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需要と供給のバランスで、労働賃金というものは決まると教わったはず

 ――子供の頃、学生時代、我々は需要と供給のバランスで労働賃金というものは決まると教わったはずだった。

 労働賃金とは労働の対価で、つまりは高い給料を貰っている者は、それだけ価値のある仕事をしているのだ、と。

 

 平田課長は課の労働コストをまとめた資料を眺めながらそんなことを漠然と思っていた。

 

 もっとも、社会に出る前から、それが単なる理想論である事は平田にも分かっていた。どれだけ実力のある者でも、何百倍、何千倍、下手すれば何万倍という報酬を会社から得られる程の労働はしていない。絶対に。

 だが、世の中にはそんな人間がたくさんいる。まだ日本はマシな方だが、アメリカなんかでは会社を潰した経営者が何億円、いや何十億円という規模の報酬を手に入れている場合すらあるのだという。

 なんで、そんな事になってしまっているのか? 一体、労働の市場原理はどうなっているのだろう? そろそろ、“妥当な収入”を導き出す為の新たな経済学が必要なのじゃないだろうか?

 世の中は、その学問が導き出した方針に乗っ取り、労働賃金を支払うべく努力をしていくのだ。

 いや、もちろん、“同一労働同一賃金”が進んだりと、それなりに世の中は前に進もうとしてはいるようなのだけど。

 

 何故彼がそんな事に思いを巡らせているのかといえば、給料の高い正社員の仕事がどうやら遅いらしく、たくさん残業をしているのに対し、給料の安い子会社から出向して来ている社員はそれほど残業していなかったからだった。

 仕事の早さだけで実力は測れないが、社内の評価を観る限りでは、むしろ子会社の社員の方が質は高いらしかった。

 ただし、では正社員の実力が低いとこれで判断できるのかといえば、実はそれもフェアではない。

 何故なら、正社員には“部署移動”があるからだ。

 他の部署で全く違う仕事をしてきた正社員が、ずっと同じ仕事をしている子会社の社員に勝てるはずがないのは当り前の話だ。

 恐らくは、マネジメント能力という点ならば、今でも正社員の方が実力は上のはずだろうとも思うし。

 部署特有の仕事や、特殊なスキルが必要な仕事でなければ、正社員の実力は充分なレベルなのだと思う。

 

 ――ふむ。

 「ならば、このような作戦はどうだろう?」

 

 そう独り言を言うと、それから平田課長は仕事の計画書を作り始めた。

 

 「これからは分業体制でいこうと思う。

 部署特有で、熟練度が必要な仕事については子会社の社員に行ってもらう。その代わり、正社員はスケジュール管理などのマネジメント業務を中心に行ってもらう事にする」

 

 次の日、平田課長はそのような事を月例会で発表した。

 そのようにすれば、正社員は慣れない業務に煩わされることなく、マネジメント業務に集中ができ、残業も減るだろうという発想である。

 その彼の計画は、課内で高く評価された。

 「理に適っている!」と。

 正社員達は多少なりとも不満に思っていたのだ。いくら真面目に仕事をして技能を身に付けても、何年か経てば他部署に移動になってしまうかもしれない。

 それならば、どうして懸命に技能を身に付ける意味があるのだろう?

 特に喜んだのは、まだこの課に配属されてきたばかりの海原という社員だった。彼は技能を身に付けるのをすこぶる嫌がっていたのだ。

 課長は皆の反応に満足していた。

 これで、残業も減るだろう。コストも減らす事ができるぞ、と。

 

 ――が、

 

 労働時間があまり減っていない。

 いや、長くいる正社員は、部署特有の仕事も既に充分にこなしていて、だから業務によっては子会社の社員よりもできるくらいで、それを子会社の社員に任せる為には、子会社の社員が育つのをしばらく待たなくてはいけないから、もう少し時間が経たなくては本当に効果があるかどうかは分からないのだけど、それにしても不可解な点があった。

 

 「なんで、海原の残業も減っていないんだ?」

 

 海原は慣れない仕事から解放されて、仕事の効率が上がっているはずなのだ。一体、どうしてなのだと平田課長は不思議に思ったが、それを直接本人に尋ねるのは憚られた。

 “下手すれば、パワハだと言われてしまうかもしれない”

 などと不安に思ったのだ。

 それでこっそりと海原の部下の子会社の社員に訊いてみる事にした。

 「一体、あいつはどうしてこんなに残業をしているんだ?」

 と。

 すると、子会社の社員はキョトンとした表情を見せると、軽く首を傾げ、

 「さぁ? 実は僕らも知らないんです」

 と、そう返してきた。

 「だが、あいつはもう、慣れない特殊なスキルが必要な仕事はやっていないんだろう?」

 そう平田課長は言う。

 ところが、それを聞くと言い難そうにしながら、その子会社の社員はこんな事を言うのだった。

 「――それなら、初めからやっていませんよ、海原さんは」

 ――は?

 平田課長は驚きの表情を浮かべる。

 「着任して来た時、早々に“俺はマネジメント以外は仕事をしない”って僕らに宣言して……、だから僕らも教えていませんし」

 その顔に向けて、更に子会社の社員はそう続ける。

 「ちょっと待て。なら、どうしてあいつはあんなに残業をしているんだ?」

 「だから、僕らも知りませんって」

 がしかし、そう言った後で、小声で子会社の社員はこう続ける。

 

 「たまーに、暇そうに欠伸しながら残業をしている姿なら見ますけどね」

 

 それを聞いて平田課長は頬を引きつらせた。

 つまり、生活残業か……。する必要もないのに残業代欲しさに残業をしていたんだ……

 いや、残業したいのなら、やれば良いじゃん。普通に。仕事。

 当然ながら、平田課長はそう思った。

 

 ――子供の頃、学生時代、我々は需要と供給のバランスで労働賃金というものは決まると教わったはずだった。

 そう。

 そのはずだ。

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