1.孫紹、覚醒する
建安13年(208年)6月 揚州 呉郡 呉県
「う~ん」
「ああ、よかった。大丈夫ですか? 紹」
「あれ、ここは……」
「あなたのお部屋ですよ。あなたは2日間も熱を出して、臥せっていたのです」
「えぇ……」
目が覚めたら、絶世の美女が横にいて、ビビったでござる。
しかも俺のこと、紹とか呼んでるし。
誰ですか~、あなた?
しかも俺の部屋っていうのも、見たことのない場所だ。
俺の部屋はどこいった?!
いや、それどころじゃなくて、なんか頭がゴチャゴチャする。
記憶が途切れ途切れというか、知らない記憶が混ざってるような。
落ち着け、俺!
フ~、フ~、フ~。
よ~し、ちょっと落ち着いた。
まずこの状況はなんだ?
え~と、何々?
俺の名前は孫紹で、目の前の美人さんは、母親の橋夫人だって?
孫紹ってたしか、三国志の孫策の息子だよな。
その母親が橋夫人ってことは、有名な大橋だろう。
孫策が皖城の攻略後に、めとったという、あの美女だ。
え、ちょっと何これ?
俺は21世紀日本で働く、平凡なサラリーマンだったんだぜ。
それがなんで、三国志世界に入りこんでるんだよ?
ちなみに俺、現代では三国志の小説をネットに投稿していた。
それも現代人が孫策に転生して、天下を取るなんて話だ。
だから三国志、特に孫呉についてはちょっと詳しいのだが、まさか俺がそんな立場になるなんて。
誰かに聞かれたら、鼻で笑われそうな話だが、俺の本能がそうだと言っている。
ふと自分の手に目をやると、それはちんまい子供の手だった。
以前の俺の手とは、比べ物にならない、柔らかくて、いかにも弱々しい手だ。
自分が何歳なのか考えてみると、数えで9歳らしい。
現代でいえば、小学3年生じゃねえか。
たしか孫紹は、30歳ぐらいまでは生きてたらしいが、いつ死んだかも分からない。
”江東の小覇王”の息子でありながら、ほとんど記録に残らずに消えたのだ。
彼の足跡として残された記録は、
”221年に孫権が呉王に封じられると、孫紹が張昭たちと共に、朝廷の儀礼を選定した”
”孫権が帝位につくと、孫紹を呉侯とし、後に上虞侯とした”
たったこれぐらいのもんだ。
張昭と一緒に朝廷の儀礼を選定した、というからには、文官として働いていたっぽい。
そして孫呉の礎を築いた孫策の息子にしては、待遇が悪いんじゃないかとも言われてる。
その原因は、武将としての才能に恵まれなかったのか、それとも戦場に出してもらえなかったのか。
あまり活躍しちゃうと、彼を主君になんてヤツが出るかもしれないからな。
いずれにしろ、今の中華は乱世であり、孫紹の立場も微妙ってことだ。
そんなんで俺、生きていけるのかな?
そんなことをつらつら考えているうちに、俺はまた眠りについていた。
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グッドモーニング、エブリバディ。
孫紹クンだよ。
なんかひと晩寝たら、ずいぶんと体調が良くなっていた。
頭の方も、孫紹と俺の意識が整理されて、お互いの記憶が分かるようになっている。
あいにくと、俺の生前の名前は思い出せないんだけどね~。
まあ、そんなことはいいや。
とにかく元気になった俺は、腹が空いていたので、モリモリと飯を食った。
そんな俺を見て、橋夫人もニコニコとしている。
それにしても、きれいな人だよな~、母上って。
大して化粧もしてないのに、芸術品のような美貌を輝かせている。
きれいに整った眉毛に、切れ長の艶やかな瞳、スッと通った鼻筋に、桜貝のような唇。
それらがまさに絶妙なバランスで、配置されているのだ。
孫策が一目惚れして、即座にめとったというのも、納得である。
しかしそんな孫策も、母上と一緒にいられた時間は少なかった。
彼女をめとった翌年(西暦200年)には、暗殺されてしまうからだ。
江東の大部分を制圧し、いよいよ荊州に手を掛けようという大事な時に、さぞかし無念だっただろう。
あいにくと孫紹はまだ生まれてなかったので、孫策の軍閥は弟の孫権に引き継がれた。
当の孫権は最初、臣下の離反や、山越賊の反乱などに悩まされたらしい。
そしてそれらが落ち着いて、また荊州に手を伸ばそうとしているのが、今の状況だ。
ところが来月あたりから、曹操が荊州制圧に動きだすんだよな。
それが有名な”赤壁の戦い”につながり、孫軍団は大勝利を得るんだ。
しかし孫呉はその2年ほど後、周瑜という掛け替えのない人材を失ってしまう。
思うに、孫呉が中原に進出できなかったのは、彼の損失が大きかったんじゃなかろうか。
そんな未来を変えるために、俺は動こうと思う。
俺は朝食を終えてから、思いきって母上にお願いをした。
「母上、私を柴桑へ行かせてください」
「紹、急に何を言いだすのです。あなたはまだ子供なのですよ。柴桑などに行っても、邪魔になるだけです」
「はい、母上。だけど周瑜おじ上に、会いたいのです。会って話したいことがあります」
「一体、どうしたというのですか?」
母上が、心配そうに眉をしかめる。
ちなみに周瑜は母上の妹の小橋をめとっているので、義理の叔父に当たるのだ。
そんな彼女の目を見つめながら、俺は偽りの理由を語る。
「……夢を見たのです。熱にうなされている時に、周瑜おじ上と見知らぬ誰かが、戦場を駆け回っている夢でした。あれはおそらく、父上だったのだと思います」
「紹……」
「父上もおじ上も、とても楽しそうでした。以前、おじ上から父上のことを聞いたときも、とても懐かしそうにしていたのが、よく分かります」
「そうでしたか……しかしそれが、どうだと言うのですか?」
母上は話の流れが見えないといった風に、さらに問い質す。
「私は気づいてしまったのです。私は今まで、孫策 伯符の息子であることから、目をそらしてきたことを」
「紹、そんなことは――」
「いいえ、母上。私はかつて、江東の小覇王とも呼ばれた父上の、唯一の男子なのです。そんな私が、安穏と平和をむさぼっていていいわけがありません。私は孫紹ここにありと、宣言しなければならないのです」
「何を馬鹿な。あなたはまだ、9歳なのですよ」
「いいえ、母上。もう9つなのです。私は動きはじめねばなりません」
実際問題、9歳で何ができるのだと、自分でも思っていた。
しかし同時に俺は、孫策の夢を継いでやろうと考えたのだ。
この江東から兵を興し、やがては中華全体に覇を唱える夢を。
孫家3代の覇業を、この手で為してやる。
以上、”それゆけ、孫紹クン!”のはじまりです。
本作は今までの”それゆけ孫策クン、孫堅クン”のシリーズものですが、それぞれに独立したパラレルストーリーです。
通常は孫策、孫堅と来たら、孫権を想像するかもしれませんが、あえて孫紹を主人公に選んでみました。
それは孫堅の長子つながりであると同時に、悲運の武将であることも大きいです。
孫紹は孫策の長男でありながら、ろくな記録も残さず、歴史に埋もれてしまいました。
そんな彼が立ち上がり、孫呉に天下を取らせることができれば、それはとても痛快な話になることでしょう。
最後まで続けられるよう、応援してもらえれば幸いです。
なお、名前の呼び方は分かりやすさを重視して、姓名呼びを基本とし、正式に名乗る時にあざなも使います。
実態とは異なりますが、そんなものだと思って流してください。
当面は1日1話で投稿していきます。