3.6. 昔取った杵柄
私にとって2010年という年を語る上で外せないのが大学受験の話題である。
前提条件として、私が通っていたR高校はR大学の系列であり、余程のことがなければエスカレータ式に推薦でそのまま内部進学できる(私のように欠席日数が多いことが「余程のこと」とされる可能性もあるが)。ちなみに、前述のようにRはMARCHのRである。推薦のときの学部は成績順に選ぶことになり毎年ドラマがある(希望通りに進学できない人がいる)が、私は理系なので行くとしたら理学部だが、ここはいつも不人気で定員割れなので希望通りに進学できる。
エスカレータ式進学ができるのは非常に便利なことであるが、その反面R大学以外への進学というのは殆ど考慮されていないから、高校で受験指導的なものは一切ない。いわゆる進学校ではないのだ。エスカレータ式進学を当て込む人々により中学受験での偏差値は押し上げられているが、その反面入学してからはある種の油断をしてしまう面があり、受験学力という物差しで見れば同偏差値帯の高校と比べると遜色する部分があるのが現実であると思う。これは、R高校が悪いというより、内部進学が主流である高校の一般的な宿命だろう。
だが、私はR大学への推薦を放棄して、他大学を受験することにした。学校側が考慮していない進路とはいえ、他大学受験する人は毎年何人かいる。しかし、大体は医学部に行くとかそういう理由で、私のようにそういう動機でないケースは珍しかった。
私の志望は、旧帝レベル以上、私立なら早慶理科大以上の偏差値の大学の工学部であった。ただ、医学部を受験する人が将来の職業まで一本の道筋を想定し、その通過点として受験をしているのに対し、私には将来に対する明確なビジョンがなかったというのが率直なところである。志望の設定も、受験するならこのラインの大学以上でないと意味がない(M大学とかC大学ではタダでいけるR大学と同じMARCHだからナンセンス、国立でも所謂駅弁大学ではあまり格好がつかない)とか、R大学には理学部はあるが工学部はないので、折角なら工学部にしてみようとかのレベルでの判断であった。一応建前上では、「技術者として就職するには旧帝以上の工学部に進むのが有利」というような理屈を捏ねていたが、真意は別のところにあった。それは、十月革命の副作用として噴出したアイデンティティクライシスからの恢復であった。
当時は既に落ち目だったとはいえ、自分で言うのも妙だが中学以来ずっと学業成績優秀で鳴らしてきた。一時的にではあるが全国レベルの実力も示したことがある。そして、十月革命、永続革命以降で価値観は変化していたものの、自信を持って対外的に誇れるもの、所謂アイデンティティとしてあるのは依然として学業成績だけであった。そうした中で、過去の栄光を取り戻しつつ自分のアイデンティティを高らかに再宣言することができるのが他大学受験による旧帝大工学部への進学であり、このアイデアは2009年の夏頃から頭にはあった。
他大学受験はR大学への推薦を放棄した上で行うことになっているから、失敗すれば浪人とか、R大学よりも偏差値の低い大学にしか行けなくなるとかのリスクがある。しかし、当時の私は留年ギリギリまで欠席日数を積み上げていたことからも分かるように、いまがよければ将来などどうでもいいという考えであった。これはリスクを過小評価し、それよりもその時点での冒険心を満たすことを優先することに繋がった。
付け加えて、ここでも科学部が出てくる。科学部では、私より上の世代は悉くR大学の理学部、あるいは文系学部に進学していたが、下の世代は他大学受験、それも医学部ではなく理工系学部を志向している人が複数人いた(実際、後に彼らの中から東工大やMITへ進学する者があった)。私は当時にあって既に自分は全盛期を過ぎた老兵だと自嘲しながらも、彼らがそういう話をし始めると思わず反応を示してしまい、不審がられることが何度かあった。私は彼らの姿を見て刺激を受け、一度は諦めたものとしていた他大学受験への誘惑に日に日に引き寄せられるようになっていたのだ。そして、日付まで覚えているが、2010年1月のある日の放課後に彼らとひとしきり話し合ったあと、内心で自分も彼らのように他大学受験をしようとハッキリと決意した。
これが、後に大きく悔やむこととなった他大学受験の決定の経緯だ。他大学受験そのものが目的化しており、明らかに手段と目的の履き違えが起きている。
科学部のG顧問は私の受験には反対していた。彼には「それよりもキャプテンをちゃんとやってくれ」とか、「R大学の理学部の推薦枠を埋めたい」とか、そういう思惑もあっただろうけど、いま思えばこの履き違えを正確に看破していたようにみえる。
また、科学部の部員の間でも、「昔取った杵柄」などと言われとんだ物笑いであった。技術的に考えても、過去の蓄積が一定程度あるとはいえ、進学校でもない高校に休み休み通っていて、高2の段階で殆ど何も受験対策をしていない落ち目の人間が、1年ばかしの勉強で旧帝大クラスを目指すというのは、一般論から言うと明らかに無謀である。私と同様に他大学受験を志向して長い間塾通いをしている彼らは、外の世界、受験のシビアな現実というものを知っているから、私の戯言はちゃんちゃらおかしかったのだろう。
他大学受験を決めたはいいものの(よくないが)、実際の動きは鈍かったというのが正直なところだ。所謂「合格体験記」的なものを書くことは全然本作の趣旨ではないし、そもそも受験勉強というものに本気で取り組んだ記憶があまりないから、もし書けと言われてもどうにも何を書いたらいいのか困ってしまう。受験勉強に関する記述はあっさりとした内容だけ書いていこう。
取り敢えず、得意科目であった数学と化学については、内容自体に興味を持っていたこともあり、「青チャート」とか「重要問題集」にある程度日常的に取り組むようにしたと思う。家で勉強するとあまり集中できないので、ファミレスやファストフード店に長居して勉強することが多かった。また、2010年の春には駿台予備校で高1の夏以来の模試を受けてみて(かつてのような圧倒的な好成績は取れないが、センター模試なので難易度的には高くなく、ある意味で受験への弾みとなった)、1年半ぶりくらいで塾に通いはじめた。多少は受験生らしい雰囲気が出て来ただろうか?
ただ、最も役に立ったのは学校の授業、特に理数系の選択科目の時間だったと思う。R高校は殆どが内部進学だから、所謂受験指導的なもの、大学受験の過去問を解説するとかはない(学校で大学受験の過去問演習をしていたのは前述の高1の数学のときだけである)。しかし、その分、化学の授業などでは実験にカリキュラムの多くが割かれていて、私にとってはこの方が楽しかった。
それに、選択科目を一緒に受講した10人くらいのメンバーはみんな私と仲の良い友人だったから、少人数で和気藹々と雑談交じりでやる雰囲気がとても居心地がよく、面白い時間だった。このメンバーの中には医学部を受験する人などもいたが、自分で言うのも何ではあるがこの中で私はかなり成績の良い方だったから結構プレゼンスを発揮していたし、実験操作やレポートの書き方などは部活で慣れているから頼りにされる局面も少なくなかった。
楽しかった話、面白かった話ばかりで、役に立った話は書けてない気もするが、実感的に知識や解法の吸収としては多くのものが得られたと認識している。教師は受験指導のプロではないにせよ概ね能力が高く教えるべきことはしっかり教えてくれたと思うし、あとは受け手側の問題だ。そうなると、塾などで殺伐とした環境の中、不安な思いをしながら勉強するよりも、友人同士で楽しい雰囲気の中で助け合い、私としては一定の活躍をすることで自尊心も満足させながら、面白おかしく勉強するほうが効率は良い、ということもある気がする。メンバーの内、受験する人は自分の意思で前向きにする人だったし、そうでなく内部進学する人は純粋にその科目への興味で選択していた人だったし、そういう意味で「やらされ感」があまりなかったことも良好な雰囲気の理由の1つかもしれない。
そして、選択科目で一緒に机を並べたことと前後して、ある1つの歴史的和解がなされたことも大変意義深く記憶している。
和解の相手は奥林氏(仮名)だ。奥林氏との因縁は深かった。中学時代に私は殆ど友人を持たなかったことは述べたが、奥林氏は例外的に当時私と親しくしてくれた人物である。そして、中2のある時期に奥林氏の誘いで、私は彼と同じ数理研究同好会という部活に数カ月だけ所属したこともある。だが、どういうわけか奥林氏は部内で私を猛烈にいじめ始め、すぐに私を部活から追い出してしまった(勿論、当時の私の人間関係に関する稚拙さも問題があったとは思うが)。それ以来、反目したまま3年以上が経過していたが、そのが突然和解を持ちかけてきたのだ。
奥林氏は医学部志望の他大学受験生で、選択科目では私と一緒に授業を受けることになる。彼からすると、十月革命、永続革命以降でだいぶ角が取れた私はもはや中学時代のような危険人物ではないし、他大学受験生として一緒に机を並べるからには、対立にエネルギーを使うよりも共に連帯したい、ということだったのだろうと思う。また、私は他大学受験生の中でも学業成績がよい方だったから、連帯することで何かしらの恩恵を取り込みたいという思惑もあったのではないかと推察する。
先方の思惑が何にせよ、私にとっては奥林氏は元々気の合う人物であったから、過去の清算が不十分であるということが全く頭を過らないではなかったが、諸手を挙げて和解に応じた。率直に言って、私にとっては本当に嬉しい和解だった。
その後、彼とはすぐに以前のように仲良くなった。学業の面での連帯も大きかったが、それだけではなかった。元より奥林氏は陽キャの典型のような人物であるにも関わらず、私が「けいおん!」を勧めたらドハマりしてしまう、などというお茶目な面もあって、だいぶ一緒に楽しい時間を過ごせた。
そして、彼は次節で大きな役割を演じることにもなるのだった。