入れ替わりと認識
ドサッ
背中にそこそこの衝撃を受ける。
滞空時間はそんなに長くなかったのだろうか。体感では長く感じたが、落ちたときの衝撃は予想よりも遥かに小さかった。とはいえその衝撃に、思わず目を瞑ってしまう。
目をゆっくりと開ける。、、、すると写ったのは青空だ。
ん?空?……
俺は……あの時……
そうだ。足を踏み外して、それで優希のバックを掴んだんじゃあ……
優希はどうなったんだ?僕の上に落ちてきているはずなのに。
と、その時、僕は自分の下に何かがいることを感じる。そう本来あるべき地面ではない何かが。
ゆっくりと体を起こし、恐る恐るではあるが振り向く。
「うっ……あ……」
聞こえてきたのは少し高い呻き声。ただそれが優希のものでないことはわかる。高いとはいえ、女性の声には聞こえない。声変わりしきっていない、それでも恐らくは男性の声。
見えたのは、毎日鏡で見飽きた顔だった。
は?えっ?
どうして、僕の顔がここにあるんだ?
いや、なんで僕は僕が倒れているのを上から見ているんだ?
「つっ……ここは……」
すると、僕ではない僕が目を覚ます。
「えっ、どうして私が?」
「私」と、そんな一人称で話し出した僕ではない僕。その言葉の中には明白な疑問の光が点っている。
僕は僕の体を改めて見つめる。と、途端僕の視界の中にある服が入ってきた。制服ー特に変哲のない、一般的なものーだ。普段僕が着ている物、そして当然、卒業式の今日も着ていた物とほぼ同じ制服。だが、僕の着ている(いた)ものとは決定的に違う。
まず胸元のリボン。そして何よりスカート。
制服の違いを認識して初めて、僕はある可能性に思い至った。まさか……ね?そんなことってありえないだろう。
しかし一度思い至ってしまえば、そんな考えが僕の頭の中を占めて、改めて自分自身の体を見つめて、感じるしかない。
制服から出る指はすらっと伸びて、無駄な毛はなく美しい。スカートから出る足も同様だ。この体は……それは少なくとも僕自身の、本来の体ではなくて、そんな考えに至り、少し考え込んでしまったのだろうか。僕でない僕が、話し始めた。
「嘘、この体って……翔?」
僕でない僕が呟いたのは、僕の名前。そういえばプロローグからこっち、一度も僕の名前が出てきていなかったね。僕の名前は桜翔。そして僕の名前を呼んだ、僕の体。その前の発言は、今の僕を指していて、「私」と。そして今は本来の僕の体を指して「翔」と。
僕自身も体に異変を感じている。この体はやはり、優希のものだ。優希(と思われる)の発言と、僕の自己認識。それはある一つの明白な事実を浮かび上げさせる。それは有り得ないことで、夢だと言われた方がまだ信憑性のあるものだ。それでも僕はこれ以外に考えられなかった。
そうして僕はその可能性を確かめるべく、震える声を自覚しながら問いかける。
「もしかして、優希……?」
絞り出した僕の声に応えて、僕の体が声を紡ぐ。
「じゃあ……やっぱり、翔、なんだね……?」
僕たちは同じ帰結に至っている様だ。
「うん。僕の体に優希が……優希の体に、僕が入っているってことだよね」
「有り得ないし信じられないけれど、それしかないみたいね」
その言葉を最後に、少しの静寂がこの場を支配する。人間、あまりにも驚きすぎると声すら出ない、というのはどうやら本当らしい。信じられない超常現象に出会い、実感している。それなのに叫び声もでない。何か喘ぎ声の様な音が、声を紡ぐことすらできなくて、口から溢れ出す。
……兎に角、黙っているだけじゃあ進まない。この状況をどうにか解決する方法を考えなければ。そう考えて僕は優希に話し始める。
「えっと、こうなったのって、やっぱり落ちたからだよね」
「そうね」
「じゃあ解決するためには、もう一度落ちるしかないかな?」
「確かに、それはそうかもしれないけれど、結構な高さよ?」
そう。落ちてしまいこうなったのだから、もう一度落ちれば戻れるかもしれない。それが僕の提案したこと。それに対する優希の答えも簡単だ。確かに僕たちが落ちたところにはそこそこの高さがある。下が柔らかい芝生だからといって、怖さを感じないと言えば嘘になるだろう。頭から落ちなければ死ぬしような高さではないし、骨折だってしないと思う。それでも自分から落ちるとなると、少し躊躇するような高さだった。
ただ、僕たちは元に戻る必要がある。このまま暮らしていくわけには行かないからね。そう考えると、このくらいの高さなら許容できるはずだ。
「確かに。でも大怪我するような高さではないから」
優希(体は僕)が少し考えるそぶりを見せる。本質的な恐怖は消えない。仕方のないことだ。それでも、やがて覚悟を決めたような顔をして、
「わかった……戻らなきゃいけないものね」
力強く頷く。すると立ち上がって先ほどまで歩いていた道に戻る。僕もそれに続く。少し登って、僕が足を滑らせた場所に立った。
僕は優希を見て、優希も僕を見る。側から見たら、僕(優希)が僕を、優希(僕)が優希を見ている図式だが、なんだかややこしくなってきた。そんな僕たちは目を合わせ、頷き合う。
一緒に落ちなければ意味はないから、少し体を近づけて、僕たちの、二人の足が空を切る。
浮遊感。
さっきと同じ、落ちていく感覚。
心臓が飛び出る感覚。
着地の衝撃を予期して、思わず目を瞑ってしまう。
刹那、僕は背中に衝撃も感じる。
対空時間は長くない。そう高くない場所から落ちているのだから、当然だ。痛みをそれほどじゃない。
僕はゆっくりと瞼を開けた。
見えた景色はーーーー