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約束の星空

サーシャの言っていた丘はすぐに見つかった。

まるで大きな円形の劇場みたいに刳り抜かれたその場所は、どうやら大きな噴火口跡らしく、冬だというのに大地が芝に覆われていて、思い切り見上げればきらめく星の光が様々な色光と大きさで夜空をより美しく染め上げていた。

本当に見事な星空だった。

僕たちは一時間ほど歩いてその鍋底みたいな丘の中央に立つと、しばらく立ったままその満天の星空を眺める。

それは例えることができないほど壮大で、素晴らしい光景だった。

大地を緩やかな曲線で横切る木々のシルエットの上、水が枯れた湖の底から仰ぎ見ている様なその先には、視界全体を覆い尽くす群青の空があって、純白の色とともにこの世にある全ての美しい色で星々が無数に発光している様であった。燦々たる星で埋め尽くされたその光の潤沢さは、自然と隣り合わせだった自分の田舎でもとても見ることのできないほど厳かな情景で、感動や畏怖する心持ちとともに恐怖すら感じたものだ。

その光景はポツリと立つ今の自分の小ささをはっきりと示している様で、なんだか気後れしてしまった。

するとそんな僕の心のうちを察した様に彼女の手がスッと左手の中に入ってきた。まるで「大丈夫ですよ。」って勇気付けてくれているみたいに。

僕は少しだけその手を握り返すと、そっと彼女の方へ目を向けた、

月明かりに照らされたサーシャのそれは笑顔だった。

そういえば彼女は僕が逃亡から帰ってきて謝り続けてからというもの、ずっと機嫌が良かった。それは自分的にはとっても都合がいいのだけど、僕はこのとき、彼女がなぜ機嫌がいいのかその本当の理由を知らなかった。

だからそんなサーシャの嬉しそうな顔を見返していたら、ついつい朝の出来事が頭をよぎってしまった。

サーシャが寝言で師匠と口にしたあの時、その寝顔は今の様に安らかだった。だから僕はその時、確信した。

彼女は夢の中で、きっと師匠さんと出会っていたんだと。

胸がいっぱいになって…やがて苦しくなった。

自分が持っている全てを投げ打ってでも(と言ってもジャンから貰った銀貨2枚しか持っていないけど。)手に入れたいと思わせるその笑顔は本当は師匠さんのもので、いつかは彼に返さなくてはならない大事な大事な宝物だ。一時はそれを乗り越えて「こんな素晴らしい女の子と恋人ごっこができるのだからいいじゃないか。」とお気楽に考えられる様になったと思ったけど、今朝の彼女が口にした「師匠。」という、たった一言の寝言を聞いてそんな想いは脆くも崩れ去った。

こんな事で落ち込む自分は、きっと自惚れていたのだろう。彼女が心変わりを起こす事を何処かで望んでいて、ここ数日の出来事でそれが現実に近づいているんじゃないかって心の片隅で信じていたのだ。…なんて浅ましく図々しいんだろう。そして愚かだ。

本当なら彼女に掴まれたこの手も振り払わないといけない。「そんな事をしたら師匠さんに怒られちゃうよ。」て、サーシャに言わなくちゃ駄目だ。

でも狡くて卑怯な僕は決してそれを言わない。

ふと、さっきの本屋の店員さんの言葉を思い出した。

彼女は本に書かれた物語をダシにして、まるで僕とサーシャの物語があるように言ってくれてたけど、残念ながら僕は物語の主人公じゃない。清廉潔白でもなければ、強くもないし、格好良くもない。でもサーシャの横を歩く男は、絶対に物語の主人公でなくちゃいけない。そしてその物語は一千年先にまで語り継がれる様な伝説的なお話のはずだ。

ふと想う。

師匠とサーシャ。

彼らを伝えるその物語の中に、僕は一行でも語られるのだろうか…。

そう思うとますます落ち込んだ。


「どうしたんですか?」


やがて彼女が押し黙った自分を不思議そうな顔で覗き込んでくる。僕はとっさに彼女から視線を外し、顔を俯かせた。


「…なんでもないです。」


「元気がありませんよ?夜空を眺めるのは退屈かしら?」


「い、いえ、そうじゃないけど…。」


「お寒いのではありませんか?…それとも何処かお身体の調子が悪いの?」


「ち、違います。身体は全然大丈夫です。」


「それならいいですけど…。ねぇ、アルバ。私に言いたい事があればなんでもおっしゃってくださいね。」


その優しい言葉とともに自分の平凡な名前を教団の女神が口にする。なんだかそれすらも罪悪感を感じた。

何をやっているのだろう…ふと、そんな想いが頭をよぎった。

思えば…僕は彼女を慕って旅に出た。

その旅が困難で、未来がなく、悲惨な結末になる事を知った上で。

色々な事を覚悟して村を旅立ったはずなのに…今の僕は心が挫けそうだった。

何故だか今日の出来事が勝手にフラッシュバックして頭の中を駆け巡った。

それはまるでその時に戻ったのではないかと錯覚するほどリアルなもので、一瞬しか見ていないはずのジャンの剣の柄まで忠実に再現していた。僕は1年ほど前から過去の記憶がないから、同世代の人々より狭い世界で生きている。だからきっとその僅かな時間に起きた事ははっきりと思い出せるんだと勝手に思った。

彼女に師匠と間違えられ、逃げ出し、その先でジャンという男に出会った。そしてそのジャンにいきなり襲われ、少しだけ自信がついた剣の戦いでも一瞬で敗れた。

ーーーそうだ、今日の僕はずっと負け続けている。

師匠にジャン。特にジャンは剣だけでなく”かけっこ”でも敗れた。

あの時、仮にジャンが悪い男で後ろにサーシャがいたら、どうなっていただろう。

彼女を目の前で攫われ、でも知り合いも友達もいない僕にはどうにもならなくて…ただその光景を指をくわえて見ているしかなかったかもしれない。そして師匠さんの元へ彼女を届けるなんていう、彼女と交わしたたった一つの約束も果たされないまま、僕は一人でトボトボと村に帰るのだろうか。そしてこの繋いだ手の温もりを思い出しながら、あの狭い家でずっと一人で生きていくのだろう。

もしかしたらロクにチカラも無いくせに調子に乗って女神の騎士の真似事をして失敗した最低の男として、世界中の信者や修道士さんから罵詈雑言を浴びせられて村にもいられなくなり、やがて山とかで仙人の様に暮らすのかもしれない。

今日、ジャンが口にした言葉がやけに頭にこびりつく。彼は悪びれもせず、成り行きでサーシャの騎士になってしまった自分を責める様にこう言った。

ーーーサーシャを守るのはとんでもない難しいタスクで、とても常人には務まらない命がけの任務だと。

タスクなんて言葉の意味はわからないけどその口調で何を言わんとしているのかは朧げに分かる。今までもそれは稀に感じる事はあったけど、それを改めて聞いた時に僕はきっと急に自信がなくなったんだ。そして今、この麗しき天女のようなサーシャを目の前に仰ぎ見たとき、ふと思った。


一刻も早く…サーシャを師匠さんの元へ届けなければ…。

この人が本来いるべき場所へ返さなくては…。

そうでないと…いつか彼女が酷い目にあってしまう…。


ジャンに負けた事と彼が忠告してくれた言葉が、自分をやけに焦らせた。僕は意を決したように彼女の方を見る事もしないでぼんやりと夜空を見上げながら口を開いた。


「…サーシャ。師匠さんの本当の名前はなんていうの?」


その問いかけはいつかは聞かなくてはいけなかったもの。本心を言えば師匠さんの名前なんて何の興味もないが、本名を知った上で世界中を巡った方が早く見つかるに決まっている。

だけどその問いに予想通りサーシャはしばらく口を開かなかった。チラッと彼女に目をやると、サーシャはその言葉が聞こえなかったかの様に夜空を見上げたままだった。彼女は以前、師匠さんの事は時が来るまで話さないと明言をしていたことがあったから、そのらしくない態度も理解は出来る。だけど色々あった今日は、少しだけでも彼の事を聞きたかった。

だけど彼女は口をつぐんだまま…。

彼女の大きな瞳が、星のともし火と月明かりでいつまでも輝いていた。

僕が諦めのため息をついて再び夜空を見上げると、ついに彼女は天を見据えたまま小さな声でその名前を口にした。


「師匠のお名前はシアンといいます。」


初めて耳にした師匠さんの名前は、なんだかとても格好良く聞こえた。


「強そうな…お名前ですね。」


当たり障りのない言葉を返すと、彼女は「そうですか?」って言いながら、はにかんだ。


「でも私は彼の事をシアンって呼んだ事なんてほとんどありません。…師匠っていつも呼んでましたから。」


「そうなんだ。あの…前から聞こうと思っていたけど、サーシャはどうして彼の事を師匠って呼ぶの?」


そう尋ねると彼女はかすれた声で「とりあえずは座りませんか?」と言いながら、繋いだ僕の手をちょんちょんと引っ張った。

その声色を不思議に思いながらも、その手に導かれる様に腰を地面に下ろして彼女を見上げたとき、僕に衝撃がはしった。

突然大きな雫がポタポタと僕のほほに落ちてきたのだ。雨かな…と思ったけど、それはこの寒空に似合わないほどほんのり温かく、そして流れ星にしてはやけに小さかった。


「…サーシャ?」


今度は僕が心配そうに彼女の名を呼ぶことになった。だけど彼女は何も答えず、僕の二の腕を掴んだまま乱暴に大地に崩れ落ちた。慌てて彼女の背中に手を回して身体を支えた。

ーーーサーシャは僕の腕の中で体を震わせて…泣いていた。

星座の本を胸に抱きながら膝を抱えて涙を拭おうともせず、まるでこの舞台の様な丘の中央で人生を演じているヒロインの様に。

嗚咽を漏らし、身体を震わして、僕の頼りない二の腕を必死に掴みながら。

今度のは本泣きだ。さっきまでのとは全然違う。

その時、とっさに思った。

彼女が泣いたのは、僕が師匠さんの話をしてしまったからだって。

そして思い知った。

彼女はやはり師匠さんとの再会を待ちわびているんだって。

そんなの最初から知っていた筈だった。

筈だったけど…いまさら突きつけられた残酷な現実に僕は心が放心状態になった。

かける言葉は見つからない。

だから自分の気持ちを押し殺しながら、心で必死に謝ることしかできなかった。

そんな彼女の切実な想いも知らずに、一人で浮かれていたことに気がついたから。


すぐに師匠さんと会わせてあげられなくて、ごめんね…。

今日だって…買い物なんかしてないで、この街で師匠さんの手がかりを探してあげれば良かった…。


彼女がこの場所を選んだ理由、涙のわけ、そしてこの日、この時間。

そこに深い理由とロジックが隠されている事など露ほども知らず、その時の僕はただただサーシャに心で謝ることしかできなかった。


無言の時間が星空とともに流れていく…。

ただ数多の星の煌めきも、美しい群青色のクラデーションも、言葉にできないその見事な光景も、あれから何一つ変わらない。

だけど、彼女の涙はその無限に続くかと思われた藍色の世界の中でゆっくりとおさまっていった様だった。

涙を手で拭いながら「ごめんなさい。」と一言漏らした彼女の表情は、意外なんだけど悲しそうに見えなかった。

彼女の心が読み取れずどんな言葉をかけたらいいのか分からなかった僕は、ただ見つめて小さく首を横に振った。

やがて僕たちは街で購入したランタンにマッチで火をつけると、芝生の上に星座の本を置いて夜空を見上げた。その本にはご丁寧にダダの街から見える星座の詳しい概要と見える方向が書き記してあって、方角さえ分かればすぐに実際の星空と見比べられる様に工夫されていた。

彼女はというと、あぐらをかいて座る僕に凭れかかりながら、先ほどの涙が嘘の様に、はしゃいでいる様に見えた。この人は本当に喜怒哀楽が激しい。


「あの大きな星はなんですか?」


彼女はそう言って、ひときわ紅に輝く大きな星を指差す。


「えっと…ああ、あれはペテルギウスというみたいですよ。」


僕は本と見比べながらその星の名を口にすると、彼女は小さく拍手をくれた。


「騎士様はすごいですね。すぐにお星様の名前を言い当てるなんて。」


「い、いや。本を見て言っているだけです。」


「それでもこの無数にあるお星様の中から、一つを見つけるのはすごい事ですよ。…ねぇ、あの3つ並んでいる星座はなんていうのかしら。」


彼女はその後も、ずっと僕に星と星座の名前を尋ねてきた。いや、質問ぜめにされたという方が正しいのかもしれない。僕が本でそれを探し当てて答えると、サーシャは何度も拍手をしたり頭を撫でてきたりしながらずっと褒めてくれた。

僕にはたった1年の記憶しかないけど、それはこれまでの人生で一番楽しい時間となった。誰にも邪魔される事のない2人だけの時間。僕たちを照らす無数の星の灯りがいつまでも消えないことを願った。ずっと…ずっと…朝が来なければいいのにって…。

だけどその思いとは裏腹に、ランタンの中で燃える炎の光がチカチカと点滅を始めた。


「騎士様、油が…。」


彼女がそう口にした途端にランタンの炎は最後のともしびを上げながら力尽き、やがて白い煙をつうと昇らせた。

当然のように2人の周りは真っ暗になった。何も見えなくなった手元…僕は手の中にあった星座の本を静かに閉じて、小さなため息を漏らした。

彼女は口をつぐみ、静かに夜空を見上げる。

サーシャともたれ合いながら星空を見上げる…ただそれだけの事が夢のような時間だった。まるで師匠さんにでもなった気分だ。きっと以前の2人もこうやって夜空を見上げたのだろう。

それを思えば、想い女とこんなに素敵で楽しい瞬間を過ごせる事はやはり奇跡なのかもしれない。

だからだろうか…まるでその事を証明する様に天体にも奇跡が起きる。

夜空が一瞬だけひときわ明るく輝いた。おもむろに顔を上げると、幾重にも流星が折り重なるように虚空を斜めに墜ちていき、絵で描いた雨のように彗星の尾っぽがいつまでも光を放ち続けて消えなかった。

数多くの流れ星が、美しく舞っていた。


「綺麗…。」


サーシャの憂いのある声が僕の耳をくすぐった。静かに彼女の方へと顔を向けると、サーシャは目を瞑り、祈るように胸の前で両手を組んでいた。神様でも流れ星に願い事をするんだなって、それが何だかおかしくて…僕はクスッて笑う。

彼女は僕より4つも年上でスマートで頭もすごくいいのだけど、たまに少女みたいな事を普通にする。この時も教団生誕祭お星様にプレゼントを強請る女の子のようだった。

やがて夜空から流星の尾が消え去ったとき、彼女は静かに目を開いた。


「アルバは願い事はされなかったのですか?」


「うん。いきなりだったので…。サーシャは祈ってましたね。」


「ええ、勿論です。」


「何を祈っていたんですか?」


秘密主義の彼女はきっと教えてくれないだろうけど、内容は薄々分かっている。そして予想通りサーシャは頬を赤らめながら首を横に振った。


「うふふっ、言いませんよ。流れ星にしたお願い事を口にしたら、その想いは叶わないと言われているのです。」


「…そうでしたね。」


嘆きを含んだ寂しそうな僕の声が空気を伝った。すぐにサーシャが反応した。


「…アルバ?」


「…なんですか?」


必死に作り笑いを浮かべた。だけど平然を装った僕の下手な演技はすぐに見破られ、聡い彼女には結局のところ僕の頭の中までですっかり読まれてしまったようだ。彼女は僕の頭を撫でると静かに顔を覗き込んできて、満面の笑みを浮かべた。


「私がお星様にお願いしたのは…師匠の事ではありませんよ。」


その甘い声に、僕はとっさに彼女と視線を合わせた。

完璧に自分の心を見透かされてしまった事が恥ずかしくて思わず顔が引きつる。だけどサーシャの表情は嫌味なくいつもの様に優しい微笑みを湛えていて、まるで嫉妬した僕をなだめているようだ。

自分の単純さには呆れるけど、彼女の言葉と浮かべた表情に僕の表情も段々と緩んでいく。


「そ、そうですか…。」


「ええ。」


彼女はそう言いながら、僕を励ますように二の腕にそっと寄り添ってくれた。黄金色の髪がくすぐったかった。


「…アルバは、お願いしたい事とかはないのですか?」


そう尋ねられたとき、僕は「そうですね…。」と満足そうな笑みを浮かべながら一度夜空に顔を向けると、やがて静かに目を閉じた。

お願いしたい事なら、ある。ただその願い事はお星様あてじゃない。


「もちろんありますよ。」


僕は苦笑いを浮かべながら答えた。


「まぁ、それはどんなお願いごとなんですか?」


「…言ったら、その願いは叶わないんでしょ?」


「あら、騎士様に仕返しされてしまったわ。」


そう言って笑った彼女を見たとき、心がやけにざわついた。

そしてなぜか僕は咄嗟にその願い事をサーシャに伝えようと思った。どうせ流れ星は行ってしまった後だから、今それを口にしても願いなんて叶うわけがないし、むしろそれは願いではなく実現させてあげなきゃいけない事だ。

そして時に願い事は口にした方が叶うんじゃないかって勝手に思い、その言葉を口に出した。


「僕の願い事は…師匠さんへ向けたものなんです。」


「…師匠に…ですか?」


「ええ。だけどそれはお願いではなく…むしろ文句…いや、…えっと…忠告かも。」


「まぁ…貴方が師匠に?」


当然だけど、彼女はとっても意外そうな表情を浮かべていた。

まさか僕が師匠さんに意見を言うなんて夢にも思わなかったのだろう。

サーシャは僕が師匠さんに無駄に対抗意識を燃やしていることを知っている。恐らく意味のない嫉妬をしている事も薄々感じ取っているかもしれない。ただでさえ嘘をつくのが下手なのに、サーシャに見つめられると余計にその時の気持ちがモロに顔に出てしまうから。

だから僕は必死に本当の心を誤魔化す様にわざとニカッと表情を作りながら、張りのある声で彼女に言った。


「早くサーシャの元へ帰ってこいって!」


サーシャの瞳が大きく開かれた気がした。


「…じゃないと、僕が師匠さんの特等席を獲っちゃうよって。」


「特等席って…何ですか?」


「…エマさんから聞きました。師匠さんはサーシャの膝枕がとっても好きだったって…。」


彼女は咄嗟に手で自らの口を抑えた。

瞳が微かに揺れて、やがて煌めく真珠の様な珠を浮き上がらせる。

今日の僕はいったい何度、彼女を泣かせれば気がすむのだろう。…だけど、これまでと違いこの涙だけは、嬉しい涙だと信じたい。…そうじゃなければ、自分の心を押し殺してまで師匠さんを主役にした意味がない。

再び夜空が発光し、美しい群青色をした宇宙が白く輝く。

僕は彼女からそっと目を離し、教会の天面に描かれた壁画の様に美しくも壮大な空を見上げる。あまりにも明るかったからだ。

山育ちの僕は、これまでに何度も流れ星を見たことがあったけど、そこに広がっていたのは自分の常識を簡単に覆すほどの数多の彗星だった。

今日はこの世界にとっても特別な日なんじゃないかって思うほど無数の流れ星が、だだっ広い宇宙を横切っていく…。

僕は座りながら頭を真上に向けて素直に感嘆の声をあげた。まるで宇宙に投げ出されたと勘違いするほど、視界の全てが広大な空と流れ星に染まり、不思議だけど…この感覚が懐かしく感じられた。

彼女がそっと動くのを感じた。僕は気にせず夜空を見上げてまま。

やがてサーシャの細く美しい腕が僕を背中から優しく包み込む。

例え彼女が師匠さんのモノでも、背中に温もりを感じるし、黄金色の髪もくすぐったいし、優しい心づかいが感じられる。彼女の心は僕に向いていないのに、そんなものばかりがちゃんと届く事がとっても不思議だった。

彼女は狡い。

もっと冷たく、事務的に…ただの護衛のように接してくれればいいのに、まるで幼子のように…時に恋人のように甘えてくる。それはきっと僕の事を師匠さんの代わりしているだけなのだろうけど、彼女に触れられると僕の心は不思議と鎮まっていく。そして僕はそのたびに誤解を重ねていくんだ。僕はサーシャの特別な人かもしれないって…。

やがて彼女の腕は僕を抱いたままゆっくりと僕の上半身を倒していく。僕は彼女がしようとしている事が分かり、驚きで目を見開く。だけど抵抗なんてできない。僕は顔を真っ赤に染めながら、彼女になすがままになった。優しく頭を抱えられた僕は、彼女の柔らかな乳房をほっぺに感じながらサーシャの体を下っていく。やがて身体はそのまま温かくて優しくて心地いい場所にたどり着いた。

頬に伝わる白ローブの感触と彼女の太ももの温もり。

僕が驚いて彼女を見上げると、豊かな乳房の向こうで微笑みながら覗き込むサーシャの美しい顔。…それはこれまできっと師匠さんだけしか触れられなかった特別な光景なんだろう。

僕は彼女に膝枕をされていた。


「貴方になら…師匠はきっと許してくれます。」


流れ星の様に彼女の美しい雫が幾重にも舞い降りてきて、僕の顔を濡らす。その時の彼女は微笑みを浮かべているのだけど、同時に涙を幾重にも溢していて、そこに複雑な彼女の想いが見て取れた。


「…そ、そんな事は…。」


そう首を振ると、彼女は嬉しそうに目を丸くした。


「なぜ…貴方は師匠が許してくれないと思うのですか?」


「だって…俺が師匠さんなら、きっとそんな男…ぶん殴っちゃうから。」


その言葉は本心だった。

こんな見た目も心も綺麗な人が自分の恋人だったら本当にそうするだろうし、どんな手段を用いても彼女の膝枕を取り戻そうとするだろうなって思う。

いつもより乱暴な事を口にした僕を見た彼女は苦笑いを浮かべ「ふふっ…ではこれから私は貴方以外の殿方に膝枕はできませんね。」と言いながらそっと手を伸ばしてきて、僕の頭を優しく撫でる。

夢にまで見た彼女の膝枕だったけど、思ったより平然としていられた。

だけど…ここで不思議な事が起きた。

暫くすると僕の瞳からも何粒もの大きな涙が勝手に溢れ落ちたのだ。

悲しい感情なんて何もないはずなのに、独りでにそれは生まれ、ゆっくりと頬をつたう。

理由なんて分からない。

でも僕は泣いていた。

顔も歪まないし、嗚咽だって漏れない。ただただ、目からそれは溢れ、彼女の白ローブを濡らす。

まるで…何かこの場所に感情があるように。

それとともに星の光に照らされた女神の七色の涙が舞い、輝いては僕の視界から次々と魔法の様に消えていく。

師匠さんが大好きだったというサーシャの膝枕。

彼が好きだった理由はすぐに分かった。サーシャの温かい腕に包まれながら両膝の上に頭を添えて見上げると、彼女は憂いのあるなんとも優しい表情で自分を見返してくる。そのこみ上げてくる感動は一言では言い表せないが、なんだか自分が彼女にとって特別な人だと信じられる気がした。

彼女が僕にこれまで届けてくれた手をつなぐことや、ちょっとしたスキンシップとは全然違う。

ーーーそう、ここはきっと彼女が愛した男しか入れない神聖な場所なんだ…そう思うとますます疑問がわく。

そんな大事なものなのに、彼女はなぜそれを僕に許してくれたのだろうか…


「ねぇ、アルバ。いつか…時が来たら私の故郷に一緒に来ていただけませんか?」


彼女は僕の顔を覗き込みながら、突然そんな言葉を口にした。相変わらずこの女性の言うことは突拍子も無い。


「サーシャの故郷…ですか?」


「はい。…お嫌ですか?」


少しだけ不安そうな表情を浮かべたサーシャに、僕は慌てて答えた。


「い、いえ!…もちろん、行きます!あ、あの…ぜひ見てみたいです、サーシャの故郷。」


「…本当ですか?」


「本当です。」


「良かった…。アルバ…約束ですよ。」


そう言って、はにかんだサーシャの顔は本当に嬉しそうだった。僕たちはその後に指切りをして互いに笑い合うと再び話を続けた。

それから少しだけ彼女の故郷の話を聞いた。サーシャの祖国はエディアという聞いたこともない国名だった。まぁ僕は学のない田舎者。国名なんて自分がこれまで暮らしてきたワラミ村とルンの街が50年ほど前までザグレアって呼ばれていた国だった事と、お隣の強国フィルファくらいしか知らないから、遠くからやって来た彼女の国なんて知る由もない。


「私の故郷はとても暖かいところなんです。13の島々があってそれぞれに面白い場所なんです。」


彼女は僕に膝枕をしたまま、楽しそうに故郷の話を続ける。


「へぇ…サーシャの故郷は島国なんだね。…ここから凄く遠いんですか?」


「そうですねぇ…。今は遠いかもしれませんね。」


「今は…ですか?」


意味がわからなかったから、ふと彼女の顔を覗き込んで尋ねた。だけど彼女はクスクス笑いながら、「行けばお分かりになりますから。」と僕を嗜めるように髪の毛を何度も撫でた。


「ねぇ、サーシャのお家はどんなところなの?」


「う〜ん…一言で言えば教会みたいなところです。」


「へぇ…きっとルン修道院みたいに立派で大きいんだろうな…。」


「いえいえ、そんな大した事はないですよ。」


そう小さく手を振る彼女に、僕は思わず苦笑い。なにせ彼女は教団の一番偉い人の娘さんだ。とんでもなく凄い家なのは想像できる。


「きっとサーシャの部屋も凄く大きいんでしょ?金ピカで豪華で…いや!もっとこう可愛らしいお部屋かな…。」


「普通のお部屋ですよ。どちらかというとシックだと思います。」


「そうなの?…なんか、ピンクとか赤とか可愛いお部屋を想像してました。」


漠然と女の子ってそういう色が好きだと思ったからそう口にした。すると彼女はクスッて笑い、小指だけを折りながら黄金色の髪を小さくかきあげた。


「ふふっ…私はどちらかというと青が好きなんです。部屋の絨毯も青なんですよ。」


「青ですか…。なんか勝手に女の子っぽいお部屋を想像してました。」


「でも犬のぬいぐるみはあります。…アルバのいう女の子っぽいのはそれくらいかしら。」


「ぬいぐるみかぁ…確かに女の子っぽいですね。それは誰かからのプレゼント…。」


そこまで話して…思わず口ごもった。とっさに彼の名前が浮かんだからだ。

だけどその様子を見た彼女はすぐに苦笑いを浮かべて小さく首を振った。


「ぬいぐるみは師匠からのプレゼントではありませんよ。3歳の誕生日にママから貰ったの。」


「そう…なんですか?」


「ふふっ…騎士様は相変わらず師匠のことばかり気にされてますね。」


「べ、別に…。」


そう強がって見たものの、言葉は上ずっているし、目は泳いでいるだろう。

しかし情けない。彼女を師匠さんに届けると心に固く誓ったはずなのに、まるで彼氏がいる女の子に嫉妬しているみたいでなんだか情けなかった。

サーシャが笑いを堪えるように口に手を添えて、僕の目を覗き込んでいる。そして…それは何かを言いたげだけど、必死に口をつぐんでいるようにも見えた。

僕はそのうっとりとした視線が急に恥ずかしくなって、わざとらしく彼女の膝の上で寝返りを打った。するとごくごく自然と手が伸びていき、いつの間にか僕は彼女のお腹に顔をつけてまま腰を抱きしめていた。まるで本能でそうしたように何の躊躇もためらいもなかった。くびれた彼女の腰は思ったより華奢で驚いたけど、彼女のお腹に顔をつけていると何だか嫌な事を全て忘れられるようで、自然と心が落ち着いていく。

彼女はそんな僕の髪を撫でながら「あらあら…。」と嬉しそうに言葉を洩らし、ますます体を折り曲げて顔を近づけてくる。僕は何かに導かれるように彼女のお腹から顔を離して、ゆっくりと近づいてくるサーシャの顔を見上げた時だった。


「騎士様は、本当に憎たらしいです。」


彼女が微笑みながらも珍しく悪態をついた。


「憎たらしい…ですか?」


「ええ。できる事なら、引っ叩きたいくらいです。」


突然のその言葉に心が激しく動揺した。何か怒っているのかと心配になって顔を覗き込んだけど、むしろ彼女はクスクスと笑っている。


「えっと…。なんで…でしょうか?」


「それが分かってらっしゃらないところも、非常にもどかしいわ。」


「そう言われても…。」


「貴方はどれだけ私の心を惑わせば気がすむのですか?」


「ま、惑わす?」


惑わされているのはこっちだと言いそうになった。うんうん、そっち方面ならこちらが大量の被害届を出したいくらいだ。だけど彼女は又しても不意に違う話へと舵を切る。


「実を言えば…今日は私にとって特別な日なんです。」


「は、はぁ…。」


相変わらずの突拍子もないサーシャの発言にますます面食らう。彼女の特別な日?なんだろうか…。


「それなのに騎士様は、私を悲しませることばかりを口にして…。」


「えっと…俺…何か言いました?」


「アルバはルンの街を出るときに仰いました。私を皆に紹介する時は、自分の聖女として紹介するって。なのに今朝、貴方は私の護衛だと仰いました。」


「あっ…。」


思わず口ごもった。…あの時にそう言った理由は至極簡単、単に面倒だったからだ。事情を知っている知り合いならともかく、見ず知らずの人にサーシャを自分の恋人みたいに言うのは気がひける。絶対に信じてもらえないし…今朝だってサーシャが僕の胸に顔を添えて手を繋いだからみんながようやく信じたのだ。だけど彼女は聞く耳を持たないとばかりに話を続けた。


「貴方は騎士とは何かをまだご理解していない様ですね。」


「まぁ…詳しくは…。」


「そうでしょう?。…ですから今から騎士と護衛の違いをお教え致しますわ。」


そう口にしたサーシャは、やがて僕が瞬きをした僅かな時を使ってそっと顔をさらに近づけてきた。そして優しく僕の頭を抱きかかえると何度も髪をさすってきて愛おしそうに互いのおでこを合わせる。サーシャの長く細い腕はまるで絡みつくように僕の頭を包んでいて、一瞬時が止まったようにしばらくの間、2人は見つめ合った。

いつもなら、ここで止まるはずだった。だけど今日の彼女はさらに踏み込んでくる。

それは僕が初めて体験する”間”だった。

やがて黄金色の髪が僕の頬を優しくくすぐったかと思うと、彼女はさらに前かがみになり、目の前が全てぼやけて滲んだ。

サーシャの小さい顔が光を遮り、全てが藍色の淡い世界になり、僕は驚いて身体を硬直させた。

…唇が唇にそっと触れた。

僕は全身が痺れたように硬直し、目が見開く。

それは軽く触れただけのキスだというのに、刺激的な今日一日の出来事が全て吹き飛ぶ様な大きなインパクトを僕に届けた。

いきなりやってきたこの瞬間をしばらく信じられなかった。というか何が起こったのか理解するのに結構な時間がかかったし、本当に夢なのかと思った。

だけどこれは紛れもない現実、夢なんかじゃない。彼女の乳房の柔らかさと体温の温かさがそれをはっきりと伝えていた。


「お分かりいただけましたか?」


やがて呆然としている僕からゆっくりと唇を離したサーシャは、恥ずかしそうな声でそう口にした。


「あっ、いや…。」


気が動転してうまく言葉が出ない。…言わなくてはいけない事があるのに頭にその言葉が浮かばない。それに騎士と護衛の違いを教える為にキスしてくるなんて全然意味が分からない。

呆然として固まっている自分をよそに、やがてサーシャはそこから逃げる様に僕から視線を外しゆっくりと夜空を見上げた。


「ようやく此処に帰ってこれました。この日に間に合って本当に良かった…。」


そんな謎かけの様な言葉を残して…。





風が少しだけ出てきた。

アルバとサーシャがいる鍋底の様な噴火口跡にも芝が風に揺らされ、サァーッと音が流れていった。

女神のキスなんていう先ほどの大事件から時間は少しだけ進んでいて、幾重にも壮大な夜空を横切っていた流星がやみ、冬の夜空はまた静寂を取り戻しつつあった。

あれから僕はすっかり言葉を失っていて、キスをしてからロクに目を合わせなくなったサーシャにこれ以上お話を聞けずにいた。

なんでそんな事をしたの?って尋ねたかったし、本当なら師匠さんとの事を聞きたかった。

だが結局のところ彼女は口をつぐみ、何も話はしてくれない様だ。せめて師匠さんの事さえはっきりすれば、もう少し自分の立ち位置ははっきりするのに、なぜか彼女は頑なに彼の事を話してくれない。

僕はもちろん女じゃないし、恋人だっていた事はないから、好きでもない自分にキスして来たサーシャの心のうちは分からない。いくら逃亡を繰り返した自分を引き止める為とはいえ、普通そこまでしないって思うし。

ただどうせ一人で考えたって答えなんて出ないだろうから、機会があれば彼女に直接聞けばいいやって最後は呑気に思ったものだ。


「ねぇ、騎士様。そろそろ宿に帰りますか?」


流星の展覧会を終えた満天の夜空から目を離し、彼女はそう口にした。


「…そうですね。さすがに冷えて来ましたし…帰りましょう。」


僕は名残惜しそうに彼女の膝から体を起こした。夢の時間はいよいよ終わりを告げる…そう思ったら結構凹む自分がいてそれがまた何だか可笑しかった。彼女はそんな僕を見て微笑みながら小さく頷くと、ゆっくりと立ち上がった。

お互いキスのことは恥ずかしくて口に出来なかったけど、どちらかともなく手を繋ぐ。

なんだかそれすらも照れ臭くて、僕は油が切れたランタンと分厚い本を抱えながら窮屈そうにしてみたのだけど、彼女は決して手を離さなかった。僕はランタンをガチャガチャいわせながら、片手で分厚い本まで抱えながらのんびりと帰り道をいくことになった。宿までは1時間以上かかると思うが、彼女と一緒ならあっという間についてしまうだろう。


「あら、あれは何かしら?」


ふとサーシャが顔を上げてそんな言葉を漏らした。

僕も彼女に吊られる様に顔を上げると、小さな崖の上の平坦な場所に、月の逆光を浴びた数頭の馬と一人の男のシルエットが見て取れた。


「本当ですね…。こんな時間になんでしょう。」


何しろもう朝が近いほどの真夜中だ。まさか馬を放牧させているシーフが起きる時間を間違えたとも思えないし、強盗などの危ない人たちにも見えなかった。暫くすると僕たちがそちらに向かっているのが分かったのか、その馬を連れていた男はこちらに向かって手を振りだした。そして山にこだまする大きな声が聞こえる。


「お〜いっ!アルバく〜ん!」


聞き覚えのある軽い声だった。すかさずサーシャが「騎士様のお知り合いですか?」と不思議そうに尋ねてくる。まぁ確かにお知り合いだった。


「うん。多分、ジャンさんだと思います。」


「ジャンさん?」


「今日の午前中にダダの街でお世話になった人です。」


「まぁ…お友達でしたか。ではちゃんとご挨拶しなければいけませんね。」


彼女はそう言って目を丸くする。お友達と言っていいのか分からないけど、色々とお世話になったのは確かだ。暗殺されそうにもなったけど。

やがて丘の上に馬を残したまま、ジャンは大慌てで丘を下って来た。予想した通り機敏で動きも素早い。ぴょんぴょんと飛び跳ねながら器用に降りてくるその様は、まるで崖を降るカモシカの様だった。


「やぁっ〜アルバくん。再会するタイミングが意外と早かったですねぇ〜。」


ジャンは僕らの目の前に華麗に飛び降りると、そう言って肩を竦めた。その言葉の軽さは変わらないけど、彼の格好は朝とは違い漆黒の鎧を纏っているだけでなく見事なシルバーのマントも靡いてる。さながら伝説の騎士の様に格好が良かった。


「本当ですね。…ですが、ジャンさんはこんな場所で何を?お得意の諜報活動ですか?」


彼はサーシャばかりでなく、どういう訳が自分の事も詳しく調べている。だけど彼はそう尋ねた僕を見る事なく、視線の矛先をサーシャに変えていた。


「わぉっ〜!本物の女神様だぁ〜!やはり同じ人間とは思えないほどお綺麗ですねぇ〜。あっ、申し遅れましたぁ〜!僕はアルバくんのお友達でジャンと言います〜。」


「…サーシャです。朝は私の騎士様がすっかりお世話になった様で…ありがとうございました。」


「いえいえ。こんなに早く貴女に会えるなんて感激です。これからも宜しくお願い致しまぁ〜す。」


ジャンはそう言って握手を求める様に手を差し出した。だが彼女の手はピクリとも動かない。ただ「こちらこそ宜しくお願い致します。」と静かに言葉を漏らし、頭を小さく下げただけだった。ジャンは手を下さず、前のめりになって握手を懇願した。


「…ぜひ握手だけでもお願いしたいところです。ダメですか?サーシャさん。」


「我が身に触れていいのは騎士様だけなのです。いくら騎士様のお友達といえどそれは許されませんわ。」


彼女は凛とした佇まいでそう言い放つ。するとジャンは思い切り顔をしかめて僕の方へと顔を向けて「ほらぁ、アルバくん。これが聖女というものです。」なんて悔しそうな声をあげた。その言葉の意味はなんとなく分かるからいいけど、今はそんな事よりも彼に聞きたい事があった。


「はぁ…。それで?ジャンさんは何をしにここに?」


僕らの後をつけていたのは間違いないと思うけど、なるだけ目を細めて彼に尋ねてみた。脅しが入るくらい精一杯強気な顔で言ってみたけど、彼は涼しい顔でまた巫山戯た言葉を口にした。


「いやいや、我らがフィルファは18歳以下の不純異性交遊を認めていないんです。アルバくんは16歳だから万一その法律に抵触しない様に見張らないといけないなぁっと思ったので。」


「なんですかそれは…。」


「こんな人気のないとこに美女を連れ込んで…いったい何をするおつもりだったのですかぁ?」


その質問が馬鹿馬鹿しくって僕は小さく首を振った。するとサーシャが口を尖らせて文句を言う。


「ジャンさん。出会って早々こんな事を口にするのは失礼に値するかもしれませんが、騎士様が私に何をしようと貴方には何の関係もない事ですよ。」


「馬鹿を言わないでください。女神であられる貴殿は全世界の男性の憧れ。その貴女に手を出そうとするけしからん輩を監視するのは当然です。…まぁ、彼が貴女の騎士というならば話は別ですが。」


「アルバは私の騎士です。」


「…彼はそう思っていないみたいですよ?」


「今朝まではそうだったかもしれませんが、今は騎士様にもご理解いただけたかと思いますよ。」


サーシャのその言葉に僕は咄嗟に彼女に目を向けた。すると彼女は恥ずかしそうに小さく微笑む。…なるほど、それはさっきのアレの事を言っているんですねとすぐに理解した。必然的に顔がカァーッと熱くなるのを感じて彼女から視線を外す。

そんなアイコンタクトを続ける僕らを見てジャンはクスクスと笑い出したかと思うと、やがてとんでもない事を口にした。


「まぁ、こんなロマンチックな夜にキスで止まったあなたがたは実に運を持っていらっしゃる。」


「…どういう事ですか?」


やっぱり見てやがったかと思った僕は、顔をしかめながら恥ずかしそうに尋ねた。


「いやね、あのまま次のステージに進んでいたら流石に間に合わなくなってしまいますかねぇ~。」


「何に間に合わなくなるの?」


「…君たちの大事なお仲間のサカテちゃん。彼女…大変な事に巻き込まれているんです。」


ジャンはそう言って鋭い目線で僕の顔を覗き込んで来たのだった。



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