えているのだな」
「いえ、それほどのことは」
実をいえば、張機を呼ぶのは、周瑜に長生きしてもらうためなのが大きい。
周瑜以外にも孫呉で早死にする人は多いので、医者は役に立つと思うのだ。
さて、次は南部に行って、また人材を探そうかな。
孫紹のあざなも不明なので、適当にでっち上げました。