第13話 地球人
「さ、早く出してください」
ミリアが操縦者に促す。
「わかってるよ、まったく誰のおかげでこの宇宙艇が無事だと思っているのか……」
操縦者のマイナ・ファインはぼやく。彼女はエリスの八つ当たりを受けた後、二人についていき、ちょっかいを出したお詫びということで宇宙艇の操縦を買って出た。二人にはその経験は殆どもなかったため、その申し出はありがたく利用させてもらうことにした。マイナの操縦のおかげで、この戦艦に侵入できた上に、二人が帰るために宇宙艇を守り抜いていたのだから感謝の一つでもしてほしい、とそう言いたかったのだ。
「つべこべ言わずにさっさと出してください」
だが、ミリアには聞き入れる耳なんてなかった。
「わかったよ……! 人使いが荒いんだから!」
マイナは文句を言ってやってから、宇宙艇を出す。開いているハッチに向かって、一直線に飛び込む。
一瞬で船は宇宙空間に出る。
「あとは火星までひとっ飛びよ」
マイナの一言でダイチ達は安堵の息をつく。
「火星……そこまでこの船は行けるのか……」
一人フルートが感慨深そうに言うと、エリスは彼女の存在に気づく。
「ちょっと、この子誰よ?」
そういえば、とダイチはまだエリスに紹介していなかったことに気づく。
「この子は……」
「私とダイチさんの子供です」
ダイチが何か言おうか迷っているうちにミリアが答える。
「はああッ!?」
エリスは驚きを露わにする。もちろんミリアは面白がって冗談を言ったのだ。
「い、いつのまにそんな大きな子供をッ!?」
「地球人には種族を繁栄へと導くために、子作りの能力が発達しているのですよ。私達祖先が宇宙に進出できたのもその繁殖力の賜物と言ってもいいという説もあるぐらいなんです」
しかももっともらしい理屈をつけて、エリスを戸惑わせる。
「そ、そんな能力が……」
「あるわけあるかッ!」
ダイチは強く言って否定する。
「違うの? 地球人ってそういうなんだかすごい能力があるって聞いたけど」
なんだか落胆したような態度をとられる。
「エリスは俺に父親になって欲しいのか……というか、すごい能力があるなんて知らないぞ俺は!」
ダイチは力いっぱい否定する。この歳で子持ちなんて冗談じゃなかったからだ。
イクミの話から地球人はその存在が謎と神秘に包まれていて神格視されていると聞いているだけに凄い能力を持っているというデマがあったとしても本気で信じられてしまうような気がするから早めに撤回する必要があった。
「じゃあ、その子は何なの?」
冗談だとわかり、エリスは改めて訊く。
「ああ、この子はな……」
「妻じゃ」
フルートが先んじて答える。
「つ、つつつ?」
エリスはしどろもどろに「つ」を連呼する。
「違うだろ、フルート!」
「何が違うというのじゃ?」
フルートは愉快げに言う。エリスはそんなフルートを指して言う。
「つつ、つまってそんなわけないわよね? だってあんたとダイチじゃ、歳が違うんじゃ」
「あ、いや、それは……」
ダイチが代わりに答えようとしたが、上手く説明できる言葉が思いつかなかった。
「地球人にはあらゆる年齢差を打ち破り、女性と男性の契りを結ぶことができる無差別婚姻の能力を持つと言われています」
「マジで!?」
ミリアはまたももっともらしいデタラメな理屈をつけ、エリスを本気にさせる。
「違うって! フルートもさっさと撤回しろよ!」
フルートはそんなことも気にもとめず、顎に手を当て考え事をしている。
「確かに年齢差はいかんともしがたいな」
それは本来幼いからこそ微笑ましく聞こえるセリフなのだが、齢千歳のフルートがそんなこと言うとなんだか本気の色を帯びていてダイチを余計に切羽詰らせる。
「いい加減にしてくれよ!」
ダイチの精一杯の訴えで場の冗談で盛り上がった空気に一区切りつく。
「妾はフルート・クリュメノス。そなた達には世話になった、礼を申す」
フルートはさっきまでの幼い少女の印象を振り払う手馴れた礼儀正しい貴女の振る舞いであった。
「これはご丁寧に。さぞ高貴なる者とお見受けします」
ミリアは一目見て、態度を改めた。ダイチが言葉を継ぐ。
「フルートは地球に行きたいんだ」
「地球に?」
エリスは意外そうな顔をしてフルートを見る。
「だからこのまま火星に連れて行っても問題無いだろ?」
「そりゃそうだけど……」
エリスは訝しげな視線をフルートに送る。
「どうして地球に行きたいの?」
「………………」
フルートは黙り込んだまま答えない。
「別にいいじゃないか、答えたくないことだってあるんだから」
ダイチは代弁する。エリスとダイチはにらみ合う。それは争うためではなく、互いの意志を確認するためだった。答えたくないことがあるってぐらいエリスだって理解している。ただ聞いてみただけに過ぎないということをダイチにわかってもらうためだ。
「わ……」
「わかったわ」と答えようとしたと時、船が揺れた
「何事ですかッ!?」
「追撃よ!」
マイナが即答する。正面のモニターに映し出されたのは初めて見る人型機動兵器だった。
「シュヴァルで追いかけてくるなんて!」
モニターの機動兵器に対してマイナが言う。
「高速戦闘に特化し、敏捷性が強化されたシュヴァル。確かにこの宇宙艇を追いかけるにはうってつけの機体ですね」
「それじゃあ、追いつかれるのか!?」
ミリアは答えない。それがダイチの問いかけへの肯定となった。
直後に船が揺れる。モニターを見るとシュヴァルが船の両翼を掴んでいた。
「ち、鹵獲されちまったよ!」
「もう追いつかれていますね」
「落ち着いてる場合? このままじゃ逆戻りなのよ!」
エリスはミリアに責め寄る。だが、ミリアは落ち着いているわけではなく騒ぐだけの体力も残っていないのだ。能力を使った上に、負傷した右足を引きずりながら走ったのだから、立ち上がる力すら残っていないのだ。それはエリスだってよくわかっているはずなのだが、気遣う余裕が無いほど事態は切羽詰っているのだ。
「でも、宇宙空間じゃあ戦いようがないわよ……」
マイナが操縦桿を握りながら反論する。
エリス達ヒトは宇宙空間という環境に宇宙服無しでは瞬く間に生命を失ってしまう。あらゆる星の環境に適応できるように進化したヒトであっても、宇宙空間だけは克服できなかったのだ。
つまり今宇宙でこの船を鹵獲しているシュヴァルを迎撃できるヒトがいないのだ。
そうなる前に戦艦の宙域から抜け出すつもりでいたのだが、シュヴァルという高速の機体を連中が持ち出すなんて思いもしなかったのだ。絶対に逃さない、そんな敵の執念のようなものを感じてきた。
エリスは手を失って額に手を当てることができなくて、余計に苦い顔が浮き彫りになっている。
「どうしようもありませんわね……」
ミリアの一言が現状を正確に表していた。戦いようのない敵に、鹵獲されている。それにミリアとエリスはもう戦えない。もう一度あの戦艦に閉じ込められたら二度と脱出はできない。
そうなったら、エリスだけではなくフルートとも約束した「地球を見る」ことが果たせなくなる。
「諦められるか……!」
ダイチは自然とその言葉が口に出た。
でも、どうしたらいいのかわからない。人型機動兵器に対抗できる手段なんてはっきりいってないし、思いあたるものはない。だけど、気持ちはエリスもミリアもフルートも同じだった。
ここまで来たのだから絶対に脱出する。たとえ、絶望的な状況でもここで諦めるくらいなら最初から足掻いたりしなかったのだから。
――そうや、諦めたら終いなんやで!
それに呼応するように通信機から聞き覚えのある声が響いた。船と機体が激震する。だが、それよりも大きな衝撃がダイチ達に走った。
シュヴァルに何かがぶつかったのだ。その何かというのは同じく人型機動兵器なのだが、ソルダやシュヴァルとは明らかに系統が違う。図太い両腕両足に、頑強な胴体。暗闇の宇宙空間にいてなお輝く漆黒の色彩。それには見覚えがあった。
「「「イクミッ!?」」」
ダイチ、エリス、ミリアの三人は誰の仕業なのか、直前に響いた声と機体のシルエットで把握していた。あれはイクミが自慢げに見せたスーパーロボットの完成図だったのだ。
『グッドタイミングやったな。どやかっこええやろ?』
イクミが得意げに相変わらずの調子で言う。
「あなた、どうやってここまで? それよりもその機体、完成させていたのですか!?」
さすがのミリアも驚きを隠せないようだ。
『そや、あのあと意気投合した宇宙海賊の連中の協力もあってなんとかこのスーパーロボット・フォルティスを完成にこぎつけたんや。んで、みんながピンチやっていうからスクランブル超特急でとんできたんやで! いやあ、ここまでくるのに語るも涙の展開やったわ~』
「その話は後でタップリ聞いてあげるから今はあいつをなんとかしなさい」
エリスは事態を飲み込めているのか、いないのかわからないイクミに促す。その表情には笑みが浮かんでいた。
『アイアイサー!』
モニターに映ったイクミはキチンと敬礼して、シュヴァルの方に機体を向ける。
「何、まだ味方がいたのか?」
操縦桿を握りながら、安堵しているマイナはミリアに訊く。
「いましたけど、ずっと火星にいるものとばかり思っていました。まさか、こんなところまで駆けつけてくれるなんて夢にも思っていませんでしたよ」
ミリアは落ち着いたほほ笑みを浮かべて答えた。仲間が惑星間を超えて助けに来てくれたことが余程嬉しかったのだろう。
「まったく、そなたといるといろいろと驚かされるな」
フルートは半ば呆れたように半ば楽しげに言った。
「俺もだよ。地球を出てから、そんなことばっかりだよ……この宇宙には驚くことばかりなんだな」
「うむ、そうじゃな……」
『――宇宙は神秘で満ちている』
ダイチとフルートが感慨深く会話している中、エリスが加わった。
「地球から宇宙に出たばかりの誰かが言った言葉なんだけど……あなた達を見たらわかる気がするわ」
それは宇宙に出たばかりのヒトが味わった感動そのものを言葉で表したものだった。同じように、宇宙に出たばかりのダイチも今同じように感動を噛み締めている。エリスはその姿に見たこともない太古のヒトを今見ているような気にさせられたのだ。
「そりゃ俺だってちょっと前に宇宙に出たばかりなんだぞ」
「妾もそうじゃな、ずっと外に出ることがなかったから……」
そこまで言うと三人は微笑み合う。気持ちが重なったことを祝うように。
「ヒトってね。宇宙に出てから進化したっていうけどね……私、そればっかりとは思えないのよね……」
エリスはおもむろに、ガラス越しに映る宇宙の光景を目にしながら言う。
「何か大事なものを無くしたような、そんな気がいつもするの……今あなた達がしているような感動みたいにね……」
「さあな、俺がお前達に無いものを持っているのかなんてわからないけど、お前達が俺にないものを持っているのはわかる」
「まあ、私だってなんなのかわからないのよね、ただなんとなくだけで…………でも、地球を見たらそれがなんなのかわかる気がするのよ、多分、これだけは確実」
多分と確実が矛盾しているような気がするが、おそらくそれでいいのだろう。はっきりとはいえないが、それだけ心におぼろげでしかし、強く描けているのだから。
「だから地球を見たいのか……」
「えぇ」とエリスは短く答える。
「進化したことで失ったモノ……」
「帰るべき場所じゃろうな……」
フルートは星々の海に思いを馳せて呟く。
「どこまでも行っても我々ヒトは地球へと帰るようになっておるのかもしれん」
だからこそこの二人は地球を見てみたいのだろう。かつて全てのヒトが帰るべき星―ばしょ―としていた光景をこの目で見るために。
『くぅぅッ!?』
イクミの苦悶の声が耳をつんざく。
「イクミ、どうしたの!?」
エリス達をモニターを見る。イクミのフォルティスとシュヴァルがぶつかりあっていた。高機動で勝るシュヴァルでフォルティスを翻弄していたのだが、ついに捕らえることができたのだが、シュヴァルは馬力も侮れないものとなっていたため苦戦していたのだ。
『こいつッ!』
イクミは殴りこみをかけて、肩部分の砲門が開く。
『ブラックレーザー発射!』
イクミの活きのいい叫びに呼応してレーザーは発射し、シュヴァルの躯体を撃ち抜く。
『まだや! ブレイザーレグ!』
足から噴出したビームによる高熱で、シュヴァルの腕をとらえて焼き切る。
「おお! すげえ!?」
フォルティスの内蔵武装はダイチを興奮させた。
「さすがにイクミが苦労して作り上げただけのことはあるわね」
エリスも感心する。
そして腕を切られ、追い詰められたシュヴァルに最後の一撃を加える。
『アイアンパァァァンチッ!』
黒鉄の拳がシュヴァルの鋼鉄の躯体を打ち砕き、爆散する。
「やったああッ!!」
一斉に歓喜の声を上げる。これで火星に帰れる、紛れもない勝利の歓喜だった。
だが、それもほんの一瞬のことだった。爆散したシュヴァルの陰からシュヴァルが襲いかかってきたのだ。
『なんやてッ!?』
シュヴァルの兵装である白銀の剣・シルバーブレードがフォルティスの胴体を打ち当たり、火花が散る。
斬られこそしなかったが、その衝撃でフォルティスを大きく仰け反らせた。そこへさらに携行していたライフルを撃ちつける。
『かぁー、まずいでこれは!?』
イクミの悲鳴にも似た叫びは聞こえてくると、船の中に流れた歓喜は消えた。
『イクミ、大丈夫ですの?』
さすがにミリアも心配になって訊く。
『不意打ちでやられたわ、このままじゃまずいで!』
答える余裕なんて無いはずなのに、答えられるのがイクミであった。おそらく手と口は別々で動かせるのだろう。
『こいつッ!』
フォルティスがシュヴァルに組みつき、ライフルをはねとばす。だが、もう片方の腕にあるシルバーブレードに切り突かれる。
『くッ!』
シルバーブレードが腕に受け、足を斬られる。さらに腹に突かれるも、その剣を掴む。
『ブラックレーザー!』
肩のレーザーを発射させるも、牽制にしかならず内蔵されている機関銃でレーザーの部分を破壊される。
『あかん、打つ手が無くなった!?』
足は今受けた一撃によって関節を曲げらなくなり、腕だけが頼りだったというのにそれもやられてしまったのだ。
「何か手は無いの!? 諦めるなんてらしくないよ、イクミ!」
エリスが全力でイクミを叱咤する。他にできることがないだけに声に力がこもっていた。
『……一つだけ、手がある』
イクミが振り絞るように答えた。
『腕にあるプラズマキャノンなら、あいつを倒せる……!』
「じゃあ、それを使いなさいよ!」
『うぅ、それができんのや』
「どうして?」
ダイチがイクミが答えると操縦桿を震わせながら答えた。
『調整不足がたたって、外部から誰かが照準を合わせなければならんのや』
「外部……?」
ダイチはその言葉を聞いて自分に何ができるのか、おぼろげながら思いつく。
「つまり、それは外部から誰かが照準を合わせてやれば倒せるんだな?」
「もちろん! せやけどそんな方法が……そんなことできる奴なんて……」
イクミは自信満々に答えたあとに、弱気になる。そんな方法がなんて無い、つまり袋小路だということは彼女が一番理解しているから強く言えないのだ。
だけど、方法は確かにある。実行できるヒトがいないというところで、イクミは諦めかけているのだ。それはそうだ、外部というのはつまり戦闘真っ只中の宇宙空間ということになる。そこへ生身のヒトが飛び込めば無事にすむはずがない。だから無理なのだ、そうイクミは決めつけている。
「俺ならできる……!」
そんなイクミにダイチは言う。
その場にいた誰もが驚いた。無論、イクミも。
「できるって……? 照準合わせを、か?」
「ああ」
「無理や! 生身で宇宙空間に出て腕にとりつかなあかんのやで!」
「できる」
ダイチはそう答え、船のハッチに向かう。
「ちょっと、あんた! 何考えてるのよ!?」
エリスが引き止める。どう考えても生身で宇宙空間に出て、機動兵器同士の戦いへ飛び込むなんて、正気の沙汰には見えない。そもそも生身で宇宙空間に出るなんて、自殺行為でしかないのだ。
「他に手がないんだ、俺がやるしか……」
「このまま行けば死ぬのよ!」
エリスも必死だ。彼女にはもう掴んで引き止められる手が無いので、口で止めるしかないからだ。
それゆえにダイチにもその必死さは伝わってくる。こういうとき、どうすればエリスの不安を取り除けるのか、ダイチは考えた。
そこで一つの光景を思い出す。何気ない会話だったが、それでも自分に出来ることはこれぐらいしかない。これをすることでエリスの不安を取り除けるのならいくらでもするべきだと思い、実行する。
決してやることはないと思っていた親指をエリスに向かって立てて、白い歯を見せる見栄を切る。
「心配するな、俺は不死身だから」
ハッチが開き、ダイチは宇宙空間へと飛び込む。
ハッチはすぐに閉じる。追いかけたくても、見栄を切った姿に見とれてしまったから、出遅れてしまったのだ。
「ダイチィィィィッ!?」
すぐさま彼の名を呼び叫び、止められなかった自分を責める。彼は宇宙へと出て行ってしまった。宇宙服も着ずに出たということは、死を意味していた。
――ダイチが死んだ。
一条の言葉がエリスの感情を支配した。
「うぅ……う、うぅ……」
うなだれることしかできなかった。それでも足を動かす。現実は残酷で、彼の死を確認しなければならないのだ。ならば彼の死を受け入れて、彼がここにいたことだけでも記憶に留めておこう。その想いだがエリスを突き動かした。
ブリッジに上がると、エリスは自然とモニターから目をそらした。覚悟していたとはいえ、やはり宇宙を浮遊するダイチの死体を見ることを心が自然と拒否したのだ。だからブリッジに上がって最初に見たのはフルートの顔だった。フルートもきっとダイチの死を悲しんでいるだろう。さっきのやりとりを見たかぎり、かなり慕っているようだから、涙ぐんで嗚咽をもらしているはず。そうエリスは思っていた。
しかし、現実は違っていた。フルートは涙を浮かべることなく、ただ唖然とモニターを凝視しているだけであった。
ダイチの死。それは少女にとってあまりにも突然な出来事だった。だから驚きのあまり、目の前の現実を信じられずにいるのだろうか。きっとそうなのだろうとエリスは思った。
だけど、今起きているのはそうではないと次の瞬間に思い知ることになる。
「ダイチさん、右です!」
あまり耳にすることない珍しいミリアの叫び。それ以上に驚くことはその内容だった。
(……ダイチ?)
彼女は間違いなくその名を口にした。ダイチは死んだはずだというのに、まるで生きているような物言いで。
(……まさか、生きているの?)
そんな可能性なんてない。生身で宇宙空間に出れば待っているのは死だけ。この場にいる誰もが知っていること。無論ダイチ自身も。それなのに彼は笑顔で飛び出ていった。あれは死を覚悟した表情では決してなかった。だから、死ぬことはない。
馬鹿げたことだが、彼のあの表情から察するにそうとしか思えなかった。その一縷の望みをかけて、エリスはモニターを見た。
「――ッ!?」
正面に広がるモニターに映っていたのは信じられない光景だった。
ダイチは生きていたのだ。それも宇宙空間に浮かぶ一つの生命体として、無で足場の無い宇宙空間を大地を踏みしめるように蹴って彼はフォルティスとシュヴァルがぶつかり合う戦場へと向かっていたのだ。
「そんな……どうして……!?」
もちろん、ダイチが生きていることは極めて喜ばしいことだった。だが今起きていることはあまりにも非現実的だ。生身では宇宙空間を生きれない。それがエリスが教わってきた常識であり、実際スペースデブリを拾う仕事の中で宇宙服が破け、生身に近い状態になった仕事仲間の末路を目にしたことだってある。それを踏まえた上でエリスは宇宙に出れないことを理解している。理解しているからこそ、今の光景が理解できないのだ。
「ダイチは地球人であったな?」
そんなエリスにフルートは確かめるように訊いた。
「そうだけど……」
それがどうしたの? と訊き返そうとしたところでフルートは答えた。
「かつてヒトが地球人であったとき、あらゆる環境で生き、適応することのできる進化遺伝子エヴォリシオンを初めて組み込んだのじゃ……」
ヒトの身体にあるエヴォリシオンはそのために生み出され、身体に宿したことで副産物として様々な能力がヒトの身に与えられた。だけどその本来の意義は適応にあった。どんな星、どんな場所であろうとヒトが生き続けることのできるように願いを込めて生み出された遺伝子がエヴォリシオンなのだ。
「ヒトが進化していくにつれ、得た能力の代償として失ってしまった適応能力。閉鎖された時の中で生きてきた地球人にはまだ残っておっても不思議ではないはず、そう父は言っておった……」
「じゃあ、ダイチは宇宙空間に出ても大丈夫なの!?」
「現に今こうしてできておるのじゃ、信じる他なかろう!」
フルートが言うように、ダイチは宇宙空間を平気で飛び回っている。確かに今はどんな迷信であろうと信じてみようという気にもなってきた。
だけど大事なことは、彼はまだ果たすべき事があるのだ。フォルティスの腕に取り付き、プラズマキャノンの照準をシュヴァルに合わせるという命懸けの大仕事が。
「ダイチはん、あんた何やってんねん!?」
イクミの驚愕の声が通信機越しに響く。
「何って外部から照準を合わせる必要があるって言ったのイクミだろ?」
通信機に声を響かせる。その声はイクミにはっきりと伝わった。
「そうやけど、生身で宇宙に出るなんて狂ってるで!」
「なんでもいいから、どうすればいいのか教えてくれ! これしか手はないんだからよ!」
イクミは一瞬言葉を詰まらせてから、やがてこれしか手はないという言葉に同意する。
「わかった……右腕に取り付けられているランプに立つんや」
ダイチは言われたとおり、フォルティスの右腕にとりつこうとする。そのさなかに、シュヴァルのライフルの弾幕にさらされる。
「くッ!?」
右腕にとりつくことに夢中になっていたダイチはその流れ弾を避ける術が無かった。
だが、その弾丸がダイチに当たることは無かった。ミリアがその間に立ってくれたからだ。
「……ミリアッ!?」
それは戦艦の中でミリアが使った能力である分身だった。
「……カロリーヴィジョン」
本体のミリアは船の中で立ち上がり、分身の制御を念じて行なっていた。ただ、先の戦闘での消耗や右足の負傷のせいで立っていることもままならない。その状態での能力の使用は体力の限界に挑む行為だった。
ミリアは意識が朦朧とし、床へと背中から倒れ込もうとする。
「無茶してくれるわね」
エリスが手の代わりに身体ごとミリアを支えた。
「………………」
ミリアは礼を言わなかった。言う余力すらも残っていない、ただ強がりで見えっ張りな汗たっぷりの笑顔を見せるだけだった。
「ありがとう、ミリア!」
ダイチからのその言葉だけが、ミリアを意識をつなぎとめた。
「任せて下さい」
右腕にとりついたダイチに、分身が盾となってくれる。
「ランプは……これだな!」
ダイチはその赤いランプを見つけて押した。そこへ青い光とともに、丸筒の大砲が飛び出る。
「しっかりもってくれや、ダイチはん」
「お、おおうッ!?」
ダイチは驚きながらしっかりとちょうど直径が肩幅ほどあるかないかの大砲を抱きかかえるように持つ。宇宙空間による無重力下のため、重さは感じなかった。
「スコープあるやろ、それで照準を合わせるんや!」
イクミがそう言うと、大砲から目の前へと半透明のレンズ状のスコープが出る。
「これか、これで合わせるんだな!」
抱えながら、スコープのX印にシュヴァルがくるように合わせる。シュヴァルは止まってはおらず、動き回っているせいで合わせにくくなっている。
「くそ、止まりやがれ!」
「おおし、それなら!」
ダイチの懸命な叫びにイクミが答える。フォルティスの目の部分に光が集まっていく。
「フォーカスビィィィムッ!!」
両目から二つのビームがシュヴァルに襲いかかった。シュヴァルはそれをかわした。だが、それは計算のうちだった。
予想外の攻撃をかわしたことへの安堵からか、シュヴァルの動きが一瞬止まった。ダイチはその一瞬を逃さなかった。
「照準セットッ! オーケーだイクミ!!」
ダイチの叫びがコックピットに反響し、イクミが答える。
「了解!」
イクミは操縦桿から手を離し、
「プラズマキャノン!」
コンソールの中から一際大きなボタンを、
「はっしゃああああああああッ!!」
殴りつけるように押した。
大砲から特大のビームが轟音を立てて発射される。そのビームはシュヴァルの躯体を打ち当たり、いともたやすく貫いた。
だが、その高威力の反動により、フォルティスも姿勢制御が保てずに吹き飛ぶ。
「あうぅぅ……出力調整ミスったか、せやけどこの威力なら……!」
撃ったイクミすらも一瞬気が遠のくほどの一撃は間違いなくシュヴァルの最後を意味していた。レーダーからシュヴァルの反応が消滅している。
「やった! やったでえええ、ダイチはんのおかげや!!」
イクミは喜びを露わにする。だが、その声に応えるべき声がないことに気づく。
「ダイチはん……?」
イクミは通信機の故障かと思い、右腕をモニターで映す。
そこにダイチの姿は無かった。
「ダイチはん、嘘やろ! 返事しい! ふざけとったらあかんでぇ!」
イクミは必死に呼びかけるも、返事はなかった。




