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幕間: 劉備クンは当てが外れた

建安13年(208年)12月 荊州 江夏郡 夏口城


 俺の名は劉備 玄徳。

 一度は徐州牧となり、左将軍も務めた男だ。

 しかし呂布や曹操に徐州を奪われ、その後、紆余曲折を経て、荊州へ流れてきた。


 幸いにも荊州牧の劉表に気に入られ、客将として新野を守っていたんだ。

 しかし劉表がおっ死んだと思ったら、いきなり曹操が荊州に攻めてきて、制圧されてしまう。


 俺は仕方ねえから、交州にでも落ち延びようと思っていたんだが、江東の孫権から同盟を打診される。

 そこでこれ幸いと同盟を組み、共同で曹操に当たることになった。

 しかし蓋を開けてみれば、孫権も3万しか兵を用意できないと言うじゃないか。


 これはちょっとやばいと思ったんで、俺たちは後方で待機することにした。

 万一、大負けでもしようものなら、とっとと見捨てて逃げだすつもりだったんだ。

 ところが周瑜ひきいる孫権軍が、赤壁で大勝ちしたっていうじゃねえか。


「驚いたな。20万以上の敵を、蹴散らしたそうじゃねえか。これなら俺たちも、前に出て戦功を稼いどくべきだったな」

「ここまで大勝するとは、誰にも予想できなかったのですから、仕方ありませんよ。それよりも、今後の戦いで巻き返せばいいのです。できれば荊州の南部を、実効支配したいですね」

「ああ、そうだな。まだ戦は終わったわけじゃないからな」


 俺の愚痴を、諸葛亮が慰めてくれる。

 こいつは本当に頭の回転が速くて、頼りになる男だ。

 徐州でも、彼が力を貸してくれてたら、呂布なんかに負けなかったのに。


 いや、それこそ愚痴だな。

 まずは目の前の戦いに集中して、領土を切り取ってやろうじゃないか。

 そしていずれは益州まで、手に入れてやるんだ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


建安14年(209年)2月 荊州 南郡 江陵


 しかし孫権軍の強さは、想像以上だった。

 奴らは5万もの兵力を投入し、ほんのひと月ほどで江陵を攻略してしまう。

 俺たちも一緒に戦ってはいたが、その功績は思っていた以上に少ない。


 これでは南部の実効支配など、夢のまた夢だ。

 そこで兵力の分割を提案したのだが。


「江陵周辺の状況は安定しているので、今後は兵を分けてはいかがだろうか? 今の孫軍団であれば、襄陽の制圧も夢ではありますまい。その間に、私と劉琦りゅうきどのは、南部の4郡を制圧してみせますぞ」

「あいや、そのような気遣いは無用ですぞ。すでに南部4郡には孫権さまの書状を送り、降伏を促しておりますからな」

「なんだとっ! 我々に断りもなく、降伏を促すなど、勝手すぎるではないかっ!」

「降伏を促すのに、勝手も何もありますまい。我らは曹操を打ち負かし、荊州を取り戻すために戦っておるのですぞ」

「し、しかし!」


 孫権軍はすでに、荊州南部の攻略に手をつけていた。

 しかもすでに、長沙と武陵からは色よい返事が来ているという。

 これも奴らが、赤壁で大勝したがゆえの効果であろう。


 このままではあまりに旗色が悪いので、少し攻め方を変えてみる。


「そうですか。たしかに今回の貴軍の働きには、目覚ましいものがありますからな。しかし荊州の安定統治に、劉家の存在は欠かせないでしょう。そこで我らが共同で、劉琦どのを荊州牧に上奏するというのは、いかがでしょうか?」

「ふ~む、それは一考の余地がありますな」


 諸葛亮が劉琦を荊州牧に上奏するよう、提案する。

 頭さえ押さえちまえば、荊州の大部分がこちらにつくだろう。

 そのうえで力を蓄えれば。


 そう考えていたら、思わぬところから邪魔が入る。


「いや、それよりも良い案があります。俺はこちらの周瑜さまこそが、荊州牧にふさわしいと考えますね」

「誰だ、貴様? 急に無礼であろう!」

「おっと、これは失礼。俺は孫郎 公叔。孫権さまの異母弟に当たるものです」

「なっ、孫権どのの異母弟だと。真か?」

「ええ、事実ですよ」


 今度は孫権の弟とかいうのが、周瑜を荊州牧に推してきやがった。

 たしかに廬江周家といえば、揚州きっての名門だ。

 おまけに周瑜は赤壁の戦いを勝利に導いた、優秀な武将として知られつつある。

 こいつはちょっと、旗色が悪いな。


 結局、俺たちは南部制圧の主導権を取れないまま、全軍で南郡の北方を攻略することになった。

 まったく、上手くいかねえな。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


建安14年(209年)4月 荊州 南郡 宜城


 幸いにも南郡の攻略は順調で、さほど兵を損なうこともなく、宜城県ぎじょうけん邔国きこくまでの城を手に入れた。

 これ以上は相当な困難をともなうので、ここで攻略は一旦中止となり、荊州の統治を固めることとなる。

 そこで俺たちは最初、南郡の守備を要望したが、当然ことわられた。


 俺たちにそんな力はないんだから、まあ当然だ。

 しかしそのうえで諸葛亮が、郡太守の地位を要求する。


「ほう、仮に太守にするとして、どこの郡を望む?」

「長沙郡、と言いたいところですが、さすがにそれは高望みが過ぎましょう。武陵郡ではいかがでしょうか? 漢寿かんじゅさきの州都なので、劉琦さまが落ち着くにもよいと考えます」

「ふうむ、なるほど。いずれにしても我らだけでは決められぬ。孫権さまにお伺いを立てるので、しばし待っていただけるか?」

「承知いたしました。よしなにお願いします」


 よし、なんとか要望は押しこんだ。

 後は俺が武陵太守になるって噂をばらまいておけば、そうそう無下にもできねえだろ。


 このうえは武陵で力を蓄えて、いずれは益州を取りにいくんだ。

 まだまだ、これぐらいで終わりにはしねえぜ。

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