表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新釈・私の近現代史  作者: CirHill
3. 第二共和政(2008年10月-2011年3月)
4/15

3.1. 十月革命

3章では、高1時の2008年10月から、高校を卒業する2011年3月までの期間を第二共和政と定義し、その時代について取り扱う。まだ”帝”は登場しないから共和政である。しかし、いままでの第一共和政とは思想や価値観がガラッと変わることとなった、今日までに繋がる重要な時代だ。このときに出現した新たな思想、価値観に貫かれた時代が、第二共和政なのである。


「科学部に入ってみない?」、G教諭(仮名)からそう声を掛けられたのは2008年の9月末頃だった。G教諭は化学の教師で、科学部の顧問だった。当時、私には化学の授業が大変面白く感じられ、化学に特に興味を抱いていた。もちろん試験の成績も良かった。だが、いま思えば試験の成績が良かったことの他に、実験レポートをかなり丁寧に、分量も多めにして書いていたことも目を付けられたきっかけだったのかもしれない。科学部は個々人で計画を立てて実験をしながら研究を行い、論文を書いて外部のコンクールなどに発表する部活らしい。同学年に所属している人はおらず、よく分からない部活だった。


この学校の生徒の知的水準は低いから、研究といってもせいぜい理科の教科書の巻末に載っているくらいのチャチなものだろうと思っていた。だが、試しに論文を読ませてもらったところ、予想以上にレベルが高かった。分量も多かったし、程度が高過ぎて私にも理解できない程の内容もあった。この学校の生徒がこれほどのものを作るとは、と驚愕するとともに、私は科学部に興味を持った。しかし、部活に入ると人間関係に溶け込めず、最悪の場合いじめにあってしまうようなことも予想された。多少の躊躇はあったが、とりあえず私は”お試し”入部という形で一時的に活動に参加させてもらうことにした。11月には文化祭がある。バタバタする時期ではあるが、「文化祭に参加したほうが早く溶け込める」というG顧問の声も受けて、10月半ばから活動に参加することにした。


結論的に言えば、科学部との出会いは、私にとって3つの意味で革命となった。その3つとは技術革命、思想革命、文化革命である。


科学部に入って最初に驚いたことは、高学年は勿論、私より年下の中学生に至るまで、部員の科学的知識の水準が極めて高かったことである。当時の私以上に高度な知識、大学レベルの知識を有している部員も複数あった。例えば、化学反応機構について電子雲の振る舞いのレベルで説明してくれるとかである(普通は高校では電子が粒子ではなく確率分布として存在しているという電子雲の概念すら習わない)。更に、科学技術全般に関する雑学的な知識も豊富で、話しているだけで(私のような科学好きにとっては)大変楽しかった。同年代との会話の中でこのような知的な楽しみを感じるのは私にとっては初めてのことだった。


そして、これらのことは、自分の学校は馬鹿しかいないと見下していた私にとり衝撃で、「自分は天才で周囲の人間はすべて自分よりも遥かに劣る低能」という現状認識の破棄を余儀なくされた。これが技術革命である。技術革命によって、当時は学力のみを人間の価値判断の基準としていた私からしても、科学部の部員は尊敬すべき対象という認識を持つに至り、後述の思想革命、文化革命を取り入れていくことへの下地ができた。


しかし、更に驚いたのは、彼らは高い能力を持っていると同時に、近付き易く新参者の私にも親切に接してくれたことだ。文化祭の直前の忙しい時期に、多少の科学知識はあるにせよ、部のことも何も分からず、コミュニケーション能力にも劣った、しかも高1という扱いに困る年齢の新入部員である。それにも関わらず、先輩も後輩も面倒な顔一つせず、自分の仕事を後回しにしてまで懇切丁寧に作業を教えてくれ、班の仕事に加わらせてくれた。


それまではグループワークというと大体に於いて疎外されるのが常であったから、このように仲間に迎え入れてもらえ、一緒に取り組む仕事を与えてもらえるということは、私にとって大変に画期的でありがたい経験であった。とにかく経験値が低かった当時の私の人間関係の手技はいま以上に稚拙で、たどたどしく時に不快だったであろうことを思えば、ありがたさは猶更である。


このような恩恵に浴しながらも、私はいままでの経験から、「自分が学校で友人を作ることはありえない」と認識していた。従って、科学部の人々との関係もあくまで実務上の意味に留まり、友人になることはないと思っていた。従って、部活動が終わる頃合いになるとそれを見計らい、皆が帰り始めるより数分前にこっそり実験室を抜け出して1人で帰る、ということを意識的にしていた。


しかしあるとき、それに気づいたG顧問から「皆と一緒に帰ってはどうか?」と言われ、試しに取り入れてみた。実際にやってみると簡単な話だった。溶け込むとか溶け込めないとかでなく、皆が私がその場にいるのを当たり前のこととみなして、普通に話しかけてくるのであった。つまり、実務上の関係に留まらず友人として認められる、という当時の私にとっては奇跡のようなことが当たり前のように起こった。これはいままでの私には全く望めなかった大きな喜びで、このような他者からの承認を得られたことは重要だった。科学部に私の学年が他におらず、学年での私のキャラ付けを無視してゼロベースで関係を作っていけたことも幸いしたのかもしれない。


このように、コミュニティの中で他者からの承認を得て、居場所ができていくという動きは、私の人間関係についての思想の変革をも迫ることとなった。具体的に言えば、当時の私が持っていた、「人間の価値の物差しは唯一学力だけで、コミュニケーション能力は重要ではない」という思想から脱却することとなったのである。勿論、科学部の人々は学年では普通に友人がいるので、自分に友人がいないことを正当化する為の思想である、「自分より学力の劣る人間とコミュニケーションをとる必要はない」というものも、全く覆されることとなった。


技術革命で彼らの優秀さを知った私は、思想の上でも彼らを範とした。つまり、私は彼らに学びながら、旧来の歪んだ「天才」イデオロギーを捨て去り、周囲との協調をより重視する思想へと転換していくこととなったのだ。これが思想革命である。この思想革命は、十月革命の中でも特に重要なもので、第二共和政時代の私の基本的なドクトリンを形作るものとなった。


また、サブカルチャーとの出会いもあった。当時の私は文化的なことに全然興味がなく、天才にそのようなものは不要と考えていたが、彼らは学力的に優秀であるとともに、アニメ、ゲーム、ラノベ、漫画、ボーカロイドなどのサブカルチャーに深い造詣を持っている人が多かった。まぁ要するにオタクが多かった。彼らが単なるがり勉ではないことにますます感銘を受け、同時に勉強だけに注力しても勉強で彼らに及ばない自身に劣等感すら覚えた。そして、この影響下で私もいわゆるオタク文化を摂取するようになった。これが文化革命である。


本作では文化史の記述を控えめにするとはしがきで述べたが、敢えていくつか作品名を挙げるならばアニメ及び原作小説では「涼宮ハルヒの憂鬱」、ゲームでは「東方project」あたりが重要なものである。特に、「涼宮ハルヒの憂鬱」からは主人公の生き方、考え方などから自分の人生観に対する影響も少なからず受けたように思う。


文化革命で文化的な素養に重きを置きそれを身に付けるようになったことは、後に思想革命の成果を拡張して学年でも人間関係を作っていく動きの中で、重要な役割を果たすこととなった。


それまで学年での貧困な人間関係しか持たなかった私にとって、科学部は別世界の楽園のようなコミュニティであった。そして、そのコミュニティとの出会いによって、上述したような技術、思想、文化といった多くの面に於いて従前の観念、思想が劇的に転換した。こうして、第一共和政の旧弊が取り払われ、後に第二共和政と称される新時代、あるいはよく語られるところである「栄光の高校時代」への扉が開かれる、大きなターニングポイントが形作られたのである。私はこの一連の重要な動きを、これらが2008年10月から起こったことから、1917年のロシアのボリシェビキ革命の名前を借用して、「十月革命」と呼称している。


第一共和政は今日の感覚からすると異形の時代で中世の暗黒時代のような印象があるが、この十月革命で開かれた第二共和政の時代は、いうなればそれまでとは異なる近代の始まりでもある。換言すれば、十月革命がなければ今日の私は存在しなかった、あるいはかなり醜悪な形で人生を歩んでいたとも考えられる。私にとってその後の科学部で辿る運命は数奇なものとなるのだが、それを差し引いても十月革命の歴史的意義は極めて大きく、今日に至ってもなお、G顧問や諸先輩、後輩、私を迎え入れてくれた当時の科学部の関係者には感謝の念が絶えない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ