俺の隣に傾国の美女(笑)がいるようです
——出会いは突然だった。
彗星の様に俺の前に現れた彼女。
もし君が、彼女に出会ったとしたら……
◇
行きつけのバー「月夜の雫亭」。そこのカウンターに腰を下ろしていた俺は、いつものように安いウイスキーをちびちび舐めるように飲んでいた。古びてはいるが、掃除の行き届いた店内。つやつやの木目が美しいテーブル。薄暗い店内に客は他におらず、これ幸いと仕事の愚痴をぽつぽつマスターに漏らす。城の警備員みたいな事をしているが、これがまあー大変。上司(?)はワガママで横暴だし、部下も一癖も二癖もあるようなやつらばかり。今日だってトンデモ事件があって心身ともにクタクタだった。
「俺、向いてないのかな」
「……さてね」
口数こそ少ないが人の良いこの店のマスターは、俺が弱音を吐ける数少ない人のひとりだ。撫で付けた口ひげがトレードマークのナイスミドル。静かに話を聞いてくれ、時折くれるアドバイスは的を得ている。ナッツをひとつつまみ、またちびりとウイスキーを舐めた。喉にアルコールが熱く絡みつく。ああ、癒される。この瞬間が何よりの宝物だ。
からんからん。
来客を告げるドアチャイムだ。マスターが「いらっしゃい」と声をかけると、新しく来た客は俺の隣に座った。え、他にも席あるのに俺のすぐ隣なのか。まあ席の間隔が空いているから別にかまわないけど。ちらと視線を送るとどうやら女の様だった。酒場に女1人とは珍しい。そしてその女は飛び切りの美女……という訳でもなく、まあ美人か不細工かで言ったら美人? と首を傾げながら答える程度だった。ドレスも少々古くさい。俺が採点するのもおこかがましいのだけれど。
彼女はふうっと大きなため息を吐き、注文をした。
「お酒、ください。……強いやつ」
おやおや、なんだか悩み有り気な感じだねぇ。だけど俺は他人のことに首を突っ込むなんて事はしない。自分の事で精一杯でそんな余裕はない。(こんな調子だから結婚できないのだと、上司も部下も言う。ほっとけ)俺は我関せずと自分の酒をちびちびと飲んだ。もう今日はこの一杯を飲み終わったら帰ろう。マスターは新しい客に「はいよ」と返事をし、手際良くグラスと酒を用意し始めた。
するとだ。俺の隣に座った彼女は聞いてもいないのに、いきなり身の上話を語り出した。
「私、周りの男性からとても好かれてしまうんです」
急にどうした、おい。あまりの突拍子の無さに思わず聞き入ってしまった。とても好かれるってアンタ。ううんそうだね、まあそんな事もあるかもね、状況によっては。……いやーでもどうだろー。あ、性格美人なのかも。それか極端に女が少ない職場。
「このお店は人が少ないんで、安心しました。男性が多い所だと、私の事で揉めちゃうかもしれないから」
……はい? なんとおっしゃいました? 揉める、とな。あなたの事でいったい何を揉めると言うんだい。
「この間も、道を聞かれた男性に、急に好かれてしまったんです。ありがとうって顔を赤くされて」
今すっげぇ寒いから道に迷ってウロウロしてたらそりゃ顔赤くもなるわ。ため息まじりに嘆く隣の彼女はいたって普通だ。口調から酔った様子は感じられない。隣を見るのがなんだか怖い。目の前にいるマスターも「え、こいつ何言ってんの」って顔してる。そうだよね、普通そうだよね。俺まちがってないよね。
「私、この人もかって思っちゃって。慌てて逃げ出してしまいました。みんなそうなっちゃうんです。既婚の男性からも口説かれるんです。近所の人も、職場のひとも、みんなそう」
俺は思わず、横の彼女を盗み見た。うん、普通。ちょいダサめのワンピースドレスを着ているが、取り立ててグラマラスな訳でもない。むしろ広く開いた肩や背中から見える産毛が目立つ。肌見せるんなら無駄毛の処理しなさいよ。
「ああ、私、どうして不細工に生まれなかったんだろう」
お前性格もブスじゃねえかっ! 全世界の健気な女子に謝れ! お隣さんはおよよと手で顔を覆った。本気で言ってそうで怖い。
出すタイミングをうかがっていたマスターが「お待ち」と言って、彼女にお酒を出した。すると顔をあげ「優しいのね」と言って、そのお酒をグイッと飲み干した。ちょっと待て、「優しいのね」って何。なんでマスターから奢ってもらったかの様な態度なの。さっき君が注文してたよね? マスターは仕事しただけだから!
「……今日、お城にドラゴンが来たの知ってますか。美しい女を攫いにきたんです。ドラゴンは真っ先に私を狙いに定めました。……怖かった」
おいおいおい、テメーあん時の城の女中かよ! あのドラゴン騒動ほんと大変だったんだぞ。逃げもしねーでワーキャー騒ぎやがって!
「私を守ろうと、王女様が身を張って下さいました。あの方もまあ、お美しいですからね」
ど う 見 て も 姫 が キ レ イ だ ろ 。
我が国の姫君は三国随一と言われる美貌をお持ちの方だぞ。最初からドラゴンも姫狙いだろうがよ。言っちゃ悪いがお前さんに見向きもしてなかったよ。
「近衛兵の方々が撃退されたので良かったものの……。もしまたドラゴンが襲ってくるかと思うと、不安で堪らないのです」
安心しろ、お前はドラゴンから襲われはしない。女性に対して失礼だとは思うけれど、そう思わずにはいられない。あー、そのドラゴンのせいでこっちは散々な目に遭ったっていうのに……。
「……私、自分が怖いんです。知らない内に男性を虜にしてしまう自分が。」
言っちゃった、こいつ言っちゃったよ。どうしたらそんな風に思えるの!? 超絶ナルシストで悲劇のヒロイン気取ってる奴なんて初めてだよ!! 俺もお前がとっても怖いよ!!
「誰も傷つけたくないんです。だから、私は、誰のものにもなれない。みんな、私を忘れて幸せになって欲しい……」
ある意味強烈だから忘れられない気がする。俺は呆れて隣の女をマジマジと見てしまった。眉の手入れと軽い化粧くらいはした方がいいぞ、お前。あと口周りの毛も剃んなさい。
あ、やばい。目があった。
彼女の目がクワッとみひらく。
いや、怖いから。
「……貴方は! 近衛騎士団長様!
昼間は助けて下さいまして、ありがとうございました」
がばっと頭をさげる彼女。やばい、バレた。助けたのは姫様だけどね。とは言えずに曖昧な笑顔を貼り付ける。
「どうしてこちらに? あ、……」
ちらりと上げた視線とかち合った。なに察した顔しちゃってんの。
彼女はまたがばりと頭を下げた。
なんか嫌な予感がする。
どうした、どうした? ちなみに俺はお前の事、少しも好きじゃねえよ? 分かってるよね? 目が合っただけだよね? やだもう怖いこの人。
彼女は言いにくそうに、でもハッキリと告げた。
「すみません、お気持ちは嬉しいです。とっても光栄です。……でも、受け取る事は出来ません。ごめんなさい。」
キタァーーーーーーッ! 目が合ったら好きの合図なの!? ねえそうなの!? じゃあ俺今日、国王も部下も姫もドラゴンもみーんな好きになっちゃうんだけどっ!!
「やっぱり、私はいけない女です。こんなのいちゃいけない。もう、行きますね。」
彼女はまたぺこりと頭を下げ、帰り際「逢えて良かったです」と謎の言葉を発し、店を出て行った。もう何がなんだか分からない。静まりかえった店内。互いに無言なマスターと俺。気まずい空気。俺は、残っていた酒を一気に口に含んだ。え、今の何? 俺なんで振られちゃってる感じになってんの? ぜーんぶあいつの勘違いいでしょ? 演技なの? いや、あれは本気の目だった。こわー。本当に今日ろくな事ない。マジで泣きたい。
マスターがポツリとつぶやいた。
「飲み代もらってない……」
——俺は盛大に酒を吹き出した。
◇
彗星の様に俺の前に現れた彼女。
もし君が、彼女に出会ったとしたら。
……どうか心の中で1発殴り、飲み代を請求して欲しい。
END
「見つけましたわよ団長! さあ、諦めて私の伴侶となりなさい。子供は3人作りましょうっ」
「げっ、姫!!」
ちゃんちゃん
その後、傾国の美女(笑)は「みんなを不幸にしたくない」といって職場を辞めたそうです。