危惧
誰もいない砂漠に訪ねてくる者が来た。
でも残念ながら僕の周りは風に舞う砂で囲まれてるから、近くの僅かな音が聞こえるばかり。
そして言った、
「すみません。私は道に迷った者です。ここからスーリッヒという街に行きたいのです。場所を教えていただけないでしょうか」と。
僕は最初ばかり驚いたものの、平静になり答えた。
「僕はここから出られないし、あなたの言うスーリッヒという街がどの方角になるかさえ分からない。あなたの望む答えを僕はお教えできません。期待に応えられずすみません」
そう答えたのだが、暫く沈黙が続いた。
そして声の主は答えた。
「そうですか…。それなら私と少しお話をしてくださいませんか」
僕は愕然とした。ここに来る者などずっとおらず、このようにごく稀に尋ね人が来たとしても、この竜巻を見ればその脅威を恐れ離れていく者ばかりで今までそのような人はいなかったのだ。
僕は暫く黙り込み答えた。
「な、何をおっしゃってるんですか。僕はこの通りあなたから何者かも分からない。しかもこの様に異形の者なんですよ。そんな事をせず、直ちに此処を離れなさい。どんな場所でも此処よりずっと安全です」
僕は動揺を見せまいとしたのだが、少しだけ声が震えていた。
すると声の主はくすりと笑った。
「あなたこそ何をおっしゃってるんですか。私もあなたからしたら何者かも分からない異形の者なんですよ。そんなことより私はあなたともっと話をしたくなりました」
少し間をあけて言った。
「私はデイビッド・ライト。あなたの名前は」
僕は叫んだ。
「あなたは何をしてるんだ。危険を及ぼすかもしれない者に名を教えるなど。あなたは阿呆なのか」
ジャリっという音を立ててまた声の主は言った。
「そう言わず。あなたの事が知りたい。今私は座った。あなたがあなたの事を教えてくれるまでもう此処を離れないよ」
呆れた。声の主は、半ば脅し此処に居座る気だ。僕はもう何もかも諦めた。しかしそれはもうずっと昔からの事だったな。
「僕には名はない」
「そうですか」
そう言い、暫く黙った。僕は「ほら何も話すことはないだろ。もう此処を去れ」そう言おうと口を開いた時、
「それならハス…、はどうですか」
そう声の主は言った。
僕は一瞬何のことを言ってるのか分からなかった。そして暫く考え込み答えた。
「それは僕の名か」
声の主は
「そう。そうだよ」
と言った。そこで僕は疑問を抱いた。
「それは…、何故そうなった」
声の主は答えた。
「だって、あなたを囲むその砂と共に紛れた花はハスの花でしょう。だったらその名が一番あなたに相応しいものだろうと思って」
僕は先程の疑問とは別の何かが僕の中で解けた。
「そうか…。これはハスという花だったのか…」
「うん。そうだよ」
そして次は僕から尋ねた。
「それで、僕と何を話そうと言うんだ」
声の主はカラッとした笑いをした。
「さぁ…。何を話しましょうか」
また僕は呆然とした。
「あ、そうだ。あなたは何故この砂の中にいるのですか」
声の主がそう言うと僕は答えた。
「いや、それは僕にも分からない。気付いた時にはもうずっと今のままだった」
声の主は言った。
「あなたはここから出たいと思われたことはありますか」
僕は答えた。
「一度はあった。だが、それもすぐに消えた。此処は確かに他者から見たら異形で異質で寂しい所なのかもしれない。しかし僕はこの空間が好きなんだ。此処からの空は青く、晴れやかで、このハスの花は砂に紛れて入るもののとても美しい」
すると声の主は言った。
「それは見てみたいですね。此処から見ていてもこのハスの花は綺麗です。だからきっとあなたから見たらそれは美しいのでしょうね」
僕は暫く黙って言った。
「あなたは僕を可笑しいと思わないのですか」
声の主は言った。
「私はあなたを知りたいだけ。ただそれを知っただけ。私があなたを素敵だと思うことはあっても可笑しいなどとは思う事はありません」
僕の中で動揺が鎮まった。
「そうか…」
「はい」
それから声の主と暫く話し空に青さがなくなった頃、声の主は静かに言った。
「私もあなたと同じ景色を見てみたいです」
僕も静かに言った。
「もう見てるじゃないか。僕があなたを見て、あなたが僕を見て。それは同じ景色という事じゃないのかな」
声の主は小さな声で少し縋るように言った。
「それでも…、それでも。私は見てみたいんです」
僕は言った。
「ありがとう。でももう此処を離れなさい。此処にいて良い事はない」
声の主は意思を持った声で言った。
「離れません。まだ少しでもあなたの近くいられる此処がいい」
僕は言った。
「それは駄目だ。間違えてしまう前に去りなさい」
声の主は言った。
「間違えるとは何なんですか。私にはハスが何を示唆しているのか分かりません」
僕はこのままではいけないと思った。だから僕はずっと黙る事にした。
すると声の主は声を荒げて言った。
「ねぇ、ハス。何で急に黙るの」
「私を、私を…」
そう言いデイビッドの声が僕の方に近付いた。
そしてその瞬間何もかもが静まり返った。
そうだった。僕はずっと、ずっと昔にも同じような事があった。それなのに…。
僕は赤く燃える空を見上げた。