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現実

ありがとうってなんだ




ふと、「ありがとう」と言われたいと思い立った。




街中で見かけた他愛ないやり取り。通りすぎていく人混みの中、財布を拾ってもらった老人が、しゃがれた声で若いサラリーマンに「ありがとう」。若いサラリーマンは「いえいえ」とだけ言って、慌てた様子でその場を去っていった。


だが俺は見ていた。その若いサラリーマンが老人の財布から紙の金を抜いているのを。

そうとも知らずに「ありがとう」なんて言って頭を下げていた老人の、どれだけ哀れなことか。


その後老人と若いサラリーマンがどうなったかなんて知らない。


ただ俺は思った。そういえば久しく「ありがとう」なんて言葉は言われてないな、と。




佐野コウジ。27歳無職。ふと「ありがとう」を求めて街を歩いてみる。




最初に見かけたのは駅前で泣いている小さな子供。声をかけて泣いている理由を解決すればありがとうと言われるかもしれない。

ただ理由を聞いてもわからにゃいじゃ困る。泣いてばかりいるニートさんにはなりたくない。わんわんわわん。


つまり却下。


次に見かけたのは怖い高校生三人に囲まれた弱そうな高校生。とびとびで聞こえてくる会話の内容から、恐らくカツアゲにあっているであろうことは想像に難くない。


ふとスウェットのポケットに手を突っ込む。出てきたのはホコリがちらちらと、ただそれだけ。


なんとなく却下。決してビビっての事じゃない。殴られたくないからだ。


その後も目をギラつかせながら街を歩いてみると、それなりに「ありがとう」を得られそうなチャンスはあった。だがどれもダメだ。


わりと面倒そうだし、簡単そうな奴は俺がどうしようか迷ってる間に誰かが解決してしまう。


ふとスマホでネット上の質問広場を見てみる。自称中学生が“人はなぜ生きているのですか?”と質問していたので、いつもなら聞き流して後からどんな答えが集まっているのかを見てみるだけだが、今日は久方ぶりに回答してみた。




“それを知る為に生きているのです。考えている暇があれば、とにかく今目の前にある問題に必死に立ち向かいなさい。そんな現実逃避じゃ何も得られませんよ。”




何事も無かったかのように無視され、なんか宗教っぽい答えがベストアンサーとして評価されていた。やっぱり聖書を引き合いに出して資料に基づいた風の答え方をしていたのが良かったのだろう。俺の答えじゃただの押しつけだもんな。


そんな風に過ごしてたら、もう夜になった。

なんとなく人気の無い住宅街を歩いてみる。


ふと公園から、高い悲鳴が聞こえてきた。それから野太い「待て」の叫び声。


なんか事件でも起きてるのか?いやぁ、流石にそれに割って入る勇気はねえわ。


なんて思って歩いてたら、突然足元でカランと音が鳴った。見てみれば鉄バットを蹴っていたらしい。何故道端に鉄バット…と思ったが、すぐに直感もした。




この鉄バットで事件に介入しろって事じゃね?




それは今まで見てきたありがとう候補の中で一番簡単にありがとうを言ってもらえることの気がした。この鉄バットを持って公園に行き、悪そうなほうを殴る。ありがとうと言われる。やっぱり一番簡単だ。


だから俺は鉄バットを手に、一目散に公園に向かった。わずかな街灯に照らされた公園は薄暗いが、一人の少女が中年らしき男性に追われているのは見てとれる。


少女のほうは高校生だ。俺が高校生だった時に毎日眺めていたのと同じブレザーの制服を着ている。あの時もうちょっと頑張ってればなぁなんて感傷に浸りたくなったが、慌てて我に帰る。




今すべきことはそうではない。




そう、俺は久方ぶりにありがとうを言われたくてやって来たのだ。遊具を盾に上手く逃げ回る少女と追う中年男性。中年男性のほうはすっかり息が上がりきっている。


ジャングルジムを挟んで両者が右に左に体を揺らして互いの出方を伺っている。その隙に一発ガツンと食らわしてやった。俺は逮捕された。




どうやら二人は親子だったらしい。家出中の父親と娘。父親がついに娘を見つけて追いかけ回している最中に、俺はいらぬ介入をしてしまったそうだ。


父親は脳に強い衝撃を受けて植物状態となったが、生前からの希望で心臓を重病患者に移植し、完全に死んだ。これって俺が殺したことになるんだろうか。あの状況が生み出した事故とも言えるのではなかろうか。


とにもかくにも傷害致死で有罪判決を受けて早数年、釈放された俺は街中でまたありがとうを求めていた。


今度はちゃんとありがとうの元に真摯に向き合う。泣いてる女児に声をかけては不審者に間違われ、カツアゲに割って入っては代わりに殴られ、他にも何かとあってズタボロになったが誰もありがとうを言ってくれなかった。


なんなんだろうこの世の中は。迷子の娘を交番に連れていってやろうとしたのに迷惑そうに舌打ちされ、カツアゲから庇ってやったら真っ先に逃げられて。他にも大体似たようなもんだ。ありがとうと言わずに鳩の真似みたいに首を揺らすだけの若者のどれだけ多いことか。


いや、たまたま俺に運が無いだけの可能性もあるが。




そんなこんなで、また夜がやって来ていた。

そしてなんの因果かまた公園から高い悲鳴が聞こえてきて、また足元にカランと音を上げる鉄バットが転がっている。


ふとスマホで質問広場にアクセスすると、今日もされていた自称中学生の“人はなぜ生きているのですか”という質問には、まだベストアンサーは無かった。




“私事ですが、自分は今、誰かに「ありがとう」と言ってもらいたくて生きています。 そんなもんじゃないですかね。”




そう回答して、俺はまた、公園に向かう。相変わらず街灯に僅かに照らされた公園は薄暗く、そしてまたしても女子高生が中年男性に追われていた。


今度はちゃんと冷静にやろう。また両者はジャングルジムを挟んで右に左に体を揺らし、互いの出方を伺っている。まるであの日をやり直しているかのようだ。なんて運命的なんだろう。


まず女子高生に問う。「どうしたんですかー?」


女子高生から必死の声で答えが帰ってくる。「た、ぁ、あ、た、助けて、くだ、さい…っ!」


よく見れば少女の右手はぬらぬらと光っていた。あれは血か? ふと中年に目をやると、手にはギラギラと光る刃物を握っている。うわぉなんてこった。




「ちょ、ちょっと待ってね。今から鉄バット取ってくるから!」




「え!?」という少女の声を背に受けながら、俺は鉄バットのあった場所へと慌てて走っていく。見つけた鉄バットはすでに青年の手の中にあり、ランニング終わりとおぼしき青年は道中で堂々と素振りを始めていた。あぶねえ。


「あ、あの、ちょっと!」「はい?」


素振りの手が止まった青年の手から、鉄バットを奪おうと試みる。「うわ、なんだよおっさん!」「ちょっと貸して!」「は!?嫌だよ!」なんてやり取りをしながら、なんとか青年の手からバットを奪おうと試み続ける。


しかしすぐにバットで叩き飛ばされ、俺はコンクリートの地面に頭をぶつけて動けなくなった。


朦朧とする意識の中で女子高生の声がする。「た、助けてください!」。「え!?」と返すのは青年の声。すぐに息のきれた中年の声で、「うくく、うくくく、はぁはぁ、おいついた」なんて不気味な笑い声がして、それからコォンッ―、と、鉄バットの芯から鳴る鈍く低い金属音が人気の無い住宅街にこだました。


カラン、と落ちる刃物と、ドサリ、と倒れる中年。動けなくなった俺の前で、女子高生がふと淑やかな振る舞いでしゃがみこんだ。




「あ、あの………大丈夫ですか?」




黙って頷いた瞬間、首の後ろに激痛が走って苦痛に顔が歪む。心配そうにしながら女子高生は、「す、すぐに救急車呼びますね!」と言って、不思議がる青年をよそに救急車を呼ぶ電話をかけていた。




「あ、あの、一応ありがとうございました…。」




女子高生の恐る恐るとしたその言葉に見送られ、救急車で病院に搬送される。その後俺は脳出血のせいで下半身不随となり、車椅子生活を強いられることになってしまった。


俺を鉄バットで叩き飛ばした青年はすぐに病室に会いに来た。申し訳なさそうに「あ、あの、すみませんでした」と頭を下げられたので、「おかげでこれから働かずに済むよ。むしろありがとう、ははは。」と笑って返したら、「あ…ありがとうございます」と、呆気に取られた様子で言われた。


「ただ手の神経も麻痺してて好きにオナニーできないのは辛いかなぁ」と冗談のつもりで漏らしたら、苦笑いしながら「えっと、失礼します」とだけ言って、青年は病室を後にしてしまった。廊下からはあの女子高生との他愛ないやり取りが聞こえた気がした。「え、きもい…」「よせよ!」って。




「ありがとう、か…。」




ありがとうってなんだろう。スマホで調べてみたいけど、病院と今の身体じゃそれさえ難しい。今度のお見舞いで辞書でも頼もうか。あ、この手じゃ辞書なんて重いもの持てねえわ。


震える指先を見て、顔をしかめた。ふと目から涙が溢れる。







ありがとう‐感謝の意味をあらわす言葉。








寝る前に一時間暇があったので書きました。校正も構想もしてません。ただ青年の彼女になったであろう女子高生が佐野コウジの性処理に付き合う鬱なAVみたいな続きは浮かびました。「俺はそういう人間だ」って迷言がありますが、僕はそんな風には開き直れないです。

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