風散見Ⅰ
風散見国、上界北東部に位置する大国。都邑として栄える丹蓮郷を首都に、王宮である蓮花ノ宮を構える。
梅ヶ崎梅吉はその朝、風のように来賓したシャマラン皇女を迎えに出ていた。クリスティーナ・ライラック。上界において唯一魔力で統治し、比類なき医術を誇る国の第一王女。闔国の民を焚き付けて父王を弑そうと画策する強かな娘。革命が起きた詳細な背景を、梅吉は未だ知らない。既にその父王から受け取っていた詔書には、「シャマランの民を殄滅し新たなシャマランを造り上げる」と綴られていた。
「先ほど、うちの待女から貴女がいらっしゃったことを聞き、詔書も受け取りました。驚きましたよ」
梅吉が出向いて心の中で衝撃を受けたことは、とても皇女らしからぬ質実剛健としたなりの、しかし並ならぬ風格を湛えた少女がたった独りで待っていたことである。凛とした白い顔を、朝焼けが荘厳に照らしている。身なりだけで見るならばこれが皇女など有り得ない、しかしこの覇気はクリスティーナ以外にいないと、初対面の年下の少女を相手に思う。
「いきなりの連絡でごめんなさいね。あなたは小姓の梅ヶ崎梅吉さん?」
頷く梅吉に、彼女は分厚い外套の懐から何かを取り出した。
「こんな服装だと誰かわからなかったでしょうね」
「ライラック王家の徽章ですか」
受け取った梅吉はそれを確認する。細かく掘り込まれたライラックの花の紋章と、目の前の少女の顔立ちから見ると間違いなく本人、クリスティーナである。彼は微笑みを浮かべる。
「一応確認はしなくてはならないので。詔書は一通り目を通しました」
朝から城の中はクリスティーナからの詔書のおかげでてんやわんやで、梅吉自身は侍女からこれを受け取った。中身にはしっかりとしたシャマラン王家の印が捺され、梅ヶ崎梅子との面会を乞う内容のみが書かれていたのである。例のジョリーからの三月革命への参戦を乞う内容の詔書には、参戦できないという旨をきちんと返信している。しかし今朝のは、皇女からということはつまり、左翼側―いや、彼らの目的を梅吉は知らないから一概に左右を断定できない。詔書には用件が明確に書いていなかったが予想はつく。梅吉としては断ることもできたが、相手方が既に到着している上に、情勢を知る手段も欲しかったので聴納した。革命への坂を転がり落ちるシャマランと、その皇女について知って損はない。出来るならば、レイダ側に付いたフローラルの動きを聞き出したかった。
「今梅子姫の所へお通ししますから、支度が済むまで応接間ですこしお休み下さい。給仕の物が参りますので」
「お気遣い感謝するわ。謁見できないかと不安だったのだけれど、直ぐにお城に上げていただけて。生憎、お手紙を書く時間がなかったわ。とんだ失礼を」
「いえ、流石にこちらとて皇女様直々に一人でいらっしゃったと聞けば門前払いなんてしませんよ」
時間が無かった―敵の動きが素早いということか。のんびり手紙を書いて、返事を待つ時間がなかった。そもそも、手紙の遣り繰りだけで交渉できずに失敗することが無いようにしたかった。そのために、身を呈してやってきた。どうあっても、クリスティーナは絶対に風散見を味方に付けたいのだと理解する。小春日和の風の吹く渡り廊下をクリスティーナを導くように歩きながら、彼女の話に耳を傾ける。「近ごろの風散見国はなかなか平和な様ですね」と、嘯いたような顔で中々本題に触れない彼女からの無難な問いかけに、梅吉は一貫した笑顔で応じた。
「先代から梅子姫の時代になりまして、随分と国も落ち着きました。数年前まではこの風散見は外国からの麻薬や危険物……そういったものが漂着してくる、閉ざされて後れた治安の悪い国でしたから」
「時代の変遷で国の趨向も変わりますものね」
言葉の端々から、梅吉は情報を拾っていく。ジョリーからの詔書には革命原因が明記されていなかった。国に都合の悪い話はどこの国王も隠匿するものだが、情報たるものは大した媒体が無くても存在する限りいずれ漏れていく。ジョセフからジョリーへの時代の移り変わりと、そこを境に上界中に漫然と流布したシャマランの衰退の噂について彼女は言及しているのだろうし、今度の革命の原因も父王の統治にあるに違いない。客間に通すと、果して本当に興味があるのかは定かでないが、彼女は部屋に飾ってある見事な梅の枝に惜しみ無く賞賛の目を注ぎ芳香を楽しみ始めた。
「ごゆっくりなさって下さい。今梅子姫に話を通してきますので」
「梅吉さん」
去り際に呼び止められて、梅吉は後ろを振り向く。
「なんです?」
「梅子姫の元へお通しいただかなくても、あなたと対談するだけで話が付くと思うんですけれどね」
どういう意味です、と敢えて尋ねる言葉を飲み込む。尋ねるだけ間抜けだろうと彼は即座に確信した。
「風散見の国主は梅子姫で、僕は彼女を奉戴する身です。彼女の意向を仰ぐのは当然ですから」
「ええ、何でも無いわ。呼び止めてごめんなさいね」
しかしその笑顔には、半ば冷笑するような、挑発的な含みがあった。梅吉は一揖して部屋を後にする。彼の心中に、久々に、僅かな焦燥が萌じている。
一人残されたクリスティーナは、殺風景な客室の中を見渡してみた。襖は開け放たれていて、廊下には全く人気がない。シャマランの様に大きな城には卿相雲客が溢れているものとばかり思っていたが、この城はあまり家臣がいないのかもしれない。
落縁に座って勾欄に凭れてみれば、室内の梅のように、眼下に淡い白や紅が望める―風散見の国花である梅の花が乱れ咲いているのだろう。シャマランより気温の低い風散見では、この時候に梅の花が咲くと聞いたことがある。侍女がやってきて、非常に事務的な手つきで緑茶を置いて出ていった。風散見の独裁政治は凡く知れている。自らを小姓と名乗りながら摂政宛らに敏腕を振るう梅ヶ崎梅吉は階級の頂点に存在する。この城の中で、絶対的且つ圧倒的に権力を持つのは、彼と彼の主君でありある意味肩書きでもある梅ヶ崎梅子だ。結果的にこの城の家臣たちや国民は、梅子の代役として隠然と存在する梅吉に実質的な服従をする形になる。誰も目立った行動などせず、梅吉が仕掛けた糸の中で必要最低限の人間が手際よく操られている。そんな印象を持っていたが、彼らは頂点を恐れてそうしているわけでもなく、寧ろそもそもそれに疑問すら抱いていない。抗う必要がないのは、他でもなく彼らが物質的に豊かだからだ。不満がなければ、或いは些末なものであれば、現状を維持するのみである。シャマランの独裁との差はその点と独裁のもたらした結果の露骨さにしかないだろう。
何か引き摺るような重い衣擦れの音が聞こえてきた。梅吉を脇に連れ、圧倒的な存在を運んで室内に入ってきた豊かな黒髪の娘、齢十六の風散見国主、梅ヶ崎梅子。裳裾を雅に捌いて、彼女はクリスティーナと対峙する形で正座をした。
「梅ヶ崎梅子じゃ」
「クリスティーナ・ライラックです。お目にかかれて光栄だわ」
この国特有の深い黒の瞳に、物々しい十二単を纏った姫君である。クリスティーナより一つ歳上だが、いかにも箱入りといった雰囲気を醸し出している。更に、その梅子の脇で見張りでもするように鎮座する梅吉。随分と周到な管理体制の様だ。クリスティーナを見つめ、梅子は黒々とした目を僅かに細める。
「なるほど……さぞ旅路は大事だったことであろう」
「当初はばたつきましたけれど、向こうも流石に仕掛ける時間は無かったみたい。実際に敵国からいつ襲撃されるか判らない旅でしたけれどね」
確かに旅に目立った困難は無かったものの、正体を隠し襲撃を畏れながら関所を掻い潜るのには確かに精神を削られたものである。身分詐称は運が悪ければ罪に問われる。風散見に渡る人々に紛れ、深夜無事出帆できたときには心底安堵したものだ。敵国、といった生々しい言葉に、梅吉が身じろぎする。
「敵とはお父様が亡命なさったレイダのことですね」
「ええ、今日こうして来たのは主にその事についてよ。ご存知の通りジョリーはレイダに亡命し、その父と誼の深いシャンビルは彼を支持した。無論レイダからの襲撃も心配されることもあって、私はパトリシアを人質にしたわ。彼女は父との交換条件にも成りうるし、レイダからの襲撃を歯止めする効果を期待したのよ」
「で、一番の問題は、彼らが更に他の国にまで後援を求めたこと」
「その通り。風散見にも詔書を送ったらしいものね。だけれども、あんな紙切れ一枚で見事あの味方についた国が幾つかあるのよ」
梅吉は腕を組んで溜め息をつき、
「物好きですね。一体どこなんです?」
「フローラルよ」
名前を聞いて言葉を無くす梅吉と裏腹に、梅子が身を乗り出す。
「フローラルじゃと?彼の機械大国ではないか」
「ええ、これが厄介なのよ。他にも、ティリクムとボンボーヌが味方してるわ。ボンボーヌについては考慮する必要はないしティリクムは弱小で名が知れているから、実質フローラルだけが味方している形にはなるけれど、彼処があちらに付いてしまったのは本当に痛いわ」
「何故それらは国王側に付いたのじゃ」
「フローラルは理由を明白にしてないけれど、恐らく私たちに勝利することを"上界侵略"の引き金にしたり……そうね、あとから父が政権を取り戻したシャマランを翻然と潰すつもりかもしれないわ。ボンボーヌはフローラルに従うしかないし、ティリクムに関してはちょっと謎だわ」
だから、とクリスティーナは愛想よく笑う。
「あなた方風散見と同盟を組みたいの。流石にフローラルは手に負えないわ」
二人の視線が交錯する。強引で返答しがたい要求であることをクリスティーナは分かって言っている。風散見において、「政治」とは、梅吉の独裁を示し、尚且つそれに対する国民の絶対的な信頼の上に成り立っている。どんな媒介を経ても、クリスティーナが答えを聞きたい相手は只一人だった。その梅吉は比較的明瞭に返す。
「お味方したいのは無論ですが、あなた方に付いても風散見に何ができます?上界平和を護る警察の役目を風散見は負っていない。ここで僕らが協力するにしても、平和を上界に齎すことは不可能ですよ」
「それは判っているわ。フローラルが勝利してもシャマランの内紛は終わらないから埒が明かない。何度でも革命は繰り返されるし、七国しかないこの世界で一国が剰りに不安定だと上界秩序を乱すわ。しかも、勝利したフローラルが更に力を付けると風散見を脅かす存在に成りうるわね」
お互いに理解してはいる。利潤が無いと国同士の内紛に参加することは出来ない。軍隊を出すのにも金はかかる上に人も死ぬのだ。仮に国益があっても、それを理由に参戦することは不可能だ。飽くまで上界平和を謳って紛争に参加する―そうすることで国の面目は守られる。裏を返せば、国益が見受けられない場合、世界平和に貢献できないことを理由に拒むことも可能なのだ。残念ながら世界はそこまで正義に溢れてはいない。梅吉は素早く頭を回転させて慎重に言葉を選ぶ。フローラルの存在が無ければ彼は徹底して中立を保ったかもしれなかったが、あの国が上界を征服し出すのを指をくわえて見ているつもりはなかった。だが、今から焦って参戦するまででもなく、それよりか兵力を温存するのが得策だろうと彼は考えている。参戦するならば、出来るだけ面倒でない条件に持っていきたい。クリスティーナでなければ造作も無かったが、彼女の場合揚げ足を取られたりすれば尚面倒である。
「それは僕も心配していることの一つです。確かにフローラルが勝利する場合とあなた方が勝利する場合なら、後者の方が僕らとしても嬉しいんですよ。フローラルが巨大な軍事力や領土を持つと上界秩序に亀裂が入る可能性があります。既に怪しいですからね」
「そうね。先程言った通りフローラルが国王軍に味方するのも動機はグレーだわ。あの国が最終的に勝利した後、更に力をつけたあの国の軍事力を以てすれば憲章を無視した侵略戦争も可能な程になる。宣言していた通りにね。等閑視していると大惨事になりかねない」
それにシャマランは風散見の脅威にはならないものね、と心で皮肉るが、それは事実である。
「どうすれば味方していただけるかしら」
「こちらとしても平和的解決に持っていける証拠と勝算がもう少しあればお味方できるのですよ。シャマランの内紛が無くなりフローラルに一定の戦力を保ってもらえることは仰る通り上界平和に繋がります。せめてボンボーヌかティリクムか、いずれかでも黙らせることができればね」
「そうならば梅吉、クリスティーナ殿にティリクムを滅ぼしてもらってから我々が参戦したらどうじゃ?」
唐突に、梅子の唇から不穏な単語が漏れる。驚いて彼女を降り仰いだ二人に向けて、梅子は、只の箱入り娘とは思えぬ従容たる色をその顔に浮かべていた。
「それだけの実力があるならば勝算もあろう。ボンボーヌはフローラルの隣国だし軍隊に守られていて厄介じゃろうが、ティリクムは海底国家。ティリクムと戦うために海に潜るのは厄介じゃからなあ。噂によるとクリスティーナ殿は妖力をお持ちのようじゃ。水に潜るなど容易いことじゃろう?そなたにしか出来ぬ」
梅子は梅吉の意見に便乗―否、代弁した。それを嗅ぎとったクリスティーナは当惑し、更にそれを押し隠して微笑みを浮かべる。
「ええ、体力は消耗しますが可能ですよ。水は五行に属するわ」
「ティリクムの民は殺さないのですね?」
それが梅吉の答えだった。彼が言いたくても立場上言い出せなかったことを梅子が代弁し、彼はそれを承認した。梅吉としても、そうとなれば念を押しておく必要があった。ティリクムは確かに敵に回っているのだから攻撃しても非難は無いが、あの国にはほぼ兵士がいない。一般民衆まで殺害され、それを指示したのが風散見だと批判されるとしたらこれ以上の危殆は無い。逆にティリクムなど放っておいてもほぼ害は無いのだろうが、敵と名乗りを上げる以上潰さないわけにはいかない。そしてその辺りの事情は、言わずともクリスティーナは把握している。勝ったわ、と心の中でクリスティーナは快哉を叫ぶ。
「当然です。だけれど、ティリクムの双子の皇女、シェリルとキューテルは生け捕って風散見まで連れてくるわ。"上界の紛争からティリクム王家を保護する"、これが目的よ」
それを聞いた梅吉は、薄い唇に能面じみた微笑を漂わせ、
「確かに諾いました。シェリル女王をあなたが自らの手で風散見に引き渡し、それを僕と梅子姫が認めた時点で締結とします。構いませんか、梅子姫」
「勿論じゃ。気に負うことは無い、確約じゃぞ」
梅子が差し出した掌を、クリスティーナは固く両手で握り返す。
梅吉はそっと立ち上がって襖を開けた。「入ってください」と彼が声をかけると、二人の人影と、その二人に引っ立てられるように、一人の男が現れた。男のひょろひょろした手足は驚くほど震えている。無造作にこめかみを束ねた姿は落武者じみていて、その視線の定まらない薄茶色の瞳は、自らの国籍がフローラルだと怯えながら告白していた。
「元々、僕たちは迷っていました。無論お父様方に加担するつもりはありませんでしたが、その反対勢力が苦しむのを黙認して良いのか。彼らが成功した時、その血肉の対価を貪って良いのか、と」
寧ろ八割くらいはそのつもりだったのではないかとクリスティーナが疑ったことは別として、梅吉は涼しげな目元にせいぜい笑顔と呼べるような表情を作る。寧ろ酷薄な方の笑みとも言えた。
「この彼は、フローラルの脱走兵です」
男は乾ききった唇を戦慄かせて、戻りたくない、と繰り返した。梅吉は聞こえていないかのように言葉を続ける。
「数日前にこちらへ亡命してきたところを、忍たちに捕縛されたんです。彼の存在は今回の参戦には多いに役立つでしょう。フローラル軍の実態の中で生きてきたんですから。鎖国して全てを隠匿していたフローラルの軍事的な情報を提供してもらえます。生駒とでも呼んでやってください。本名は勿論違いますが、どのみち呼称なんて個体識別番号みたいなものですからね」
生駒は微弱な抵抗を続けながらふふと含み笑った。たかが外れる兆しのように唇を歪め、やけに白い歯が覗く。
「俺を引き渡す気だろ?フランチェスカの下に」
「フローラルで兵士は何をしていたの。征服のための準備かしら」
厳格に質問を試みるクリスティーナに、生駒はふらふらと首を左右に振って見せた。
「それが俺たち下級兵は本当によく知らないんだよ、一週間に三回は訳もわからず召集されて訓練を受ける。時々は国内のチンケな反逆勢力を征服するために一般市民をアサルトライフルでぼこぼこに撃つんだ。知ってるか?フローラル流国民皆兵制はほんとに文字通りなんだ。子供から老人まで」
シャマランの皆兵制は流石に子供と老人は免除である。状況の判断の付かぬ子供を、足腰の立たぬ老人を戦場に送り出す、つまり「帰って来させる」気がないのだ。そういえばジョリーは、今シャマランが結界を張っていないことをフローラルに知られるのを何より恐れていた。征服への野望を抱くフローラルに、今だとばかりに侵攻されるからである。よっていきなりシャマランが皆兵制になったことも、極力、レイダ以外の国外に漏れないように彼は気を付けていた。フローラルと味方した今でも、結局後々のことを考えてそれは隠し通しているのだろう。同様にクリスティーナもフローラルが皆兵制だとは知らなかった。「国内の反逆」とクリスティーナは重く反復する。
「そりゃあ起こるわな、あんなとんでもない女が女王なんだ。あいつが金切り声で中央から命令する、人を挽き肉にしろって……フローラルを敵に回すとそれがたんと拝めるから一度やってみろよ、俺はごめんだぜ」
そちらは、とクリスティーナは生駒を捕まえる二人を示した。どちらも和服に身を包んでいるが、瞳の色は風散見の者ではない。「うちで抱えている医者と薬剤師ですよ」と梅吉は淡々と答え、そして、「あなた方の国から五年前に亡命した者たちです」と付け加えた。クリスティーナは彼らを驚きの眼差しで見詰める。医療従事者、つまり帝国医学校出身者。しかし何故五年前に逃亡する必要が、しかもジョリーが奨励するレイダではなく風散見に逃げたのか。瞳が紫色の、つまりミルノカ国籍の青年が夏目と名乗り、彼がもう一人、青緑の瞳の中性的な感じのする方を鏡宮と紹介した。青緑―医学校に通うような貴族に稀にいる、アズレのような王族の血を分けた分家の者か。夏目はミルノカからの外国人医学生だったのだろう、そしてどちらも明らかに本名ではないのは、恐らく疚しい理由で亡命したからだ。下の名前はそれぞれ七瀬、吹雪というらしい。いかにも風散見の人間が雅な風物を適当に選んでつけてやったという印象の偽名を機械的に名乗って以降、二人ともクリスティーナとの間に妙に距離を置くように無表情で状況を眺めている。クリスティーナの喉元に色々と言いたいことが沸き上がり、泡沫のように消えていく。
「あなた方のお仲間は今や私たちの敵よ」
ぐっと圧し殺した声を出したクリスティーナに、夏目はさっと目線を寄越した。彼が医者の方だろうと何となく推測する。
「医者にかかる金はない、医者は無償で診てくれない、ってやつでしょう。五年前もその兆しはありましたが」
「パール街が襲われて、革命が起き、彼らはジョリーの命令でレイダに逃げたわ。なのにあなた方は何故五年前に、しかもここに逃げたの」
「全体的に実質的な利益ばかりを追求する医学校の体制に嫌気が差した、そんなところです。俺と彼は正規の手続きを踏まずに在学中に亡命した。医学校と王家の敵ですし、その上あなた方の敵ならどこにも居場所は無い。ここ風散見はその点逃げ込みやすかった」
想像していた理由と食い違う。夏目は全く隠そうという気も嘘をつく気も無いように、聞かれたことにさらりと答える。シャマランの医療関係者は圧倒的な富と特権と安全を手に入れられるのに、利己的な体制に嫌気が差して亡命―そんな気概の医者がいるとは甚だ信じがたい。梅吉はそんな彼らを受け入れ、この城で匿いながら宮廷付きとして雇っていた訳だ。
「彼らは有能ですよ、流石シャマランの医術と感服しました」
と、言葉とは裏腹にこれまた読経でもするような平坦な声を梅吉が出す。ただ微笑で報いながら超然と佇む梅子といい、夏目の悪意の欠片すらない淡白な応答といい、人形のように物言わぬ鏡宮といい、まるで生者と時間を過ごしている気がしなかった。ここ暫く、同じ目的のために他者と熱を分かち合うことに馴染んでいただけに余計に不気味さを覚える。唯一生を感じるのは生駒のみだ。えも言えぬどんよりとした沈黙の中、彼はずっと、何度も呟いていた。
「あそこで戦うと俺の脳が俺のものじゃないような気がしてくる。戦ってると何か大事なものが抜けて残虐な気分になる。でも後から心は背徳の罪に溺れそうになる。自殺者も鰻登りだ。ゼラは背負った爆薬に引火して訓練中に死んだ。アイルはジェット機で地面に突っ込んでばらばらになった。だけどフランチェスカは赤い炎に喰われる奴等の死骸をスコップで掃除しろと俺たちに命じたんだ、頼むよ、戻りたくない、助けてほしい」
「文学的ですね」
梅吉は全く無為に、容赦をしない性格のようだった。思わず生駒から目を背けるクリスティーナに向き直り、
「あなたと正式に締盟できた場合、細かい情報は僕が生駒から聞き出してその都度あなたに連絡します。ティリクムにいつ?」
「無論時間はないわ。私は今日中にシャマランに帰国して、うまくいけば今夜にはティリクムに発つ」
「ではこちらも早めに準備しなくてはいけませんね。良い知らせを期待していますよ」
梅吉の声に、生駒の悲痛な呻きが重なって再び沈黙が下りた。生駒を除き、誰も音を発しない。