プロローグ~マーズの憂鬱~
「惑星連合会議のレポートはまとめておきました。あとで目を通しておいてください」
「ああ、助かる」
どうせ見返すことはないのにマメなことだ、と秘書のナトリに対してマーズは思った。
太陽系惑星連合総会議は、いずれ日をあらためて行われることになった。
何しろ当日にテロによる襲撃があったのだから、会議どころではない。だが、連合会議は星々の政府の威信にかけても中止にするわけにはいかなかった。ゆえに延期という最低限の体裁を保つ。
しかし、当日に爆破テロを実行し、それを許してしまうなど誰が予測できただろうか。
――とにかくあの星は今や火種の宝物庫になっている
ある程度予測していたこととはいえ、現実に起こったとなると実感せずにはいられない。
木星は太陽系随一の巨大さを誇り、それゆえに火星とは比べ物にならないほどの人口を抱え、それらの意志、主義の統一をはかれていないらしい。
内々でそれだけの諍いを行っているのだから、さぞ外交はやりづらいだろう。もっとも、それは火星でも同じことがいえるのだが。
マーズは深く目を閉じる。
会議といわれても実際のところ、お互いの星のそしりあいだ。
木星の皇・ジュピターは今回その格好の的になるだろう。マーズとしては好ましくないことこの上ない。
いや、あの場であの状況で楽しんでいる人間など、いるとするなら海王星の皇・ネプチューンだけだろう。あの男にとって人を貶めることこそがこの世でただ一つの楽しみだと面持ちであった。
「楽しかった。火遊びなどこの歳、この立場ではそうそうできぬ身であるからな」
と皮肉たっぷりな言葉を自分達に突きつけて自分の星に帰っていった。
だが、その皮肉は余裕と自信に裏打ちされた確かな実証があるからこそなのだ。
――海王星で内乱は神話、御伽話でしか聞いたことが無い。
数千年に渡るネプチューンの絶対王政による統治をその一言が物語っている。
「火遊び、か……」
「何かおっしゃいましたか?」
「いや、なんでもない。それよりリストアップはすんでいるか?」
「はい。これがそのリストです」
マーズの目の前に現れたディスプレイに妙齢の男性の顔写真がいくつか映し出される。
「この中に私の暗殺を企てている輩がいるのか……」
頭が痛い話だ。
このリストにいる人間は顔見知りとはいかないまでも、政府でいずれかの要職についている連中ばかりだ。
「特に表立って行為に及ぶ恐れのある者を選びました」
「表立ってうごきそうにない奴らはまた別にいるわけか」
ふざけて言ってみせたが、ナトリは否定しなかった。ため息をつきたくなった。
木星からの帰りの専用シャトルで憂鬱な気分にさせられる出来事ばかり、彼女から突きつけられてくる。
自分はこの生真面目で融通が利かない秘書から逃げ出したくて片田舎の宇宙空港から一人火星を飛び立ったのかもしれない、と思ってしまう。
そのおかげで収穫はあった。
――ああ、そうだった。知っておかなければならないことがあったな。
脳裏に赤髪の少女とその少女に連れ添っていた少年の姿が浮かぶ。
「ナトリ」
「なんでしょうか?」
「一つ頼みたいことがある」
「なんなりと」
そう答えるナトリに頼もしさを覚える。
「調べて欲しい人間がいる。
――エリス・マーレットという少女だ」




